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生誕400年材木商河村瑞賢 治水事業・廻船回り(東遷
西遷)インフラ整備プロジェクトリーダーの凄さに魅了!

三重県南伊勢町(東宮村)1618-1699河村瑞賢(82歳没)は貧農に生まれる。

『評伝河村瑞賢』(博文館)では先祖は村上源氏・北畠氏の家来筋と自称

13歳で江戸に出て車力として生計を立て、川に流されたお盆のお供え物の野菜を漬物にして売った話は有名

九十九里浜東端の飯岡で江戸幕府(桑名藩)の土木工事(椿海の干拓/新川の開削工事)に携わり徐々に資産を増やし、材木商を営む。

1657年明暦の大火で木曽・福島の材木を買い占め、土木・建築を請け負うことで莫大な利益を得る。

1661-1673寛文年間に老中相模国小田原藩主稲葉正則と共に、それからなんと45歳から~75歳までの

30年間にも渡り幕府や諸大名からプロジェクトリーダーとしての才能を見込まれ、多くの治水・

銀山採掘事業などのインフラ事業を請け負い成功させる。

その功績により晩年、武士として旗本の身分となる。

という経歴の持ち主河村瑞賢に興味をもち、またおおいに魅力を感じました。

東廻り・西廻り航路の航行の整備により、当時の全国の物流が劇的に改善したのです。

それも第4代家綱・第5代綱吉将軍の頃ですので、幕府の体制は経済的にも盤石となったわけです。

世界でも珍しい安定した戦争のない平和な世の中が確立し、徳川政権が270年間という第15代慶喜将軍まで続く経済基盤の安定へ繋がっていくのです。

 

 

中央区にあった河村瑞賢屋敷跡は霊厳島にありました。

中央区にあった河村瑞賢屋敷跡は霊厳島にありました。 生誕400年材木商河村瑞賢 治水事業・廻船回り(東遷
西遷)インフラ整備プロジェクトリーダーの凄さに魅了!
 生誕400年材木商河村瑞賢 治水事業・廻船回り(東遷
西遷)インフラ整備プロジェクトリーダーの凄さに魅了!

新川開削工事

新川開削工事 生誕400年材木商河村瑞賢 治水事業・廻船回り(東遷
西遷)インフラ整備プロジェクトリーダーの凄さに魅了!

東廻り・西廻り航路を開拓し、全国各地航行の仕組みを整備
物流を劇的に改善

東廻り・西廻り航路を開拓し、全国各地航行の仕組みを整備
物流を劇的に改善 生誕400年材木商河村瑞賢 治水事業・廻船回り(東遷
西遷)インフラ整備プロジェクトリーダーの凄さに魅了!

菱垣廻船(大型)・樽廻船(小型)

菱垣廻船(大型)・樽廻船(小型) 生誕400年材木商河村瑞賢 治水事業・廻船回り(東遷
西遷)インフラ整備プロジェクトリーダーの凄さに魅了!

1671寛永11年東廻り開拓

奥州から幕府代官所が管轄する年貢米を江戸へ輸送する廻米ルートを安全な航路を開発しました。

阿武隈川河口の荒浜から本州沿いに南下、房総半島を迂回し伊豆半島の下田に入り、西南風を待って江戸に廻船し、新たな外海江戸東廻り航路を開きました。

1672寛永12年西廻り開拓

奥羽山脈を隔てた最上川の水運を利用し、河口の酒田で海船に積み換えて日本海沿岸から瀬戸内海を廻り、紀伊半島を迂回して伊豆半島の下田に至り、西南風を待って江戸に廻船し、西廻り航路を開きました。

寄港地を定めて、入港税免除や水先案内船の設置も行うことで、航行の安全な海運の発展に多大な貢献しました。

この海路がなかった時は、全国の天領(幕府の直轄地)の年貢米は座礁などによる船の転覆事故が多く、年貢米の多くが破損米となり、この損失は大きく幕府の財政を揺るがしかねない事態を招いていました。

全国各地特に大阪・機内で大規模治水事業
・新潟での用水敷設や銀山開発事業

全国各地特に大阪・機内で大規模治水事業
・新潟での用水敷設や銀山開発事業 生誕400年材木商河村瑞賢 治水事業・廻船回り(東遷
西遷)インフラ整備プロジェクトリーダーの凄さに魅了!

☆河口付近の港では、上流から流入する土砂にしばしば港が閉塞する問題が起きていたが、瑞賢は新川の開削の経験から上流の治山と下流の治水を一体的に整備すべきとの認識を得ていました。

大阪

1674延宝2年に淀川で大洪水が発生

1683天和3年若年寄稲葉生休が淀川視察に訪れた際、瑞賢が案内役を務め、瑞賢の治水の考え方は幕府上層部に影響を与えるようになってきました。

〇1684貞享元年ー1688貞享4年第1期

九条島切開による安治川の開削・大川・堂島川・曾根崎川の拡幅

〇1698元禄11年ー1699元禄12年第2期

堀江川の開削・十三間堀川の開削・難波島切開による木津川の直線化・河岸の新地開発

安治川の開削で出た土砂で安治川入港の目印となる波除山を築き瑞賢の功績を讃えて別名を瑞賢山とも称しました。

大坂市街が位置する淀川下流や大和川分岐治水工事を成功させます、

☆全国各地で「治水・灌漑・鉱山採掘・築港・開墾事業」に活躍

『河村氏由緒書』

『河村氏由緒書』 生誕400年材木商河村瑞賢 治水事業・廻船回り(東遷
西遷)インフラ整備プロジェクトリーダーの凄さに魅了!

河村瑞賢は土木の神様と言っても過言ではありません。現場に赴き、自分で考えて、問題を解決することで、様々な難題にも弱音を吐かず、成功させていった行動力に驚きます。さらに瑞賢の人の能力を見抜き、各専門家の意見をよく聞き理解し、測量方法や土木の知識・数学的才能に特別秀でていなくても最終決定を正しく判断して事業を成功させていたことは言うまでもありません。

豪商としての顔と、もう一つ全国を股にかけたインフラ整備のプロジェクトリーダーとして二つの顔をもっていました。そして、インフラ整備の利益を公共事業に還元するという信念を持ち、得た利益を次の新事業に継ぎ込むというスタイルを生涯貫きました。

晩年、中央区霊厳島に居を構え、新井白石や同郷の松尾芭蕉とも交流がありました。

 

このように河村瑞賢という人は、新井白石が『奥羽海運記』『畿内治河記』に詳しく、「天下に並ぶ者がいない富商」と賞賛しています。

参考文献

ウィデキベア河村瑞賢

日本の偉人 河村瑞賢 生誕400周年記念サイト

河村瑞賢ジャパンサーチ

伊東潤『江戸を造った男』