桜やよい

月刊日本橋10月号「渋沢栄一日本橋に遺したもの」の特集を
ご紹介します!
栄一の住居変遷を追ってみました!

栄一は東京では最初に築地に住んでいました。その後、神田猿楽町、兜町、深川、兜町、三田、飛鳥山へと転居します。

「本年度の大河ドラマの主人公,2024からの新1万円札の顔。いま改めて注目されている。日本資本主義の父・渋沢栄一。今号では、兜町を中心に日本橋でのその活躍の軌跡を紹介する」

月刊日本橋ホームページhttps://www.nihombashi.co.jp

栄一29歳1869明治2年築地住居

大熊重信邸5千坪(旧旗本 戸川安良旧邸)の近所に渋沢栄一邸の住居があったようです。

大蔵省に近くその時の政府の中核が議論する場として、築地の大隈邸を中心に住居があることが自然の流れだったようです。

早稲田大学では、本庄早稲田の杜ミュージアムにおいて、2021.9.11~11.14『大隈重信と渋沢栄一展』を開催しています。https://www.waseda.jp

栄一の経営していた「耕牧舎」の牧場は父 新原新三が牛乳販売会社支配人をしていた1892明治25年芥川龍之介の生誕地だったようです。その後、牧場は栄一から譲り受けたようです。

詳しくは、中央区観光協会特派員ブロブネームHanesさんのー芥川龍之介の生誕地「耕牧舎」の謎に迫るーhttps://tokuhain.chuo-kannkou.or.jp/dotail.php?id=1916

をご覧ください。

栄一31歳1871明治4年神田猿楽町住居1872明治5年11月ー1874明治7年12月神保町付近

西郷隆盛がふらりと相馬藩の興国安民法について相談しに訪ねてきました。それに対し、栄一は「相馬一藩の小事より、参事として一国の興国安民法を如何にすべきかが大事だ」と切論しますと、西郷は黙々と辞されたと栄一は語っています。

栄一は西郷とは、12歳年下にもかかわらず京都・相国寺で一橋家臣の時に気に入られて豚鍋をつつき合い忌憚のない議論を言い合える間柄でしたが、「維新の豪傑のうちで、知らざるを知らずとして、虚飾のなかった人物は西郷公で、実に敬仰に堪えぬ次第である」と述べています。

文献「論語と算盤」渋沢栄一著」角川文庫P.198-200

栄一33歳1873明治6年兜町住居

栄一36歳1876明治9年深川副住町住居⇒三田⇒青森⇒江東区・清水建設イノベーションセンターに移築

栄一の邸宅の中で、唯一現存する建物です。青森県六戸町に移転して、江東区の清水建設イノベーションセンター内にまた2022年に戻ってくるとはなんと不思議な巡り合わせでしょう。

1万坪を超える敷地内に蔵が多く道路を隔てて、大島川(現・大島川西支川)が流れる場所でした。

江戸時代から問屋や諸藩の蔵屋敷が多く米殻などの物資集散地としての機能を兼ね備えていました。

深川の米問屋近江屋喜左衛門宅だった住居を栄一が選んだのは、既存のインフラを活用できる物流センターの拠点として魅力だったのことも理由の一つに上げられます。

文献「日本常民文化研究所創立100周年記念事業神奈川大学文化財研究所」

タウン誌深川「特集 渋沢栄一が生きた深川」2013.№210」

栄一48歳1888明治21年兜町洋館住居ー1923大正12年関東大震災で焼亡

栄一48歳1888明治21年兜町洋館住居ー1923大正12年関東大震災で焼亡 月刊日本橋10月号「渋沢栄一日本橋に遺したもの」の特集を
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栄一の住居変遷を追ってみました!

日本橋川沿いに建つベネチアンゴシック様式の建築2階建ての洋館 辰野金吾設計

飛鳥山に転居後も渋沢事務所として使われ、引き続き日本橋に拠点を置いたそうです。

栄一は密かに慶喜の伝記を自費で編纂しようと考えていました。名誉回復として、慶喜こそ維新の大功労者なのだと後世の人に伝えようとしました。戊辰戦争の折、政府に恭順の姿勢を貫き通すことで政権交代がスムーズに進み、明治維新への歩みが早まったという見解をもっていました。

伝記の編纂過程では、慶喜を交えた座談会が1907明治40年から足掛け7年、計25回に渡ってほとんど渋沢事務所で開かれました。

慶喜は兜町に通って編纂員の歴史学者からの取材に応じましたが、その場には必ず栄一が付き添っていたようです。

慶喜は伝記の完成を待たずして、1913大正2年この世を去りました。

『徳川慶喜公伝』は栄一の私財を投じて1917(大正6年)に完成しました。

慶喜公の伝記が兜町から生まれたことは私も知りませんでした。

 

栄一65歳1905明治38年三田網町住居

旧薩摩藩士子爵 仁禮景邸の敷地を購入 深川邸を移築・2階建て洋館を増築し、和洋折衷の建物となりました。

文献「日本常民文化研究所創立100周年記念事業神奈川大学文化研究所」

栄一61歳1901明治34年飛鳥山に転居

栄一61歳1901明治34年飛鳥山に転居 月刊日本橋10月号「渋沢栄一日本橋に遺したもの」の特集を
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栄一の住居変遷を追ってみました!

現在、コロナ感染予防のため、オンライン申し込みによる完全予約制をになっているそうです。

北区西ヶ原2-16-1洋風茶室「晩香慮」・青淵文庫公開

https://www.shibusawa.or.jp

栄一故郷で1931昭和6年91歳で死亡

故郷で永眠した栄一の91年の生涯は日本の経済界の父と呼ばれるのに、相応しい生き方だったと思われます。

渋沢栄一の存在が今クローズアップされています。

『中央区まるごとミュージアム2021イベントガイド』17番日本橋図書館展示「日本橋ゆかりの渋沢栄一」

10月29日から12月22日までに是非、お出掛けください。

日本橋図書館https://www.library.city.chuo.tokyo.jp/

月刊日本橋は「三重テラスには前月号の月刊誌も手に入ります!是非、お立ち寄りください。

三重テラスhttps://mieterrace.owst.jp