彫刻家 朝倉文夫と歌舞伎役者胸像との興味ある話を発見!

朝倉彫塑館(台東区)に行くことがあり、朝倉文夫となりの自伝書朝倉文夫文集『彫塑余滴』という中に歌舞伎役者像に関する文言があったのでご紹介します。
朝倉文夫曰く『予てより、私の一生の仕事として、明治の元勲を残らず作って、後世に残して置きたい念願を抱いているものだが、概に、現代までにも、大隈さん、井上薫さんから、小村寿太郎候、島津斉彬、久光、忠義の三公だとか、福沢諭吉翁、渋沢さん、団十郎、菊五郎、高島屋(市川左団次)、それに犬養さんのような政界の第一人者に至るまでを実際に拵えているわけで、すべての方面から明治という時代を形づくるよう、団、菊に至るまでの代表人物、百人から二百人までの胸像を、それぞれ後側に簡単な閲歴を刻して、神宮絵画館あたりに並べておきたいものとの考えがあるのだが、これは私の主張を土台としたものが、明治時代の場合なら出来るとの確信があってのことだ』
歌舞伎座
松竹創業者 大谷竹次郎翁像 1951昭和26年 朝倉文夫制作

松竹創業者 白井松次郎 1951昭和26年 朝倉文夫制作

大谷竹次郎と白井松次郎は兄弟です。胸像プレートには「大谷竹次郎翁・白井松次郎翁は松竹創立者にて我社が今日の隆盛を見たるは翁が努力によるところ大なり 玆に三十周年記念式典の挙行に当り我等一同此の像を作製し永く敬仰の念を止めむとするものなり 昭和二十六年五月十七日 松竹株式会社役員従業員一同」とあります。
昭和26年正月に歌舞伎座が開場した年にも当り、胸像寄贈には大谷竹次郎社長が大変感激され、白井松次郎翁は開場後1月23日に他界されたので、胸像はご覧になれなかったことが残念だったそうです。
九世 市川團十郎像 1936昭和11年 朝倉文夫制作

1937昭和12年第十回記念朝倉彫塑館展覧会市川團十郎・尾上菊五郎・市川左団次像出品
1964昭和39年第十一回日彫展遺作展示
五世 尾上菊五郎像 1936昭和11年 朝倉文夫制作

昭和11年第1回「九世市川團十郎・五世尾上菊五郎胸像建設記念・團菊祭興業」で披露。
その後、昭和19年世界第二次大戦中に供出され、鋳造型が残されていたことから復元されました。
團菊祭自体が昭和52年18年ぶりに復活されていました。昭和53年5月團菊祭で34年ぶりに、当時の海老蔵、菊五郎らで胸像除幕式が挙行されました。
初世 市川左團次 1936昭和11年 朝倉文夫制作

1893明治座創立者
昭和54年2月「四代目市川左団次襲名披露興業」の際に復元され、除幕式が行われました。
初世 松本幸四郎 制作年不詳 朝倉文夫制作

この他にも歌舞伎役者像は松本幸四郎像があります。4名の明治期の歌舞伎役者像が朝倉文夫の作品として、残されていることは素晴らしいことです。それぞれの凛とした名優の気迫が見るものに自ずと伝わってきます。
朝倉彫塑館 アトリエ

彫刻家 朝倉文夫(1883明治19年~1964昭和39年81歳没) 代表作「墓守」「時の流れ」「大熊重信像」「太田道灌」「尾崎幸雄像」「嘉納治五郎像」等
アトリエは門下生育成の「朝倉彫塑塾」でもありました。作品が上下移動する機械装置も完備するために鉄コンクリート製でできていたそうです。
400点近くの作品が生み出された関東大震災や第二次世界大戦でも被災を逃れたアトリエです。原型保存管理は安全で広い場所を要し、1964昭和39年朝倉文夫81歳で亡くなってからは管理に大変難しい状況だったそうです。
朝陽の間 東向きの大きな窓

瑪瑙壁・白貝殻壁・磨き丸太等の贅沢な格式ある作りが魅力的です。特に瑪瑙の赤い壁の色に、訪れた外国人の方々も吃驚したそうです。
朝倉彫塑館 有形文化財に指定された日本を代表する彫刻家・朝倉文夫が設計から手掛け、57年間暮らしたアトリエ兼住居です。1907明治40年から1935昭和10年まで増改築を繰り返し、独自の美意識で作り上げられたこの建築は、細部に至るまでこだわりを感じさせる朝倉流となっています。
入館料 500円 開館時間 9時30分~16時30分 休館日 月・金曜日
所在地 台東区谷中7-18-10 ☎03-3821-4549 日暮里駅 徒歩5分
参考文献 「朝倉彫塑館」 公益財団法人 台東区芸術文化財団
P.51尾上菊五郎P.52市川團十郎P.53松本幸四郎P.54市川左団次
「朝倉文夫文集 彫塑余滴」P.254、255
「朝倉彫塑館の記録」P.75-78塑像原型の保存と修復
「朝倉文夫 未定稿 我家吾家物譚」