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『東京名物百人一首』 白木屋

『東京名物百人一首』国立国会図書館デジタルコレクション

「春過ぎて夏の陳列は白木屋の衣干してふ数多人山(あまたきゃくやま)」持統天皇ともあります。ん?なんだかどこかで聞いたことがあるような…。『小倉百人一首』の持統天皇の和歌「春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山」を擬してよんだものです。この1ページは『東京名物百人一首』で白木屋を紹介しています。

『東京名物百人一首』は明治時代のおもちゃコレクター・研究家であり「おもちゃ博士」と言われた清水晴風(しみずせいふう)が明治時代後期の東京の名所、名物を『小倉百人一首』に擬して和歌にして挿絵を添えて紹介した絵本です。1908(明治41)に肉筆で書かれています。晴風の生家は代々続く車屋(運商業)で家業を継ぎましたが仕事より風雅を好み、独学で歌川広重の絵を学びました。そして三代目広重に請われて一門に入ったという浮世絵師さながらの技量をもっていました。現在のポスターにあたる「絵びら」も描いており、今でいう「売れっ子イラストレーター」だったそうです。なので和歌だけでなく挿絵もモダンでお洒落な雰囲気です。日本橋弁松総本店、鰹節のにんべん、日本橋魚河岸など中央区ゆかりのものも紹介されています。今回はこの『東京名物百人一首』の「白木屋」をご紹介します。

 『東京名物百人一首』 白木屋

『東京百建築』白木屋呉服店 国立国会図書館デジタルコレクション

1911年に増築された白木屋日本橋店です。伊藤吉太郎設計。和洋折衷の外観。5階建ての高塔や地下室がありました。国内百貨店では初となるエレベーターも設けられました。1914年増築時には3階に約200席の余興場を設置し少女音楽隊の演奏を実施していました。華やかな百貨店が想像できます。「春過ぎて夏の陳列は白木屋の衣干すてふ数多人山」の白木屋紹介の歌でも夏前の衣替えの時期に多くの人がわくわくした気持ちで白木屋でお買い物をしていたのではないかと想像できます。この歌の「陳列」ですが江戸時代のお客さんが店に来たら畳にあげ要望を聞いて一つ一つ取り出してくる「座売り」から現在のように商品が店内にあらかじめ並んでいてお客さんが好きなように見て選べる「陳列」に販売方法が変化し商品が陳列されている売り場を「陳列場」とよんでいたことによるのではないでしょうか。

 『東京名物百人一首』 白木屋

次に挿絵を拡大して見てみましょう。この絵は白木屋の広告を写したものでしょうか。当時を知る貴重なものでしょう。白い扇型の中に「白木屋 呉服店 洋服店 東京日本橋通壱丁目」その次に判別は難しいですが電話番号らしき数字。「SHIROKIYA  TOKYO」「SHIROKIYA  SHILK&WOOLLEN  STORE」そして蝶の絵。SHILKの文字から推測すると蝶ではなく蚕の蛾のように見えます。明治期は品質の良い日本の絹は海外でももてはやされました。白木屋でも良質な絹の呉服や洋服を扱っていたのでしょう。白い扇の後ろの緑の葉は何の葉かわかりませんでした。白い扇型の上一番膨らんだ部分(三本線四角い外枠の上)に白木屋の屋号紋

 『東京名物百人一首』 白木屋

『江戸買物独案内』 国立国会図書館デジタルコレクション

1824(文政7)年に大阪の版元から出版された江戸の商店約2600店を紹介するガイドブックにも清風の挿絵と同じ白木屋の屋号紋が載っています。この屋号紋は何を表しているのでしょうか。白木屋の前身は京都の材木商で、材木に関係の深い大工のさしがねを二つ交差させるデザインになっています。三角形の底辺にあたる横棒は業界でトップを望む漢数字の一(いち)です。このさしがねと漢数字一の組み合わせの屋号紋は呉服商になってからもこの印を踏襲しました。

話はそれますがこの『江戸買物独案内』はなかなか興味深い本です。まず、見た目は横長右綴じの本。ガイドブックといっても各店から出稿料をとって掲載しているので料金にみあったスペースに掲載されます。全体をざっと見ても白木屋と大丸2件分の広いスペースを使っているのが「薬種店」の各店です。店名や取り扱い薬名、薬効、図入りのものもあり見ていて楽しいです。薬を買い求めたい需要も多く儲かってもいたのでしょうね。調べたい業種を「いろは仮名」検索できるようになっています。例えば瀬戸物が欲しかったら「せ」で検索。また、序文を太田南畝、葛飾北斎の「東都繁栄之図」「浅草観音富貴市之図」といった景観図があり華やかさを添えています。菓子や飲食店もあり老舗「風月堂」も馴染みのある扇形の屋号紋ともに掲載されていました。現在もあるお店を探してみたり今はなくてもどんな料理屋だったんだろうと想像してもわくわくします。

 

 『東京名物百人一首』 白木屋

『東京市街地図日本橋区之部』 国立国会図書館デジタルコレクション

1904年明治37年の日本橋の地図です。日本橋を挟んで白木屋と三井呉服店はひときわ大きいです。どちらも町のランドマークだったのではないでしょうか。時代は移り白木屋は東急百貨店となり今はCOREDO日本橋になっています。『東京名物百人一首』から当時の白木屋を想像してみるのも楽しいかもしれません。

【参考文献】

『百貨店の歴史』日本橋高島屋-夢とあこがれの建築史展図録

『おもちゃ博士・清水清風』林直輝 近松義昭 中村浩訳 社会評論社

『日本のしるし2ー諸業種家じるし』高橋正人 岩崎美術社

 『江戸町人の研究』第3巻 西山松之助編 吉川弘文館

【草書読解】

『資料紹介 東京名物百人一首 清水清風著 参考書誌研究 川本勉』 国立国会図書館デジタルコレクション