ジュサブロー館、かつて人形町にありました
~ ジュサブロー館 / 堺町・葺屋町芝居町跡 ~
リモートで、愛する中央区をナビゲートします、rosemary sea です。
2月5日、人形作家の辻村寿三郎(つじむら じゅさぶろう)さんが、89歳でお亡くなりになりました。
「辻村ジュサブロー」の名(※)で、NHK連続人形劇「新八犬伝」「真田十勇士」の人形美術を担当されました。
映画「魔界転生(まかいてんしょう)」の衣装デザインなども手掛けられました。
ロズマリも、辻村さんの人形作品、その意志の籠った顔立ちや、妖艶な姿などに魅せられました。
1996年、日本橋人形町3-6-9に「ジュサブロー館」という自身の人形館をオープンされたそうです。
辻村さんも「人形町」というブランドの地に思い入れがあったようです。
しかしそのジュサブロー館、2015年9月に閉館となったそうです。
※ 2000年に改名、それまでの「ジュサブロー」から「寿三郎」にされたそうです。
ここの辺りに「ジュサブロー館」という看板があったようです。
今は面影はありません。
ロズマリが人形町に勤務異動となりましたのが2019年。
その3年半前にはすでにジュサブロー館はクローズされていたわけです。
展示を拝見してみたかったです。
・・・なお、辻村さんの出身地、広島県三次市(みよしし)の「辻村寿三郎人形館」は、引き続き展示開館しておられるそうです。
堺町・葺屋町芝居町跡(さかいちょう・ふきやちょう しばいまちあと)
・・・ジュサブロー館がありました先、日本橋人形町3-6-7先には、このような説明板があります。
所在地 中央区日本橋人形町3丁目2~7番地域
堺町は慶長年間(1596年~1615年)に沼地を埋め立てて起立されたといわれ、明暦2年(1656年)のころには西半分の上堺町が葺屋町として分かれ、東半分の下堺町は堺町として残りました。
江戸時代、この辺りには芝居小屋やそれらを取り巻く茶屋などが集まっており、大変賑わっていました。
芝居小屋のなかには、江戸三座と呼ばれた官許の芝居のうち、歌舞伎を興行した中村座と市村座(ほかに現銀座6丁目あたりの森田座)があり、このほかにも人形浄瑠璃の芝居小屋も多数ありました。
江戸三座筆頭である中村座は、京より江戸に移り住んだ猿若勘三郎が、寛永元年(1624年)に猿若座(後の中村座)を中橋南地(なかばしなんち:現京橋1丁目辺り)に創設し、これが現在につながる江戸歌舞伎の発祥となりました。
寛永9年には禰宜町(ねぎちょう:現日本橋堀留町1丁目辺り)に、慶安4年(1651年)には下堺町へと移転し、二代勘三郎のとき本姓の中村を名乗り「中村座」と改称しました。
この間、堺町では、上堺町において寛永10年に都座(みやこざ)が、寛永11年には村山座(後の市村座)が創設されました。
歌舞伎に先んじて京より下ってきたのが人形浄瑠璃でした。
猿若座と同じ中橋の地において、元和(げんな)3年(1617年)には興行が始まっていたようです。
やはり寛永9年禰宜町移転を経て、慶安4年下堺町に移されました。
人形浄瑠璃の芝居小屋は、江戸、薩摩、丹波、天満(てんま)、土佐、虎屋(※)、肥前(ひぜん)など、数多くありました。
堺町・葺屋町の芝居小屋は、天保の改革により天保13年(1842年)から翌14年にかけて、猿若1丁目から3丁目(現台東区浅草6丁目辺り)を起立してそこに移されるまで、200年前後この地にありました。
近年、日本橋人形町3丁目において発掘調査が行われ、茶屋や芝居に関する遺物も出土しています。
※ 現:京都市中京区(なかぎょうく)の虎屋町のことかと。
堺町・葺屋町芝居町跡
~ 江戸文化の伝統美 歌舞伎源流の地 ~
江戸時代、この辺りは芝居小屋やこれらを取り巻く茶屋などが多数集まる「芝居町」として大変なにぎわいをみせた。
芝居小屋のなかには、江戸三座と呼ばれた官許の芝居のうち、歌舞伎を興行した中村座と市村座があり、このほかにも人形浄瑠璃の芝居小屋も多数あった。
これらの芝居小屋は天保の改革で浅草へと移転するまで200年ほどこの地にあった。
ー 歩いてわかる 中央区ものしり百科 より ー
堺町・葺屋町芝居町跡
日本橋人形町3-6-7先
東京メトロ日比谷線・都営地下鉄浅草線 人形町駅より徒歩1分