【遠足シリーズ第25弾】もう一つの電信創業の地
こんにちは。先日やっとアクティブな活動を再開したHanes(ハネス)です。
自称アクティブ特派員であるにもかかわらず、長いこと控えめな記事ばかりとなってしまいました。
活動を再開したとはいえ、やはり気になる新型コロナウイルス感染症。
3月以来電車を利用せず、外出時はもっぱら自転車に頼る日々を送っています。
そんな中、横浜市までサイクリングに行ってきました。
その目的は、もう一つの電信創業の地を見ること!
「電信創業の地って何?」という方に簡単にご説明いたしましょう!
文明開化関連の史跡が多く残る中央区の明石町には、「電信創業之地碑」と刻まれた碑があります。
遡ること1869年、築地運上所内の「伝信機投所」と横浜裁判所内を結ぶ約32kmの電信線仮設工事がスタート。
同年12月25日には、日本初の公衆電気通信となる業務を開始しました。
(日本人が初めて電信機の実物を見たのは、ペリー艦隊が2度目の来航を果たした1854年と言われています。)
この碑は幾度となく見に行っていたものの、横浜側には同様の碑があるのか調べないまま月日が流れてしまいました。
しかし、ひょんなことから横浜側にも碑があると知り、思い立ったが吉日と早速現場へ!
こちらが、現在の横浜地方検察庁の敷地内に残されているもう一つの「電信創業の地」の碑です。
シンプルではありますが、電波模様が特徴的。
せっかくなので、小さい方の碑も見てみましょう。
明石町にある碑ほど詳細ではありませんでしたが、横浜ならではの日英2言語表記!
滞在時間はほんの数分と短かったものの、当時の電信線が結んだ東京~横浜間の約32kmを自力で走ったという感動に近い達成感を味わうことができました。
気温が下がると家にこもりがちになってしまいますが、食欲の秋とスポーツの秋のバランスが取れるよう、今後も密を避けながらこうして中央区に関する史跡を見に行きたいと思いました。