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臨幸記念碑と天皇巡幸のお道筋

東日本橋の日本橋中学校の裏手、隅田川沿いの浜町河岸通りにひっそりと建っている臨幸記念碑。昭和5年、昭和天皇が関東大震災から復興した東京の街を視察した際、この場所にあった千代田尋常小学校(現在の日本橋中学校)に立ち寄ったことを記念して建てられました。また、昭和天皇が通った通りは現在「御幸通り」と呼ばれています。

この場所、江戸時代から明治まで、隅田川から薬研堀が入り込み、元柳橋が架っていて、北斎、広重、清親など著名な画家がたくさんの浮世絵を描いた場所でもあります。今では人通りも少なく、日本橋の中心から外れたこの場所を天皇が巡幸されたのはちょっと意外です。

 臨幸記念碑と天皇巡幸のお道筋

この天皇の帝都巡幸、天皇はどんなルートでどこに立ち寄ったのか?、そもそも千代田小学校は日本橋にあるのになぜ「千代田」の名前が付いているのか?など、いろいろと興味が湧いてきましたので調べてみました。

帝都復興巡幸の御道筋

大正12年9月1日の関東大震災で大きな被害を受けた帝都東京は、7年にしてようやく復興を遂げ、昭和5年3月26日に復興式典が行われました。そして式典に先立つ3月24日、復興した都市の様子を視察するため、昭和天皇の帝都巡幸が行われました。

その時の巡幸の御道筋がこの地図です。

 臨幸記念碑と天皇巡幸のお道筋

出典:「震災の記憶」の変遷と展示 図4 帝都復興祭の巡幸路「帝都復興祭志(1932年)」を元に著者が作成, 高野宏康(2010年)


昭和天皇は、①皇居(宮城)正門を出発、日比谷通りから新橋、震災復興で完成した昭和通りを通って、京橋、日本橋を抜け、靖国通りから最初のお立ち寄り場所②「九段坂上の御展望所」に向かいます。地図の赤矢印のルートです。

市内には復興を祝う飾り付けが施され、沿道にはたくさんの市民が天皇陛下のお車を一目見ようと集まっていた様子が写真に残っています。

 臨幸記念碑と天皇巡幸のお道筋

②「九段坂上の御展望所」を出発した後、青矢印のルート、③「東京府立工藝学校」(現文京区)、④上野公園(現台東区)、浅草を抜け言問橋を渡って、⑤「隅田公園」⑥「震災記念堂」(現墨田区)に立ち寄り、蔵前橋、江戸通り、浅草橋を通って日本橋区に入り、清杉通りから⑦「千代田小学校」へ到着しています。

清杉通りから「千代田小学校」までの道が現在の「御幸通り」ですが、左写真が巡幸時の通りの様子、通りの先に千代田小学校が見えます。右写真は同じアングルの現在の御幸通りです。

 臨幸記念碑と天皇巡幸のお道筋

記録によると、昭和天皇は休憩を兼ねて千代田小学校を訪問、正午8分過ぎに到着、約1時間半ほど滞在して、午後1時半に出発されています。写真はご到着と校庭での歓迎の様子です。

 臨幸記念碑と天皇巡幸のお道筋

千代田小学校

天皇の巡幸先となった千代田小学校ですが、明治10年に馬喰町に創立しました。当初は「第一大学区第一中学区十一番小学千代田学校」。その後、明治43年に薬研堀の埋立地である現在の場所(現・東日本橋1丁目)に移転しました。

「千代田」の由来については、明治天皇が馬喰町にあった小学校に来校したことから、千代田城にちなんで名づけられたようですが、詳しくはわかりませんでした。天皇は、明治以降も小学校参観のため、千代田小学校を度々訪れたそうです。

 臨幸記念碑と天皇巡幸のお道筋

千代田小学校は関東大震災で被災し、昭和4年に鉄筋コンクリートの不燃化構造で新校舎が再建されました。アールデコ調の校舎は、3階建てで、屋上があり、さらに展望台までありました。当時としては、高層かつ優美なデザインの建物でした。

隅田川に面した校舎の屋上からは、近くの両国橋をはじめ、上流下流の橋、江東区一帯から浅草、下谷方面まで望まれ、東に目を向ければ、日本橋、神田、丸の内まで見渡せました。復興した東京の街並みを眺めるのに適した場所っだったようです。

千代田小学校を出発した昭和天皇は、その後、清州橋を渡り深川の街を抜けて、永代橋から京橋区へ入り、⑧東京市立築地病院に立ち寄った後、皇居(宮城)へ帰着されました。

 

 臨幸記念碑と天皇巡幸のお道筋

 

御幸通りは、最近整備され、歩道には街路樹やベンチがある落ち着いた雰囲気の通りになりました。通りの先にはスカイツリーが見えます。
御幸通りを抜け、薬研堀や元柳橋、帝都復興巡幸など江戸~明治の歴史に思いを馳せながら、静かなこの地区を歩いてみるのも楽しいかもしれません。

参考文献・資料

「震災の記憶」の変遷と展示, 高野宏康 (2010年)
「復興記念」東京市日本橋区編 (東京市日本橋区, 昭和5年)
摂政官と関東大震災 宮内庁の記録から, 宮内庁公文書館・昭和天皇記念館 (平成25年)
内閣府「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 (平成20年)