下町トム

箱根駅伝の熱戦の記憶

今年のお正月は皆さんいかがお過ごしでしたでしょうか。
感染予防の観点から帰省や旅行を見送ってご自宅で過ごされた方も多かったのではないでしょうか。

そんな「自宅組」の方の中には、1月2日~3日にかけて開催された『箱根駅伝』をテレビ観戦されたご家庭も多かったものと思います。今回は最終区間で大逆転という劇的な幕切れでしたが、道中それぞれにドラマがあり、ワクワク、ハラハラしながらご覧になったかもしれません。

ゴール直前に「道路元標」がある〔日本橋〕を選手たちが渡るシーンは終盤のクライマックスといえるでしょう。東海道の起点である日本橋が、「天下の嶮」(てんかのけん)と言われた箱根から駆け戻ってきた選手たちを待ち受けるという意味深い場所ではないかと思います。

現在の出発・ゴール地点は大手町の読売新聞本社前ですが、かつて同社は長く銀座に本社を構え、第25回から47回まで、銀座が出発・ゴール地点でした。(その前は当時の有楽町・報知新聞社前)中央区は駅伝の歴史にも大きく貢献しているのです。

 箱根駅伝の熱戦の記憶

現在〔マロニエゲート銀座〕が入居している〔讀賣銀座ビル〕の場所が以前読売新聞本社があったところです。ビルの壁にそのことを記した銘板がひっそりと掲げられています。

かつてはこの界隈に朝日新聞社や報知新聞社があったほか、いくつかの出版社、報道機関も集まっており、銀座周辺はいわば「ジャーナリズムの街」でもありました。きっと明治以来の先進的、国際的な雰囲気が知識の源泉を呼び寄せたのでしょう。

ちなみに、読売新聞社は大手町の本社ビル建て替えの間(2010~2014年)、一時期銀座へ里帰りしていました。かつて日産自動車の本社も入居していた〔銀座6丁目ーSQUARE〕がその場所です。今その前を通ってみるとフェンスに囲われており、どうやら再開発になるようです。

東京の町は日々変貌していきますが、路地のあちらこちらに埋め込まれた記憶を大切にしたいと思うばかりです。