中央区・月火水木金土日
月曜日は月島駅で降りて、新佃島で夢二を見つけて帰る
火曜日は火風神社という神社が、水天宮にあることを知った
水曜日は水天宮に行って、火風神社を探して拝む
木曜日は木挽町を歩いて、懐かしいラーメンをすすって帰る
金曜日は金春通りに寄って、風呂に入ろうかと悩みたたずむ
土曜日は土橋に行って、どう見ても橋ではないと納得する
日曜日は日本橋に行って、翼でもいいじゃないかと一人思う
中央区
月火水木金土日
曜日がついた中央区のスポットを探してみた。
少し、くだらなかったか。。
火曜日の「火」のつくスポットがなかなか思いつかず。よく探せば、他にもたくさんあるのかもしれない。
ちなみに、曜日通りに訪れたスポットは土曜日の土橋だけなので、冒頭の写真は土曜日の水天宮である。
月曜日の月島
月曜日は月島駅で降りて、新佃島で夢二を見つけて帰る
かつて、中央区の町名として存在した「新佃島」。今の地下鉄月島駅の場所には、「新佃島」という都電の停留所があったという。
明治大正の時代、その新佃島の海沿いに「海水館」という割烹旅館があって、多くの著名人が訪れたとされる。かつては房総方面を臨むこともできた風光明媚なこの場所。島崎藤村はここで「春」という小説を執筆した。竹久夢二も訪れているらしいが、何かスケッチでもしたのだろうか。
今この場所には、その頃を偲ぶ石碑があって、藤村・夢二等、訪れた著名人たちの名を探すこともできる。石碑の脇には、ちょっとした公園があるが、堤防が立ちはだかり、水辺を臨むことはできなかった。堤防の向こうは、海というよりは運河になっており、その先にあるのは豊洲の埋立地である。
テラス伝いに行けば堤防の向こう側も歩けるので、その頃とは異なる、都会的な水辺の風景を堪能できる。
火曜日の火風神社
火曜日は火風神社という神社が、水天宮にあることを知った
水天宮は、安産・子授けの神様として有名。
しかしそれだけでなく、弁財天や、
・火風神社(火や風をつかさどる神様)
・高尾神社(雨をつかさどる神様)
・秋葉神社(鎮火をつかさどる神様)
の末社があるのだそうだ。
水曜日の水天宮
水曜日は水天宮に行って、火風神社を探して拝む
実際に行ってみたら、たしかに火風神社はあった。
・水天宮と高尾神社は「水」
・火風神社と秋葉神社は「火」
というイメージなのだろうか。
「水」をつかさどる神と、その対極となる「火」の神様が同じ境内にあるというのは、なんとも興味深い。
ちなみに、福岡県久留米市にある水天宮の総本宮には、「秋葉神社」があるらしいが、一般的な火の神様ではなく、農耕・文芸の神である、阿遲鉏高日子根命(あじすきたかひこねのみこと)が祀られているらしい。
東京にも台東区に「秋葉神社」があるが、明治初めに火災が頻発したことから、現在の秋葉原駅の場所に鎮火の神様して建立され、「秋葉原」の語源になったことで知られている。
ちなみに、御祭神は
・火産霊大神:「火」の神様
・埴山比売神:「土」の神様
・水波能売神:「水」の神様
ということである。
木曜日の木挽町
木曜日は木挽町を歩いて、懐かしいラーメンをすすって帰る
木挽町は「こびきちょう」と読む。良い響きである。かつての江戸時代の頃の町名で、今は銀座の町名に取り込まれている。歌舞伎座の裏側、「木挽町通り」「木挽町仲通り」などの裏通りには、こぢんまりした美味しそうなお店が多い。
こういうラーメンは豪快にすすって食べてみたいが、最近は「マナー違反」「お行儀が悪い」とかで、そういうシーンは少なくなってきた気がする。
「すする」という食べ方は、日本の独特の文化だそうで、蕎麦をズルズルと食べ始めた江戸っ子たちがルーツとも言われている。
江戸っ子のように、江戸の木挽町で、ズルズルとラーメンを食べる。なかなか良いではないか。
ちなみにこのラーメン。何処で食べたかって?
それは秘密。
食べてみたかったら木挽町の裏通りを食べつくそう。
金曜日の金春通り
金曜日は金春通りに寄って、風呂に入ろうかと悩みたたずむ
銀座八丁目。博品館の裏手の通りといえば良いだろうか。金春通りにある「金春湯」にはまだ入ったことが無い。今日も悩んだけどやめてしまった。
この辺りは、外国人観光客を多く見かけるところでもある。近くには、ビルの合間の小さな豊岩稲荷神社があったりして、ちょっとした脇道に入ってみるのも面白い。
この「金春」を「こんぱる」と読める人はなかなかいないと思う。金春とは、江戸時代の「能」の 金春・観世・宝生・金剛の四家のうちの金春家のことである。
四家とも今の中央区内に屋敷を持っていたが、金春家の「金春屋敷」が、 現在の銀座7~8丁目辺りにあったことがこの通りの名の由来である。
屋敷は 江戸時代中頃に他に移転してしまったそうだが、その後も芸者やその関係者が住み着き、 金春芸者 と呼ばれ、幕末に歓楽街となる。さらに明治になって新橋駅が近くにできたことで花街として発展した。今も残る金春湯も江戸の終わりの創業だという。
この辺りは、その頃の雰囲気をまだ留めている貴重な場所である。なので本来の銀座を体験したいのであれば、夜にここ訪れるのが面白い。昼間とは違った「夜の銀座」の独特の雰囲気を体験できるかもしれない。
土曜日の土橋
土曜日は土橋に行って、どう見ても橋ではないと納得する
土橋。新橋駅から外堀通りの銀座方面に入る所にある交差点の名前である。銀座コリドー街の入口にある交差点と言ったほうが分かり易いだろうか。風変わりな静岡新聞社のビルが建っている所としても知られている。
この交差点の名前は、かつてここに汐留川に架かっていた「土橋」があったことに由来する。
実はこの「土橋」について、以前、疑問に思ったことがあった。
中央区のホームページには、「区内の橋梁」というページがあって、今現在、中央区で認められている橋々が、一覧形式で紹介されている。そしてその中に何故か「土橋」の名前もあるのである。
◆中央区・区内の橋梁 ⇒ ★こちら★
かつてこの橋が架かっていた汐留川は、昭和30年代のオリンピックの頃に埋め立てられているし、さらに、このホームページには、「橋下状況 ・・・ ー(無し)」と書いてある。
ん? 土橋って、もはや橋じゃないよね?
ということで昨年春、この「区内の橋梁」のページに「土橋」を載せている理由について、中央区に問い合わせてみた。
すると、この橋は東京都が管理している、ということで、東京都に問い合わせるよう促されたので、東京都第一建設事務所に問い合わせてみた。
回答を総合すると、
土橋について、今は橋としての機能は無いものの、大人の事情があって、制度上はまだ「橋」のままなのだそうだ。
・・・何だそれ。でもまぁ、仕方ないのか。
なので、この中央区の「区内の橋梁」のホームページでのご紹介については、
「中央区には、こういう「土橋」のような、よくわからない橋もあるんですよ。」ということで受け止めておこう。
実際、この土橋に行ってみると、道の盛り上がり度がハンパないことがわかる。かつての汐留川跡地に建てられている「GINZA9」からは、この「橋」をかなり見上げるカンジである。おそらく橋をそのまま埋めてしまったのだろう。
そして、この橋からの銀座方面は、とてもながめが良い。新橋から銀座を気持ちよく眺めることのできる、ちょっとした展望台、といったところだろうか。
日曜日の日本橋
日曜日は日本橋に行って、翼でもいいじゃないかと一人思う
ご存知のように、日本橋の真ん中には、麒麟(きりん)の像が鎮座している。明治の終わりに、この日本橋が架けられた当初からあった像である。
この麒麟像は、完成当時の東京市の繁栄を願ったものと言われているが、一風変わっているのは、「羽」が生えているところだろうか。
日本橋には日本の道路の起点となる「元標」があって、日本橋の起点から「飛び立つ」というイメージから、他の麒麟には見られない「羽」を付けることになったらしい。
確かに像を見ると、4本の足の他に羽が2つ付いている。
「飛び立つ」というイメージからすると、「麒麟の翼」という東野圭吾さんの小説の題名にもあるように、夢が感じられる「翼」であってほしいものだが、実際には「この翼のように見えるものは、実は『鰭(ヒレ)』なんです」なんて紹介されてしまうので、少し幻滅してしまう。
「翼」では駄目なのだろうか?
少し譲歩して
「ヒレの形をした翼」
と表現しても良い気がするが、やっぱり、
「翼の形をしたヒレ」
なのだそうだ。
どうしても
翼=鳥類=飛ぶ
ヒレ=魚類=泳ぐ
というイメージがあるので、「ヒレ」だとすると、この麒麟は「飛べるのか?」と考えてしまう。あ、トビウオのような魚もいるので飛べるのかもしれない。
実際の像の見た目はどうだろう。飛べそうである。多分飛べる。
足が付いているので、歩くこともできる。
そしてヒレが付いているのて、泳ぐこともできる。
なるほど。
この麒麟はもしかして、飛ぶ・歩く・泳ぐの三拍子が揃った「スーパー麒麟」なのではないだろうか?
日本橋は、全国各地へ行くことのできる街道の起点であると当時に、橋の下を流れる日本橋川によって、水運で全国各地から荷が集まってきた所でもあった。
日本橋の脇には「魚河岸」の魚市場があったので、日本橋といえばやっぱり「魚」なのである。なのでこの日本橋の麒麟は、泳いで全国各地に行くこともできる。
と考えると、だんだん「ヒレ」でも良い気がしてきた。でもやっぱり「翼」が良いなぁ。
ちなみに今、この「スーパー麒麟」の上には高速道路が架かっているが、いずれ地下化されるということなので、晴れ晴れと「翼」を使って日本橋から飛び立てる日が近づいているのである。