RIEdel

晴海今昔物語(2)Back to 1994~Beforeトリトン時代の晴海~

晴海今昔物語の第1弾として、前回は晴海橋梁と晴海の歴史を紹介した。
その調査過程で「晴海イラストマップ」という楽しい資料を発見したので、今回はそのマップをもとにトリトンスクエアができる以前、1994年頃の晴海の姿に迫りたいと思う。

晴海イラストマップについて

晴海イラストマップは、1994年頃の晴海エリアの様子を手描きイラストで表現したB3大のマップである。
地元地権者自らの手によるまちづくりを推進する目的で設立された「晴海をよくする会」により、1994年11月に発行された。

 晴海今昔物語(2)Back to 1994~Beforeトリトン時代の晴海~

「晴海イラストマップ」の全体像 (企画・発行:晴海をよくする会)

マップを子細にみていくと、「おお、以前はこんな建物があったのか」「へー、ここの土地は昔はそんな風に使われていたんだ」と、楽しい発見がいくつもあった。マップの右側から順番に紹介していこう。

晴海トリトンスクエアの場所にあったのは…?

現在の晴海地区において最もアイコニックな建物といえば、間違いなく晴海トリトンスクエアだろう。あの建物ができる以前、そこには何があったのだろうか。
マップの該当箇所、黎明橋の北側(右側)を見ると、自動車のイラストとともに「コヤマドライビングスクール」の文字が目に飛び込んでくる。ほほー、ここには自動車学校があったのか。
その下に目を移すと、今度は複数の白っぽい直方体を発見。前川國男氏設計の、かの有名な「晴海高層アパート」である。このイラストマップから、土地面積に比べてかなりゆったりと建てられていたことが伺える。

 晴海今昔物語(2)Back to 1994~Beforeトリトン時代の晴海~

(1) 自動車学校・公団住宅等の跡地に建つトリトン
(2) トリトンの北東側に今も立ち並ぶ集合住宅

前川国男氏設計の晴海高層アパートは1997年に解体されたが、その当時の記憶は今も晴海第一公園内に残されている。
ベンチの後ろにひっそりさりげなく設置されているのは、晴海高層アパートに使われていた手摺やパネルだ。手摺の角の丸みから、仕事の丁寧さと高度経済成長期特有の明るさを感じる。

 晴海今昔物語(2)Back to 1994~Beforeトリトン時代の晴海~

上:外廊下の手摺パネル
右下:バルコニーの手摺り

晴海運河(晴海埠頭)の北側にあったのは…?

イラストマップの右下エリア、晴海運河沿いの北側にはどんな建物があったんだろう?と目をやると…

 晴海今昔物語(2)Back to 1994~Beforeトリトン時代の晴海~

(1) HARUMIドーム21他が建っていた場所
(2) 秩父小野田(晴海小野田レミコン)の跡地

むむっ?イラストのカモメの右翼あたりに「HARUMIドーム21」という不思議な建物がある。マップの説明書きによると、建築・住宅・都市を中心とした情報発信基地だったそう。1994年当時、晴海5丁目以外にもドーム的なものがあったのは驚きだ。
HARUMIドーム21の下をみると、パラソルに白いチェア、ヤシの木などが並ぶ何やら南国リゾートっぽいスペースがある。なんと、かつてここには「ピア晴海」なるシーフードレストランがあったそうな。 勝どき駅もまだ出来ていない頃の、アクセスに乏しい晴海に、こんなおしゃんてぃなレストランがあったとは…。うーむ、バブルのかほりがする。
今、同じ場所にはタワーマンションが立ち並び、運河沿いには気持ちのよい水辺のテラスが広がっている。
マップ右下にある丸い筒状のものが並んでいるのは、セメント会社の秩父小野田(晴海小野田レミコン)だ。あのタカアシガニのように長ーーーーいパイプが特徴的な工場の姿を記憶している方も多いだろう。江東区東雲の新工場竣工により2014年12月26日に閉鎖となった。

90年代以前の晴海が色濃く残る晴海3丁目と4丁目

イラストマップを縦に走る晴海通り、その左側に広がっている晴海3丁目と4丁目のあたりには、今も目にする建物がチラホラ描かれている。

 晴海今昔物語(2)Back to 1994~Beforeトリトン時代の晴海~

(1) 晴海埠頭沿いに並ぶかまぼこ型倉庫は今もその場に…
(2) 右奥の白いビルが江間忠ビル、左手前ベージュ色の低いビルが東京鰹節センター

例えば、晴海埠頭側の倉庫群の図を現状と比較すると、かまぼこ型の倉庫やその隣の鈴江組倉庫は、1994年当時から今も変わっていないことがわかる。
またマップ上で「22」と番号がふられている背の高いマリナーズコートホテル、その右に並ぶ東京郵政局・東京税関・NTT晴海のビルは、名称や使われ方は変われど建物はすべてそのまま残っている。
マップ上側(晴海3丁目)のエリアでは、イラストにある3つの建物(江間忠・東京鰹節センター・住吉神社晴海分社)が現在も使われている。
日産自動車販売の跡地は、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会期間は、晴海埠頭バスターミナルの代替地として運用されている。

東京2020大会の選手村がある晴海5丁目に建っていたのは…?

さて、いよいよ晴海運河の最も河口よりのエリア、晴海5丁目である。
ここに何があったのか、ご記憶の方も多いことだろう。そう、東京モーターショーなどの大規模な国際イベントが開催されていた「東京国際見本市会場」(通称「晴海見本市会場」)である。

 晴海今昔物語(2)Back to 1994~Beforeトリトン時代の晴海~

(1) 東側エリアにあったドーム(東館)は通称「ガメラ館」と呼ばれていた
(2) 晴海5丁目最南側(東京湾側)にあるのは、もちろん晴海客船ターミナル

昭和34年(1959年)に完成した東京国際見本市会場では、第6回から第27回まで連続して22回、東京モーターショーが開催された。
イラストマップ中央の丸いドーム(東館)には、自動車メーカー各社が技術の粋を集めて開発した新型車がズラリと並び、日本中のクルマ好きをくぎ付けにしたという。また展示会だけでなく、1970年代初頭まではドームがスケートリンクとしても活用されていた。
マップをみると、左上(南西角)には「水上バス発着所」の文字がある。都心からもアクセスしやすいように、竹芝から晴海へ渡る水上バスが運行されていたそうだ。水上バス発着所があった場所には、現在は臨港消防署本署が建っている。

晴海埠頭の最南端にあるのは、大きな船のイラストからわかるとおり「晴海客船ターミナル」である。1994年当時はターミナル内に「May Kiss」というレストランや「ボンボヤージ」という喫茶店が営業していた模様。
レインボーブリッジや東京タワーが見渡せ、都内でも有数の夜景スポットとして有名だったが、施設の老朽化や客船の大型化需要への対応が難しいなどの理由から、東京2020大会後に解体されることが決定している。

おまけ:かつて晴海には〇〇〇があった

今回参考にさせていただいたイラストマップは、目でみて楽しいだけでなく、掲載されている文字情報を読んで驚かされることも多かった。
「ご存じですか?」のコーナーには、晴海5丁目の一部が戦後進駐軍の飛行場として利用されていたことがさらりと書かれている。

 晴海今昔物語(2)Back to 1994~Beforeトリトン時代の晴海~

え、これってひょっとして…?

え、晴海に飛行場?
じゃあ、晴海地区を南北に走っているあの広い道路(都道304号線)の一部は、滑走路だったってこと?え、ちょっと待って。またイチから晴海を調べなければ気がすまなくなってきてしまった…。
いやぁ、晴海って奥が深い。

アクセス情報

■晴海トリトンスクエア
〒104-0053 東京都中央区晴海1-8-16
都営地下鉄大江戸線「勝どき」駅下車 A2a・b出口(月島駅側)より徒歩4分
東京メトロ有楽町線・都営地下鉄大江戸線「月島」駅下車 10番出口より徒歩9分
 
■晴海第一公園
〒104-0053 東京都中央区晴海1-7-3
都都営地下鉄大江戸線「勝どき」駅下車 A2a・b出口(月島駅側)より徒歩12分
東京メトロ有楽町線・都営地下鉄大江戸線「月島」駅下車 10番出口より徒歩10分