たけちゃん

創業文化三年 日本橋の和紙舗「榛原」の竹久夢二一筆箋
東京まんなかippin堂コラボ企画

こんにちは、新人特派員の「たけちゃん」です。

今回は「東京まんなかippin堂」とコラボ企画です。中央区を代表するお土産品として、 みなさんの投票によりセレクトされた 中央区推奨土産品の一つ、日本橋の和紙舗「榛原」竹久夢二 一筆箋

株式会社榛原の田村英明さんに伺ったお話をもとに、その魅力にせまります。

明治20年頃の「榛原」と日本橋の様子

明治20年頃の「榛原」と日本橋の様子 創業文化三年 日本橋の和紙舗「榛原」の竹久夢二一筆箋
東京まんなかippin堂コラボ企画

榛原の創業は文化3年(1806年)。徳川第11代将軍「徳川家斉」の時代まで遡ります。榛原の創業者の「佐助」は日本橋の須原屋茂兵衛(すはらやもへえ)で奉公の後に独立し、日本橋の南側に紙、墨、薬を販売する店を構えました。

この絵は創業から約80年後の明治20年頃に出版された木版画です。時代は文明開化。絵の左側には日本橋が描かれています。右側に描かれている黒い瓦の建物が当時の榛原です。白字に黒い字で書かれた暖簾(のれん)には「雁皮紙 榛原」と書かれ、暖簾の下にはうちわが飾られています。

雁皮紙とは当時熱海付近に自生していた雁皮とよばれる和紙原料の植物で、この雁皮紙の書き心地の良さ、とりわけ、薄くつやがあり、なめらかな筆あたりが“粋”だと評判になり、江戸、そして東京でも話題となり、榛原は和紙業界のスターダムへと歩みはじめたのです。

絵の中をよく見ると、榛原で仕入れたうちわを売り歩く人の姿も見つけることができます。榛原は文明開化の時流も取り組み、和紙だけでなく西洋紙も扱っていたよたようです。暖簾の右側には「西洋紙品々」という看板が見えます。

電信柱の左側には1873年(明治6年)に渋沢栄一が創設した日本最古の銀行「第一国立銀行」が見えます。榛原の田村さんによると「当時の東京の名所なので、賑わう中心地の象徴として描かれているのだと思います」とのことです。

 

三代目榛原直次郎の交流が「榛原デザイン」の礎(いしずえ)に

三代目榛原直次郎の交流が「榛原デザイン」の礎(いしずえ)に 創業文化三年 日本橋の和紙舗「榛原」の竹久夢二一筆箋
東京まんなかippin堂コラボ企画

榛原の当主は以前、代々「榛原直次郎」を名乗りました。

三代目榛原直次郎は、若い頃から美術研究に熱心し、明治16年、日本美術復興を目的として結成された龍池会に入会しました。明治24年には日本青年絵画協会(のちの日本美術院)の設立を援助しました。

三代目榛原直次郎は柴田是真川端玉章河鍋暁斎などの一流の画家と交流を深め、これが、現代に続く「榛原デザイン」の礎となっています。

上の写真は柴田是真ぽちぶくろです。

「東京まんなかippin堂」セレクト「竹久夢二の一筆箋(いっぴつせん)」

「東京まんなかippin堂」セレクト「竹久夢二の一筆箋(いっぴつせん)」 創業文化三年 日本橋の和紙舗「榛原」の竹久夢二一筆箋
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時代は大正に移りました。四代目榛原直次郎は、大正ロマンを代表する画家「竹久夢二」と深い親交がありました。夢二は、榛原の便箋、絵封筒、絵葉書、千代紙、うちわ、広告等の図案を 数多く手掛けました。

夢二は榛原のデザイナーであると同時に、作品制作に必要な和紙を求める顧客でもありました。今でいうwin-winの関係ですね。

 創業文化三年 日本橋の和紙舗「榛原」の竹久夢二一筆箋
東京まんなかippin堂コラボ企画

今回「東京まんなかippin堂」にセレクトされたのは「竹久夢二の一筆箋(いっぴつせん)」。デザインは全部で12種類。一般の一筆箋に比べると細身のデザイン。もともとは絵封筒の図案でした。それぞれの題名は、詩人でもある夢二本人が考案したものです。「柄がいろいろあるので、季節にあわせてお選びいただける榛原の定番商品です。幅広い年齢層にお買い求めいただいています」と田村さん。

 創業文化三年 日本橋の和紙舗「榛原」の竹久夢二一筆箋
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「たけちゃん」も「櫻」の一筆箋を購入し使ってみました。最近は、手書きで手紙を書く機会はめっきり減ってしまいましたが、息子に向けて「今日のテスト頑張ってね パパ」と試しに書いてみました。息子も私からの手書きの手紙は珍しいようで、不思議な表情で手紙を受け取ってくれました。

多くの文人がひいきにした榛原の和紙は書き心地が良いだけでなく、触り心地もとってもいいです。

手書きの手紙はレアだからこそ、受け取るほうは驚き、うれしいものです。相手のハートを瞬時に射抜くサプライズ手段として、「竹久夢二 一筆箋」を利用してみてはいかがでしょうか?

たけちゃんのあとがき ~明治初期から海外展開をしてたんですね~

たけちゃんのあとがき ~明治初期から海外展開をしてたんですね~ 創業文化三年 日本橋の和紙舗「榛原」の竹久夢二一筆箋
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榛原の和紙を中心にした品ぞろえは、海外からのお客様も惹きつけるようです。時には大物アーティストのお忍び来店もあったようです。

コロナ前はかなりのたくさんの外国人旅行客が榛原へ足を運んだようです。

「最近では少しずつ海外のお客様も戻り始めています」と田村さん。

 創業文化三年 日本橋の和紙舗「榛原」の竹久夢二一筆箋
東京まんなかippin堂コラボ企画

実は130年以上前に、榛原はウィーン万博(1873年)、パリ万博(1878年)、バルセロナ万博(1888年)など数々の万国博覧会に雁皮紙をはじめ、団扇、襖紙、千代紙などの品々を出品しました。これは、日本の貴重な文化をヨーロッパ諸国へアピールする重要なチャンスを得たことになるでしょう。江戸時代から現代まで生き抜いてきた長寿企業の榛原。何度も苦難をくぐり抜け、200年以上にわたり続いた秘密が、今回の取材を通して少し理解できた気がします。

 創業文化三年 日本橋の和紙舗「榛原」の竹久夢二一筆箋
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最後に、不慣れなインタビューに誠実に答えてくださった株式会社榛原の田村英明さんに改めてお礼を申し上げます。ありがとうございました。

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榛原へのアクセス

榛原へのアクセス 創業文化三年 日本橋の和紙舗「榛原」の竹久夢二一筆箋
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