『銀座』はどこまで?
銀座を一周してみましょう! ⑫
~ 昭和通り・三つ橋跡・蜊河岸・新金橋 ~
リモートで、愛する中央区をナビゲートします、rosemary sea です。
「『銀座』はどこまで? 銀座を一周してみましょう!」シリーズ、第12回です。
今回は「昭和通り」、「三つ橋跡」、「蜊河岸」、「新金橋」をご紹介します。
また、「京橋プラザ」、「京橋公園」、「銀座に志かわ 銀座本店」についても触れます。
昭和通り
昭和通りを渡ります。
中央に見えます歩道を渡っていきます。
昭和通りは、この先の新橋交差点で中央通りと交わっています。
その手前には、このシリーズの第1回・第2回でご紹介しました「汐留遺跡」があります。
また、このシリーズの最終回では、その汐留遺跡の上の歩道橋まで戻ってご説明する予定です。
昭和通りは、この画像の後方に行くと、江戸橋で日本橋川を渡り、最終的には台東区の大関に至ります。
昭和通りは関東大震災の復興事業として建設されました道路です。
三つ橋跡
弾正橋 京橋2・3丁目~八丁堀3・4丁目
白魚橋 京橋3丁目~銀座1丁目
真福寺橋 銀座1丁目~新富1丁目
ここから北方約30メートルの地点には、明治の末年まで、北東から楓川(もみじがわ)、北西から京橋川、東へ流れる桜川、南西へ流れる三十間堀(さんじっけんぼり)が交差していました。
この交差点に近い楓川に弾正橋(だんじょうばし)、京橋川に白魚橋(しらうおばし)、三十間堀に真福寺橋(しんぷくじばし)が架かり、この三橋を三つ橋と総称していました。
三つ橋は、すでに寛永9年(1632年)作成といわれる『武州豊嶋郡江戸庄図』に図示されていますが、橋名の記入はなく、橋名についても幕末までいろいろ変遷がありました。
明治末に真福寺橋、昭和34年に白魚橋がいずれも河川の埋立てによって廃止され、弾正橋は昭和37年、高速道路工事によって現在の姿となりました。
三つ橋跡 3本の川に架かっていた橋の跡
江戸時代、この辺りは楓川・京橋川・桜川・三十間堀が合流して流れていた。
楓川には弾正橋、京橋川には白魚橋、三十間堀には真福寺橋が架かっていたため、これらを総称して三つ橋と呼んだ。
銀座1-26-1
ー 歩いてわかる 中央区ものしり百科 より ー
京橋プラザ
こちらの3階に、中央区観光協会さんが入っております。
三つ橋跡の説明板は、左端の道路の中ほどにあります。
京橋プラザの向かい側になります。
この建物の右側には京橋公園が隣接しています。
なお中央区観光協会さんにつきましては、このシリーズの番外編として次回ご紹介する予定です。
京橋公園
京橋公園で最も目を引くのは「京橋公園」と書かれた大きな印鑑?の石。(冒頭画像をご覧ください。)
さらりと置かれている姿、ビジュアリー・ベターなアートです。
京橋公園は、震災復興のときに整備された公園です。
コンクリート製のすべり台は当時の面影を残すものとして永い間親しまれてきました。
しかしそのすべり台は、すべり面の側壁が低いなどの現在の「遊具の安全に関する基準」を満たしていないこと、老朽化が進んでいたことから平成23年に普通のすべり台に替えられました。
また、現在では「銀座二世柳」も植えられています。
それから、この京橋公園の脇には「LA BETTRA da Ochiai(ラ・ベットラ・ダ・オチアイ)」があります。
言わずと知れた、落合務シェフのイタリア料理店です。
「LA BETTORA」とは、イタリア語で「食堂・台所」の意味だそうです。
イタリアンレストランには相応しいネーミングですね。
蜊河岸(あさりがし)
※ 京橋公園内に説明板があります。
銀座1丁目25~27番地域
かつて、この地より北側の新富1丁目1番・銀座1丁目26番付近では、北から流れる楓川・西から流れる京橋川・そして南西へと流れる三十間堀が交差していました。
それぞれの川筋には、弾正橋・白魚橋・真福寺橋の三つの橋が架かっていたことから、この付近は「三つ橋」と呼ばれていました。
蜊河岸は、江戸時代以来、三つ橋付近の河岸地の里俗名(りぞくな:土地の風俗の名)でしたが、明治13年(1880年)に公布された東京府達によって、三十間堀に架かる真福寺橋から築地方面へと南に延びる東岸の河岸地の正式名称となりました。
江戸後期には、江戸三大道場のひとつ、鏡新明智流(きょうしんめいちりゅう)の剣客 桃井春蔵(ももい しゅんぞう)の「志学館」が置かれ、嘉永6年(1853年)再販の『近江屋板切絵図』には、蜊河岸の南端に、「桃井春蔵」の名を確認することができます。
蜊河岸 真福寺橋の東岸にあった河岸
新富町から日本橋方面にのびている高速道路はかつての楓川跡で、この川が京橋川・桜川・三十間堀と合流するあたりは三つ橋と呼ばれた。
蜊河岸は、三十間堀に架かる真福寺橋の東岸にあった河岸の呼び名。
江戸時代後期、蜊河岸の近くには江戸三大道場のひとつ、鏡新明智流の剣客桃井春蔵の「至学館」があった。
銀座1-25京橋公園
ー 歩いてわかる 中央区ものしり百科 より ー
銀座に志かわ 銀座本店
銀座1ー27-12キャビネットビル1階、水・小麦粉などにこだわった食パンで有名なパン屋さんです。
「水にこだわる高級食パン」(税込1,000円)というお品が、第1回中央区推奨土産品(Central tokyo Premium Selection)の食部門入賞となりました。
こだわりの仕込み水に使用している独自開発のアルカリイオン水が、原材料のカナダ産最高級小麦粉、バター、生クリーム、はちみつなどの旨味成分を絶妙に引き出し、ほんのりとした甘みを実現。
ふわふわ、そして、もちもち食感の耳まで柔らかい高級食パンです。
新金橋(しんかねはし)
新金橋です。
銀座の最東端にあります橋です。
右手奥には首都高都心環状線の京橋出入口、いわゆるインターチェンジです。
東京駅発着の、東京湾アクアラインへ向かう高速バスが、ここを多く利用するようです。
新金橋は何の変哲もない、地味な橋です。
「橋」と名がついていますが一般的に多い「河川に架かる橋」ではなく「高速道路に架かる橋」です。
元々は「築地川」という川が流れていたところですが、埋め立てられ高速道路が下を通っています。
このような橋ですが、新金橋はロズマリにとりまして、とても思い入れのある橋でした。
日本橋の職場から銀座へ向かう際、新富町を経由して銀座へ入るのに、この新金橋を何度渡ったことか。
自転車にしても歩行であっても、このルートの方が安全なのです。
昭和通りや中央通り、またその他の小路を利用するよりも、です。
人通りは少ないですし、自動車とのすれ違いも少ないです。
また、ルート上には警視庁中央署・日本橋署がありますし、築地署も至近です。
無謀な運転の自動車や違法駐車もほとんど見かけません。
「昭和通り」は左側を上下に走る、太い道路です。撮影地点は黒色の星で示しました。
「三つ橋跡」「新金橋」は右上部にそれぞれ赤丸でマークしました。
「中央区観光協会の入っている京橋プラザ」「京橋公園」も、その下に赤マークしてあります。
「蜊河岸」は、そのまた右下に記されていますが、実際はネームの斜め左上の赤色の星印のところに説明板があります。
「銀座に志かわ 銀座本店」は、中央区観光協会の赤丸の上部、紫色の星形で示しました。
上の銀座全図の右上、緑色のラインを進みました。
銀座全図とは言え、右上が欠けているのですが、今回はその欠けた右上も通過しています。
ですので緑色ラインは、少し全図をはみ出しています。