旧日本橋区の地名の頭につく「本」「元」「北」「新」
旧日本橋区の地名の頭につく「本」「元」「北」「新」を知ることで町の歴史や地理を知ることが出来ます。
本銀町、本石町、本革屋町の「本」を名乗る地名のオリジナルは銀町、石町、革屋町ですが後に神田に新銀町、新石町、新革町が出来たため、こちらの本家本元を印象付けるために「本」を付けることになりました。本両替町は銀座の新両替町に対してであり、本小田原町は築地の南小田原町に対してです。
本・・・・本銀町、本石町、本町、本革屋町、本両替町、本小田原町、本船町、本材木町 元・・・・本浜町、元大阪町、元柳町、元四日市町、元大工町 北・・・・北鞘町、北新堀町 新・・・・新大阪町、新材木町、新乗物町、新和泉町、新葭町、新柳町、新右衛町
これらの街の起立・由来をたずねることは旧日本橋区の古さと発展の歴史を知ることになります。
本町通り
日本橋の架橋に関係なくそれ以前から形成されていた街並みがありました。常盤橋を左に見て、日本銀行を右に見て進むと新常盤橋の袂に出ます。この橋を西からまっすぐに行くと浅草橋に出る通りが現在の本通りですが、旧本町通りは一筋南を通っている道です。
旧本町通りに沿った町は大伝馬町を間に挟んで、本町と通り町(通旅籠町、通油町、通塩町)とから出来上がっています。「本町」「通り町」とはまことに素朴でいかにも古い街であることが判ります。『天正日記』の記事を信じれば、天正18年入城した家康は城下町の整備に着手して「本町西の小橋」を「大橋」に改め本町の町割を行いました。
本町は日本銀行のところが一丁目、東へ二丁目、銀座日本橋通りを越して三丁目さらに四丁目と続きます。城を中心に遠ざかるにつれて丁目の数を増やしていくのが、当時の丁目の数え方でした。しかし関東大震災後町名の大改正があり、「全国里程の元標のある日本橋に近いところを起点として、日本橋川を遠ざかるにつれて、丁目を数えていくように変更となりました。江戸時代の丁目の数え方が変わってしまった訳です。現在の数え方よりはずっと情緒がありますね。
添付の図は旧本町三丁目(江戸時代の丁目の数え方での「三丁目」です)の南の薬種問屋「いわし屋」の街並みを示しています。タケダグローバル本社と土地を交換したので、「いわし屋」(現サクラグループ)は旧本町三丁目に相当する場所にはなく現本町三丁目に移動しています。