べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 異聞 ④
~ 礒田湖龍斎 ~

リモートで、愛する中央区をナビゲートします、rosemary sea です。
NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)~」第4話はいかがでしたか?
中央区に関するネタ先、今回も見つけ出しました。
礒田湖龍斎(いそだこりゅうさい)、浮世絵師です。
礒田湖龍斎は薬研堀(やげんぼり:現在の東日本橋)に居を構えていた、とのこと。
今回は礒田湖龍斎にスポットを当てていきます。
なお、冒頭画像は東日本橋2-6-8、大本山川崎大師東京別院・薬研堀不動院です。東日本橋繋がりで載せました。
薬研堀不動院は以前ご紹介させていただいております。
⇒ 2020年1月7日『やげん堀納めの歳の市、「江戸太神楽」公演 ~江戸太神楽 丸一仙翁社中~』
⇒ 2020年12月14日『忠臣蔵異聞、今昔、そして「歳の市」「大出庫市」中止のお知らせ ~やげん堀歳の市保存会~ ~東日本橋やげん堀商店会~』
それでは・・・
礒田湖龍斎は・・・

上の画像は東日本橋2-6-8、矢ノ庫(やのくら)稲荷神社です。東日本橋繋がりです。
こちらも以前紹介済みです。
⇒ 2022年7月19日『人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社 ⑫ ~矢ノ庫稲荷神社~』
江戸中期の浮世絵師。享保20年(1735年)の生まれと言われています。
当時「錦絵(にしきえ)」で一世を風靡しました鈴木春信に影響を受け、名前も鈴木春弘と名乗っていました。
明和年間の終わりから頭角を現します。
安永元年(1772年)に鈴木春信が亡くなりますと、翌安永2年からは礒田湖龍斎に改名し、鈴木春信の後継者的立ち位置を確立します。
そして天明2年(1782年)、絵師として誉れのポジションの「法橋(ほっきょう:ここでは医師、仏師、絵師、連歌師などに、僧位に準じて与えられた称号)」に任ぜられました。
礒田湖龍斎が得意としておりましたのは「柱絵(はしらえ※後述します)」。
ですが代表作と言えば「雛形若菜初模様(ひながたわかなはつもよう)」。江戸の華やかな遊郭文化を描いた錦絵シリーズ、この時代と場所に沿ったすばらしい蔦重とのコラボ企画です。
これを出したのが蔦重と西村屋、共同の版元。蔦重、晴れて版元としてデビュー、のはずでしたが・・・。
湖龍斎の「雛形若菜初模様」の画像はこちらでご覧ください。
⇒ 神奈川県立歴史博物館ホームページ 浮世絵の誕生 「雛形若菜の初模様 角町(かどまち)大黒屋内三つあや すみの まつの」
柱絵は・・・

この画像は東日本橋2-27-9、初音森(はつねもり)神社です。こちらも東日本橋繋がりです。
初音森神社のご紹介はこちらです。
⇒ 2020年12月28日『人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社NO.31 ~初音森神社~』
浮世絵の様式のひとつとして、柱絵は江戸時代に描かれました。
柱に飾るための浮世絵、縦約70cm、横約12cmほどの絵。
立ち姿の美人画が多かったようです。
女性を描いた場合、それが豊満な女性であってもむしろ柱絵のような極めて細長い、縦長の浮世絵ならば映える、というのが流行りとなった理由でもありました。
「べらぼう・・・」での礒田湖龍斎は・・・

こちらの画像は東日本橋2-25、川上稲荷神社です。こちらも東日本橋繋がりです。
過去の紹介はこちらです。
⇒ 2020年9月28日『人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社NO.26 ~川上稲荷神社~』
お笑い芸人の鉄拳さんが演じています。素顔で登場ですね。
鉄拳さんは絵が上手ですが、ペンで描くのと違い、筆で描くのは大変だったでしょう、尊敬します。
礒田湖龍斎
~ 蔦重初期の錦絵、『雛形若菜初模様』を手がけた絵師 ~
蔦重(横浜流星さん)が企画して、西村与八(西村まさ彦さん)と共に出版した『雛形若菜初模様』の絵師。
吉原の女郎たちに新しいデザインの着物を着せて描いた雛形本の浮世絵版の先駆けとして、当時の女性たちの関心を集めることになる。
ー NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」ホームページより ー
・・・ちなみに「べらぼう・・・」第4話では、平賀源内から「耕書堂」の名を与えられた蔦重、ですが『雛形・・・』は甘い罠、「耕書堂」蔦重は版元と認められずはしごをはずされたかたちでラストを迎えました。これからどうなるのでしょうか。
・・・これからも「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」、中央区に関連した画像・ワードに反応していきたいと思います。