ぴっか

式亭三馬の江戸の水

国貞『当世美人合踊師匠』国立国会図書館デジタル

目のふちに紅をいれるこの化粧。現代のアイシャドウに似ていますね。とても艶やかで素敵だと思います。しかし、式亭三馬の書いた滑稽本『浮世風呂』の登場人物23,4歳くらいのお嫁さんおかべさんおいへさんはどうもこの化粧をした女性が気に入らなかったようです。

上方風に髪を結い、化粧も上方、流行の着物を着た女性が髪結い床の前を通りかかりその美しさから男性たちに大騒ぎされていたことを受けて上方化粧への批判が始まります。

「さうさ、あのまァ化粧の仕様を御覧か。目の縁へ紅を付けて置いて、その上へ白粉をするから、目の縁が薄赤くなって、少しほろ酔という顔色にみえるが、否(いや)な事(こっ)たねへ。」(『浮世風呂』三篇巻之下)

彼女たちが批判しているのが上の国貞の絵のようなアイメイクだと思われます。

さて、話の続きがきになるところですが式亭三馬の『浮世風呂』が流行った時代背景をみておきましょう。

文化文政期

大阪夏の陣から約200年。大きな戦もなく太平の世が続いた文化文政期。町人の豊かな経済力を背景に江戸では町人文化が花開きました。遊びや楽しみのための歌舞音曲の芸事、浮世絵、通俗小説は一世を風靡しました。

男女関係なく寺子屋に通い読み書き算盤を学び、江戸市中の識字率は70~80%。武士階級に至っては、ほぼ100%に達していたと言われています。

文字を得た町人たちは読書を楽しみました。比較的文学要素の高いお堅めの滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』も好評でしたが、肩ひじ張らず楽しめる「滑稽本」もよく売れたそうです。十返舎一九の『東海道中膝栗毛』や今回取り上げる式亭三馬の『浮世風呂』がそれにあたります。

『浮世風呂』は銭湯の男湯女湯でくりひろげられる市井の人たちのとりとめのないおしゃべりの話です。当時の銭湯はどのようなところだったのでしょうか。

江戸市中の銭湯事情

江戸の市中では豪商でも内風呂があるのは珍しく、町内のほとんどの人が銭湯に行くのが習慣でした。旅籠でも風呂はなく泊り客も銭湯へ行きました。第一の理由は失火による火事を警戒したこと。第二は経済的な理由です。地代の高い江戸市中で家の中に風呂を設けると場所を取り不経済です。しかも薪炭が高価でした。銭湯がどのくらいの値段だったかというとかけ蕎麦が約16文。銭湯代は約8文。かけ蕎麦の半分程度の比較的お手頃な価格だったようです。また、銭湯は老若男女が集まる社交場で、ゆっくり汗を流しながらおしゃべりに花を咲かせる場でありました。みなさん楽しみにしていたのでしょう。

そんな風呂文化の時代に銭湯を舞台にした『浮世風呂』は大いに関心を持たれたのだと思います。

『浮世風呂』ってどんなお話?

『浮世風呂』は前編・第四編が男湯之巻、第二・第三編が女湯之巻となっています。どれも銭湯内での市井の人のおしゃべり。ヒーローがいるわけでも大事件が起きるわけでもありません。銭湯のあちこちで軽妙な会話が繰り広げられなんとなく終わって次の人たちの会話の描写に入っていくなんとも不思議なお話です。女湯之巻は特に売れたそうなので女湯之巻にはどんな人たちの会話があるのか見てみましょう。

・芸者と料理屋の娘の昨夜の客の品定め ・おばあさんふたりが嫁をけなす話 ・上方の女性と江戸の女性の上方と江戸の自慢比べ ・自分の母親の教育ママっぷりを女の子ふたりが愚痴る話 ・嫁ふたりの着物と化粧についての話 ・国学好き女性ふたりの国学と自分たちの文化活動 ・奉公先から暇をもらったふたりのお屋敷での暮らしぶり などの話が並んでいます。

女湯の話といってもお色気話ではなく女性が自分たちの事として関心をもつ話題が女湯で展開されます。女性に売れるのも納得できます。

式亭三馬の薬屋

式亭三馬の薬屋 式亭三馬の江戸の水

『江戸水福話』式亭三馬 国立国会図書館デジタル

式亭三馬は『浮世風呂』の前編を執筆したときは本石町四丁目に住んでいました。その後火事で被災したため日本橋本町二丁目に転居。作家活動の傍ら売薬店を開業しました。本町は薬種問屋の大店が軒を連ね近くには売薬の小売店が多い場所でした。今でも日本橋本町は製薬会社が多く「くすりの街」として知られていますね。三馬の店はおそらく現在のCOREDO室町テラスの辺りにあったと思われます。

上の絵が三馬の店「式亭正舗」です。店の間口いっぱいに張られた店の名前が書かれた短い暖簾の「舗」の文字の隣にある平仮名の「る」に似たマークは「」の文字を崩して作った三馬の店の紋です。

向かって右側にかけられた大きな日よけ暖簾には「延壽丹」という薬の宣伝が。京都の田中宗悦が作った薬を三馬の店で売っていることがわかります。

軒にかけられた横長の暖簾の左端に「江戸の水式亭三馬製の文字が見えます。これは式亭三馬が作った化粧水です。

自著で自分の店を大宣伝

三馬は浮世風呂で式亭正舗で扱っている商品をしばしば登場させます。

前置きが長くなりましたが、このブログのはじめで登場したおかべさんとおいへさんの話の続き。目の縁の紅以外にも上方の女性は顔の白粉、生え際の白粉、襟の白粉と3種類も白粉を使って厚化粧することに対して悪口をはじめます。しかし役者のまねをし鼻の先に一段と濃く白粉をつけ鼻を高くみせることについてはちょっぴり納得。今の時代に鼻筋にハイライトを入れるのと同じですね。悪口をいいながらも美しく見える上方の化粧に関心があるようです。しかし、役者のまねをして化粧下にかほよ香という油を塗ることにたいしては嫌悪感をみせます。

「いやだのぅ気味の悪い、夫(それ)よりは三馬が所の江戸の水をつけた方がさっぱりして、薄くも濃くも化粧がはげねへで能(よ)い。」(三篇巻之下)

白粉が薄くても濃くても化粧下地の化粧水は江戸の水がいいと。上方の濃い化粧にも江戸の水がいいよと登場人物にしっかり宣伝させています。

そして江戸の水は流行っているから偽物も出回っているがつけてみたら江戸の水とは全然違うと言っています。江戸の水は偽物がでまわるほど人気だし偽物は本物と付け心地が違うから買わないでくださいということでしょう。

 

 

また、別の話では式亭正舗の絵の日よけ暖簾に大きく書かれていた延壽丹が出てきます。

おかみさんとおばあさんの会話

「イエモウ、是でも病身でございますがネ、本町二丁目の延壽丹と申す練薬を持薬に食べますが所為か、只今では持病も發(おこ)りませず、至極達者になりました。」

「ハイ、それはお仕合わせでございます。あの延壽丹は私の曽祖父の自分から名高い薬でございますのさ。あれは一丁目でございましたっけ。私も暑寒にはたべますのさ。」

「ハイ、只今は二丁目の式亭で売ります。」

「エゝ何かネ、此頃はやる江戸の水とやら、白粉のよくのる薬を出す内で御座ませう。」

「ハイ、さやうでございます。私どもの娘なども、江戸の水がよいと申して、化粧の度につけますのさ。なる程ネ、顔のでき物なども癒りまして、白粉のうつりが綺麗でようございます。」(三編巻之上)

このように店の名前、住所、商品名、その効能までしっかり登場人物に説明させています。上方の化粧の悪口をさんざん言わせて自分の商品を宣伝するというやりかたはあまり感心できない気もしますが、浮世風呂を読んだ女性たちが江戸の水を買いに訪れ店も繁盛したようです。

江戸の水

江戸の水 式亭三馬の江戸の水

『江戸買物独案内』国立国会図書館デジタル

江戸時代の買い物ガイドブックである『江戸買物独案内』の三馬の店のページには扱っている商品が並んでいます。

一番先頭に線で囲んで強調されているのが自身がプロデュースした江戸の水です。

おしろいのよくのるおかおのおくすり(白粉のよくのるお顔のお薬)」というコピーがついています。

現在のお化粧のりがいいという言葉もここからきているようです。

化粧水の成分については確かなことはわかりませんでしたが、浮世風呂の中で偽物は「水の色を似せたばかりで、天花粉をいれたのだッサ。」と言っているので天花粉は入っていないのではと推測されます。

『浮世風呂』と『江戸買物独案内』から推測すると

下地につかうと化粧のりがよくなる

顔のでき物も治る

そういった化粧水のようです。

 

そして左下には「箱入びいどろ詰」とあります。

ガラス瓶に詰められ化粧箱に入れられて売られていたことがわかります。

化粧箱については昭和48年の埼玉県越谷市の市報に「式亭三馬と越谷」という題で面白い記事がありました。

「略)はじめは大泊村の箱屋長八らと銭百文につき箱十四個で取引していたが、同じ越谷在住の箱屋が百文につき十六個という安値で製造すると言ってきたので、そちらに頼むことにしたというのである。(略)三馬のぬけ目ない商才がうかがえるとともに、当時、越谷周辺で桐などの小箱生産が活発に行われていたことが知られる。しかもそれが、江戸向けの商品として生産され、文化年間にはすでに競争販売の段階にあるほど、この地域で多量に生産されていた点に注目する必要があろう。」

江戸の水の化粧箱が埼玉県で製造された桐の小箱だったことがわかりました。

中身が見えるガラス瓶に詰められた化粧水はキラキラして乙女心をくすぐったことでしょう。しかも桐の小箱にはいっていたら高級感も増します。プレゼントにもよさそうですね。

パッケージにも凝っている江戸の水。売れている本のなかで登場人物にこれはいいよと言わせることで売り上げも上がる。あの手この手の宣伝で購買意欲をそそるのは現代と変わりないですね。

「本町薬問屋発祥の町」の碑

「本町薬問屋発祥の町」の碑 式亭三馬の江戸の水

日本橋本町2-1 武田薬品工業株式会社前の歩道

式亭三馬のお店があった日本橋本町2丁目は現在も製薬会社が多くあり「本町薬問屋

発祥の町」の碑がたっています。

【参考文献】

『浮世風呂』  式亭三馬  朋友堂文庫

『式亭三馬』  棚橋正博  ぺりかん社

『深読み浮世風呂』  青木美智男 小学館

『江戸のコピーライター』 谷峯蔵 岩崎美術社

『広報 こしがや』  昭和48年8月15日