ぴっか

十軒店は大騒ぎ

『江戸循覧記』猿候庵 東洋文庫

この絵はどこの様子を描いたものでしょう?地面に大根、ゴボウが並べられ買い物客が群がっています。人参を手にしている人もいます。中央区の歴史に詳しい方は京橋にあった大根河岸青物市場?と思われるかもしれません。しかし実は「十軒店(じっけんだな)」なのです。十軒店は現在の室町3丁目付近にあった雛市のたつ場所でしょう?雛人形ではなく野菜とはどういうこと?と思われますよね。

十軒店は桃の節句には雛人形端午の節句には兜年末には正月の縁起物の破魔弓や羽子板の市が立ちましたが、平素は青物の市がたって賑わっていたようです。

この絵は名古屋藩士の猿猴庵(えんこうあん)こと高力種信(こうりきたねのぶ)が天明6年(1786)より寛政にかけて江戸に滞在し、後に文政11年(1828)に出版した『江戸循覧記』のものです。「常には青物の干店あり、大こん牛蒡品々、町中半分程にならべてこれを商う」と述べられています。十軒店のハレ(非日常)とケ(日常)。ハレの部分の絵や文章はたくさん残されていてもケの青物市の資料はあまり見ないのではないかと思いご紹介しました。

 

雛市の様子

雛市の様子 十軒店は大騒ぎ

『江戸名所図会』十軒店雛市 国立国会図書館デジタル

2月25日から3月4、5日ころまで十軒店及び尾張町、麹町などで雛市がたちました。中でも十軒店が一番規模も大きく賑わっていたようです。本町二、三丁目と本石町二、三丁目の間中央通りの両側に十軒店はありました。上の絵の奥に描かれている瓦屋根の立派な店はもとからここに店を構え雛人形の販売をしている、もしくは普段は別の商売をしていて雛人形の販売の期間だけ雛商売人に店を貸している店です。ここでは新品の高級な雛人形を取り扱っていました。絵でもひとつひとつ棚に納められ大切に扱われていることが想像できます。

絵の真ん中のよしず屋根の小屋が中店(なかだな)とよばれる仮の小屋で市の期間だけ設営されました。こちらは先ほどの立派な店舗とは違い廉価な雛人形や中古品、雛の道具などが売られていました。

4月25日からは端午の節句の幟市が開かれました。でも、雛市ほど盛んではありませんでした。

雛市では白酒、幟市では柏餅が売られていたそうです。

 十軒店は大騒ぎ

『江戸名所図会 十軒店雛市』の絵にもよく見ると白酒を売る人が描かれています。絵の左半分。右下の角。中店の壁のところにお盆の上に白酒の入った茶碗を載せて売っている男性がそれです。拡大するとこの人です。

雛市でスリと喧嘩!?

雛市でスリと喧嘩!? 十軒店は大騒ぎ

『画本東都遊』葛飾北斎 東京都立中央図書館

こちらの北斎の十軒店の絵と上の『江戸名所図会』の十軒店比べてみましょう。

お客さんの数が違うと思いませんか?『江戸名所図会』は着飾った人たちがそぞろに歩きながらゆとりをもって雛人形を選んでいるように見えます。北斎の方は立錐の余地もないほど買い物客があふれています。実際はどちらの様子が本当だったのでしょうね。北斎の混雑している絵の方が江戸名所図会の十軒店より数十年古いと思われるので時期的な違いもあるとは思いますがどのくらいの賑わいだったのでしょう。

江戸末期の様子を描いた菊池貴一郎『江戸府内絵本風俗往来』には十軒店の混乱ぶりが描かれています。要約すると「市の間は昼夜問わず混雑していて従って喧嘩も起こり懐の者をうかがう盗人も多かった。人形商人は人形の値段に法外な金額をふっかけることが巧みだった。客もそれを承知しているので双方の駆け引きもこの市の名物であった。ようやく折り合いがついて支払いをしようとすると財布が盗まれていることもある。ようやく買った人形を喧嘩のために破損してしまうこともあった。田舎者にとっては目の回る混雑ぶりだ。」

この文章を読むと北斎の描いた混雑ぶりが近いようにも思えます。こんな状況で雛人形を無事に家に持って帰れるか?私には自信がありません。非日常の雛市の大騒ぎっぷりは威勢のいい江戸っ子ならではの楽しみだったのかもしれません。

でも、そんなてんやわんやの騒ぎをせずとも優雅に雛人形をお買い求めになる人もいたようです。大名、旗本、豊かな家の町人は前々より注文し家に納めてもらっていたようです。自分好みの人形を注文し白酒や料理を用意し雛の節句を優雅に祝う。財力のある人たちは違いますね。

十軒店の終焉

COREDO室町テラスにある中央区教育委員会の「十軒店跡」の説明文には「明治維新後、十軒店の人形市は急速に衰えてしまいます。」とあります。なぜ、急速に衰えたのでしょうか?

明治37年三越デパートメントストア宣言をし百貨店として新装開店しました。百貨店でも雛人形を扱うようになりました。二八月(にはちづき)という商いの閑散期の二月に、三越にほど近い十軒店の雛市だけが、ひとり賑わいを呈していたのを、当時の専務が見て発案したということです。そして、現金掛け値なしの正札販売をすることで値段のかけひきの弊害をなくしました。日本橋地区の三越、白木屋、松屋といった百貨店が雛人形を扱い、また新製品を次々に考案して問屋に作らせ、時代の需要にこたえるようになりました。これが結果的に江戸時代より続いていた伝統ある雛市が急速に衰退することにつながったという理由が『人形師「原舟月」三代の記』絵守すみよしに書かれています。

大騒ぎの十軒店も2度と戻ってくることはないと思うと一度は行ってみたかったように思います。もうすぐ3月3日。十軒店をしのびながらちらし寿司でも用意してみましょうか。

十軒店跡 COREDO室町テラス  室町三丁目南交差点近くエスカレーター脇

十軒店跡 COREDO室町テラス  室町三丁目南交差点近くエスカレーター脇 十軒店は大騒ぎ

十軒店跡 室町三丁目南交差点

十軒店跡 室町三丁目南交差点 十軒店は大騒ぎ

 

【参考文献】

『近世風志(守貞謾稿)』 喜田川守貞 岩波文庫

『江戸府内 絵本風俗往来』 菊池貴一郎 青蛙房

『人形師「原舟月」三代の記』 絵守すみよし 青蛙房