rosemary sea

人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社 NO.31
 ~ 初音森神社 ~

『ギフト、そして自分も楽しむ』をジーニアスになりきり取材します、rosemary  sea  です。

 

「人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社」シリーズ、第31回の今回は、初音森神社(はつねもりじんじゃ)をご紹介します。

それでは・・・

 

御由緒

御由緒 人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社 NO.31
 ~ 初音森神社 ~

当神社は元弘年間(1330年頃)に創祠されました。

文明年中太田道灌公により大社殿が建てられました。

当時「初音之里」と呼ばれ、奥州街道沿いの樟(くすのき)などが生い茂った森、すなわち、後の「初音の森」が現在の馬喰町(ばくろちょう)靖国通り交差点の辺りでありました。

なお、この処を「初音の森」と称(とな)え、日本橋4之部、馬喰町、横山町はその中心に位置し、社殿建立によって、付近の産土(うぶすな)神として信仰をあつめました。

天文20年(1551年)、社殿に馬場ができ、初午(はつうま)祭には馬追いの催し等が行われ、「天正日記」に初音の馬場を、当時の博労(馬喰:ばくろう)高木源兵衛預りの記録があります。

徳川幕府の入府後、この所が見附番所(浅草見附門)建設にあたり境内地の半分ほどが削られ、さらに明暦3年大火後、その別当地(神社をお守りする寺)も関東郡代屋敷用地となり、現在本社のある墨田区千歳に替え地を拝領し遷宮しました。今日に及びます。

昭和23年、旧蹟の一部であるこの所(現地)に神社を建立し、昭和48年12月、神殿及び儀式殿を近代建築としました。

 

 人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社 NO.31
 ~ 初音森神社 ~

2階のお賽銭箱は、取材日現在、設置されておりませんでした。

なので、「お賽銭・御朱印料は1階のお賽銭箱にお納めください」との張り紙が、2階にありました。

 

 人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社 NO.31
 ~ 初音森神社 ~

名馬 三日月

奉祝 敬宮愛子内親王殿下御誕生

平成15年10月吉日

・・・と記されています。

 

名井・三日月の井戸
御由緒

名井・三日月の井戸
御由緒 人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社 NO.31
 ~ 初音森神社 ~

慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦起るや徳川家康は下野国の小山にいたが、急遽引き返し初音の馬場に勢揃いし、木村常陸之介を代表として初音森神社に戦勝祈願。

神井の水にて一息、乗馬にもその水を呑ませて出発、大勝して帰った。

後、その縁故を以って神井に三日月(みかづき)と命名したと伝えられている。

明暦3年(1657年)の大火後、神社寺院の境内が幕府の用地に指定され、移転することとなり、初音森神社も当時下野国葛飾郡たる現在本社のある墨田区に遷宮した。

旧跡は一部郡代屋敷、他は町家となり、三日月の井戸も町家の庭内となった。

江戸時代、飲料水は順次水道となったが、もちろん充分ではなく、用水として井戸を掘っても飲料には不適であるため、良水の井戸は有名となり、古老の話には「三日月の井戸の水は水売り商人が諸々に運んで売ったものだ」と云う。

この井戸のあった家に、浮世絵師・喜多川歌麿が紫廼家と名乗り住んでいたが、ある問題で歌麿が罰せられ、遂に病死した。

その後住んだ染物屋が有名な「歌麿」の屋号ををつけて「むらさきや」とした。

むらさきやは三日月の井戸を使用するにあたり、別に神祠を建て、初水を供えて使用したと云う。

明治に至り、水道の発達により同20年頃、井戸は埋められたが、井桁に組まれた石の井戸枠は、昭和3年の区割整理まで保存され、むらさきやが移転に際し先祖よりの伝承を説明し、神祠の神鏡を当社に納めた。

その神鏡は今も初音森神社に祀られている。

 

 人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社 NO.31
 ~ 初音森神社 ~

御本殿は近くの墨田区千歳にあります。

 

 人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社 NO.31
 ~ 初音森神社 ~

神殿がビル2階にある神社、というのはここだけかもしれませんね。

 

こちらは人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社⑮ 竹森神社 (8月15日)でご紹介させていただきましたとおり、「江戸七森」のひとつにも数えられているようです。

 

 人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社 NO.31
 ~ 初音森神社 ~

今回も古典落語、ご披露させていただきます。

第23回となりました。

初音森神社の「初音」からの噺、「初音の鼓(はつねのつづみ)」をチョイスしました。

 

<事前確認コーナー>

もうひとつの「初音の鼓」・・・

今回ご紹介させていただきました噺の他、義経千本桜の佐藤忠信とその兄継信をもじった「ただの夫(ぶ:夫役【ぶやく】:強制的に労役を課された人)、「次の夫」をオチとした噺もあります。

また、佐藤忠信からは「源九郎狐」、「猫の忠信」といった噺にもつながります。

 

初音の鼓・・・

源義経が静御前に与えた鼓。

源九郎狐の両親:雄狐雌狐の皮が張られていると云われています。

この鼓を太陽に向かって打てば、雨を降らせることができるそうです。

 

初音・・・

ウグイスなどの鳥獣や虫が、その年に初めて鳴く声のこと。

 

 人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社 NO.31
 ~ 初音森神社 ~

「初音の鼓」

 

骨董品が大好きな殿様がおりました。

古道具屋の金兵衛は一儲けをたくらんで、まず殿様重臣:三太夫を凋落(ちょうらく)にかかります。

持って参ったのは「初音の鼓」。

三太夫「本物か?」

金兵衛「真っ赤な偽物です。」

鼓を打つと近くにいる者に狐の霊が乗り移り「コン」と鳴く、と言って殿様をだます、それに三太夫を巻き込みます。

三太夫が協力してくれれば一鳴きにつき一両払う、と持ち掛けます。

 

殿様が鼓を「ポン」と打つと三太夫が「コン」、「ポンポン」「コンコン」・・・、三太夫は大儲けです。

 

殿様、今度は金兵衛が鼓を打て、と。金兵衛はあせります。

ですが、「ポン」と打つと今度は殿様が「コン」、「ポンポン」「コンコン」・・・。

 

殿様「もうよい、本物に相違ない、百両で買うぞ、金子をとらす。」

三両を受けた金兵衛「三両ですか?百両ではございませんか?」

殿様「余と三太夫の鳴き賃、差し引いてあるぞ」

 

初音森神社

初音森神社 人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社 NO.31
 ~ 初音森神社 ~

東日本橋2-27-9

東京メトロ日比谷線・都営浅草線 人形町駅 A4出口の久松警察署・明治座さん側(人形町交差点側ではありません)を出て右へ少し。

金座通りを約400m、「久松町」交差点を渡り左折して「清洲橋通り」を進む。

約200mで「清杉通り」に右前方に折れ、約550m先右側の両国郵便局の右隣りにあります。

至近は東日本橋駅になります。

 

※ お正月の「日本橋七福神めぐり」、椙森神社と笠間稲荷神社の間、かなり遠回りになりますが、初音森神社をプラスして巡るのもいかがかと。