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歌舞伎小屋江戸三座・四座は有名ですが、蛎殻町の歌舞伎小屋「中嶋座」を知っていますか?

明治時代に14年間の歴史を残した歌舞伎小屋『中嶋座』が蛎殻町にありました。私も半年前までは知りませんでした。簡単に歴史を紐解いてみましょう。

① 明治6年2月21日に両国の芝居小屋が取り払いとなり、中嶋座は蛎殻町の元銀座新屋敷跡(通称蛎殻銀座)へ移動

② 明治6年4月21日 蛎殻町2~8に中嶋座開場(現在の蛎殻町1丁目新大橋通り沿い、水天宮の近くです)地図参照

③ 明治20年12月19日 13:00頃中嶋座から出火、蛎殻町3丁目・松島町一帯1,690戸を焼き。中嶋座も燃えてしまいました。再建されなかったので、蛎殻町の小屋は14年間の歴史しかありません。

銀座木村屋総本家とのコラボは有名な話!

銀座木村屋総本家とのコラボは有名な話! 歌舞伎小屋江戸三座・四座は有名ですが、蛎殻町の歌舞伎小屋「中嶋座」を知っていますか?

明治8年4月4日。銀座木村屋総本家は、東京向島の水戸藩下屋敷を行幸された明治天皇に初めて酒種桜あんぱんを献上しました。あんぱんのへそに奈良の吉野山から取り寄せた八重桜の花びらの塩漬けを埋め込み、季節感をたっぷり盛って焼き上げられたあんぱんです。「引き続き納めるように」と両陛下のお言葉を頂き、献上の世話役、鉄舟こと山岡鉄太郎侍従の表情もゆるんだようです。

鉄舟は木村親子の成長が嬉しく、この年「木村家」の看板を書いて贈っています。現在の銀座本店入口に掲げられている看板です。(※残念ながら、オリジナルは関東大震災で焼失しています)

明治維新後、西洋文化が急速に流入し、パンも少しずつ普及し始めていましたが、明治8年に明治天皇が召されたことで大衆の間でパンが親しまれるようになりました。文明開化という言葉がはやりだした明治の初期の流行語に「文明開化の7つ道具」というものがありましたが、その内訳は「新聞社」「郵便」「瓦斯(ガス)灯」「蒸気船」「写真絵」「展覧会」「軽気球」「岡蒸気」そして「あんぱん」でした。これらが「銀座の発展」に大いに寄与したのでしょう。
そして明治18年、鹿鳴館時代を反映して銀座に「廣目屋」(銀座1丁目に現存)という楽隊を率いる「チンドン屋」がお目見えしますが、木村屋は宣伝のためにいち早くこれを採用し、銀座木村屋総本家の名は津々浦々まで響き渡りました。
明治20年、銀座木村屋総本家のあんぱんは歌舞伎の中嶋座正月興行にとりあげられ、当時人気絶頂の初代市川猿之助(浮世絵の説明では『松尾猿之助』と書かれていますが、これが市川猿之助でしょう。小屋の格の違いから、正式の芸名は使えなかったと考えられます)、中村時蔵、中村寿三郎らの名演技に東都の人気を集め大盛況でした。おまけにその主演場面のフィナーレを描いた目のさめるような錦絵が売り出され、評判をとったようです。

舞台では以下のような歌が披露されました。

『パン、パン、パン 木村屋パンを ごろうじろ 西洋仕込みの 本場もの 焼きたて 出来たて ほくほくの 木村屋パンを 召し上がれ 文明開化の味がして 寿命が延びる 初物 初物』日本最初のコマーシャルミュージックです。

参考文献:

1) 絵本役割番付 明治19年5月作

2) 中嶋座正月興行錦絵 明治20年