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渋沢栄一も関わった!?近代水道の歴史に見る中央区


こんにちは。アクティブ特派員のHanes(ハネス)です。
12月1日は、東京の近代水道の始まりを記念する「東京水道の日」でした。
この記念日は2019年に登録・認定されたばかりで、淀橋浄水場から神田・日本橋地区に通水を開始した1898年12月1日に由来します。
当日は東京都水道歴史館(文京区)で記念イベントが開催されており、中央区における水道の知識を深めることができればと思い訪問しました。

江戸上水については漠然とした知識しかありませんでしたが、この歴史館の展示を一通り見終わる頃には、発掘された木樋や井戸、古文書等の貴重な資料から江戸の生活と水文化の発展についてより掘り下げて知ることができました。
今回は、歴史館で学んだ江戸上水と中央区の関係をヒントに、中央区にゆかりのある水道遺構や人物をご紹介したいと思います。
今では当たり前となった便利な水道ですが、その整備過程にはどのような努力や問題があったのでしょうか。

埋桝及び木樋

中央区立郷土天文館(タイムドーム明石)には、江戸時代の上水技術の歴史を伝える「中央区民文化財20 埋桝及び木樋が展示されています。
この埋桝及び木樋は、1975年に日本橋室町一丁目2番先の地下鉄工事現場にて発見された神田上水の遺構です。
神田上水は、江戸時代から1901年の改良水道の完成まで、現在の中央区にあたる地域への給水を行ってきました。
埋桝は現在の水道管の継手木樋水道管に相当するということで、それらがいかに重要な江戸のインフラだったのかは想像に難くありません。

そのような貴重な遺構は屋内でのみ保存・管理されているかと思いきや、実は街中でも間近で観察することができるのです!

木樋

街中で観察できる木樋として、以前夜行列車さんが「銀座の店先に江戸時代の木樋(水道管)が!」でご紹介していた金春通りのものが挙げられます。

 渋沢栄一も関わった!?近代水道の歴史に見る中央区


こちらは、八丁堀でのビル建設時に出土したものです。
江戸の町へは、玉川からはるばる水が引かれていました。
江戸城に近い日本橋周辺のみならず、八丁堀の方まで上水が整備されていたのですね。

 渋沢栄一も関わった!?近代水道の歴史に見る中央区


その一方で気になったのが、木樋の老朽化問題。
より安定的に給水できるようになった反面、水質に問題はなかったのでしょうか。
そのような疑問に対する答えは、歴史館の展示パネルが教えてくれました。

明治維新後の上水設備

歴史館の展示パネルによると、江戸時代から使用されている木樋による上水は、水路付近の市街化や木樋の腐朽、下水の混入等のため汚染が激しく、伝染病の危機にさらされていたそうです。
この由々しき事態は、東京日日新聞(明治12年12月11日)をはじめ新聞等でも取り上げられ、首都東京の水道設備の近代化が叫ばれるようになりました。

また、中央区にゆかりのある田山花袋は、明治維新前後から大正初期までの約50年における東京の街の変遷の描写を含む小説『時は過ぎゆく』の中で当時の水道の様子を以下のように描いています。

それは水に乏しい都會の爲に、わざ〱(わざ)遠くから昔の人が引いて來たもので、『上水に塵埃(ほこり)を捨つべからず』といふ表札がところ〲(どころ)に立てられつ〱(つ)あつた。それにも拘らず、古桶が捨てられ、古茶碗が放り込まれ、時には土手でつばなを摘んでゐた可愛い女の͡兒が過つて落ちて溺死したりした。かういふ上水では仕方がない。もう少し立派な水道にしなければいけない。かういふ話は、もう以前からあつた。


(田山花袋と丸善の関係は、先輩特派員与太朗さんの「文豪と丸善 尾崎紅葉、最後の買い物」をご覧ください。)

新聞やこの小説からは、明治時代には既に江戸時代の上水設備に多くの問題が生じていたことが手に取るようにわかります。
新たな課題が浮き彫りとなったのです。

 渋沢栄一も関わった!?近代水道の歴史に見る中央区


そんな上水をどうにかしようと大正初期に立ち上がった人の中に、あの渋沢栄一も含まれます。
彼は仲間と共に東京水道会社を設立し、横浜水道の設計に携わった英国人ヘンリー・S・パーマーに水道の設計・調査を依頼する等、本格的な水道整備に乗り出します。
その成果は、1921年「東京水道報告書」として提出され、後の「東京市水道改良設計」に活かされました。
(東京水道会社の委員会は、当時日本橋区坂本町にあった坂本町銀行集会所にて行われたこともあります。)
参考:公益財団法人渋沢栄一記念財団「東京水道会社」、デジタル版『実験論語処世談(30)』「6. 東京市水道との関係」、デジタル版『渋沢栄一伝記資料』15巻本文 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 1部 実業・経済 3章 商工業 29節 其他 6款 東京水道会社

江戸時代に導入された画期的な上水設備が今日の便利な水道になるまでを簡単に振り返ってみたら、そこには昔の人の知恵や技術の賜物を見ることができました。
特に、歴史館で鑑賞した上水の歴史のミニシアターに描かれていた、給水を心から喜ぶ江戸時代の人たちの姿が印象に残っています。
これを機に、きれいな水が安定的に供給されていることのありがたみを改めて感じました。

余談:排水溝

余談になりますが、中央区内には江戸時代の排水溝遺構も残されており、先輩特派員TAKK...さんが「東京国税局にある遺構とシャガの花」でご紹介していた通り、東京国税局の敷地内にひっそりと保存されています。

 渋沢栄一も関わった!?近代水道の歴史に見る中央区


こちらは築地から出土したもので、江戸時代に旗本大嶋家の屋敷と道路の境界に設けられてから昭和初期まで利用されていました。
しかし、時代の変遷とともに土地の用途が変わり、排水溝の一部が造り替えられるなど変化に対応しながらその役目を全うしてきた模様。

 渋沢栄一も関わった!?近代水道の歴史に見る中央区


確定申告等で東京国税局にお立ち寄りの際には、ぜひこの遺構を探してみてくださいね♪