ぴっか

鎧の渡しの願掛け

『江戸名所図会 鎧之渡』 国立国会図書館デジタルコレクション

この鎧の渡しの絵は茅場町側から小網町側に渡る舟を描いています。船着き場の左のお屋敷は丹後田辺藩牧野河内守の上屋敷です。お屋敷の裏から渡し舟が出ていました。小網町には廻船問屋をはじめ多くの問屋の蔵が軒を連ねていました。蔵の白壁が列なる姿は美しかったでしょうね。

遡ること平安時代。源義家が奥州征伐の際にここで暴風雨にあい足止めされてしまいました。鎧を海中に投げいれ竜神に祈りをささげたところ無事にわたることができたため「鎧が淵」と呼んだと言われています。

しかし今回私が気になったのは船に乗っている1人の男性です。

 鎧の渡しの願掛け

船の上で日本橋川の水に手を入れているこの人です。単に川が珍しい旅人なのかもしれません。水がどのくらい冷たいか手を浸してみたくなったということも考えられます。しかし、もし鎧之渡がなんらかの理由で有名だったらどうでしょう。

『江戸神仏願懸重宝記』の鎧之渡

文化11年(1814)刊行の『江戸神仏願懸重宝記』があります。江戸の町で色々な願掛けにご利益があるとされた神仏や場所と願掛けの作法が書かれた本です。

ずいぶん前にパワースポットという言葉が流行り、どこそこの神社の井戸を携帯の待ち受けにすると何かにご利益があると広まり写真をとるために行列ができたという現象がありましたがそういった場所を紹介した本でしょうか。

この『江戸神仏願懸重宝記』に鎧之渡が載っています。

要約すると「小網町から茅場町へ渡る鎧の渡は諸国の荷舟が行き交い、水が穏やかなことはない。この潮の真ん中の水を汲んで湯を沸かし、疱瘡、はしかになる前の子に湯あみをさせると軽くすむ。百日咳などすべての小児の病はこの水ですすげば、夜泣きなど止まることは神のようだ。」とのこと。子どもの病の予防から治療までよく効くと信じられたようですね。

江戸市中には川や堀はたくさんあったのになぜ鎧の渡しだったのでしょうか。このような民間信仰はきっかけのあるものもありますが、鎧の渡しに関しては確かな理由が残されてはいないようです。なので以下は私の推測です。

いまでこそ穏やかな日本橋川ですが当時は水が穏やかなことはないと書かれています。古くから形代(かたしろ)に病や災いを移し川に流す流し雛や禊で川に入って洗い清めるなど川の流れには悪霊祓いの意味がありました。鎧の渡しの水は澱むことなく流れていくので病が祓えそうな気がします。

その水で湯を沸かすというひと手間も神に祈るための儀式であり神の力が強まるようにも感じられます。

また冒頭で述べた源義家の龍神も関係しているのではないでしょうか。龍神様の住んでいる(住んでいた)川の水は他の川より霊験あらたかに感じられたかもしれません。

 

なにはともあれ、『江戸名所図会 鎧之渡』に描かれたこの船の男性は水を汲んでいるようには見えないので、これが願掛けで有名な川の水か。と手を入れてみているとは考えられないでしょうか?

その他の願掛けの川や橋

同じく『江戸神仏願懸重宝記』の錐大明神の項目を要約すると「両国橋の真ん中で飛騨の国錐大明神と念じて北に向かい、錐を三本づつ川の中に流して願掛けすると疱瘡や種々の患いが治る。平癒して後、再び錐を三本川へ流してお礼をする。」また、願掛けに使う錐は橋の上の番屋で売っていることも書かれています。そして「断ち物」として「いわし、ひしこ(かたくちいわし)、ごまめ、たたみいわし、縁日卯の日」を「三ヵ年の間禁ずべし」とあります。

なぜ錐なのでしょうか?埼玉県にある武蔵第六天神社に錐を用いた特殊信仰があります。耳病、頭痛平癒を祈るもので、朝夕第六天神の御名を唱えながら耳など悪いところを突く真似をするものです。平癒した折には神錐を2本にして納めるそうです。両国橋の錐の願掛けに通じるものがあるように思います。また、江戸時代の富くじ(寺社が主催し、寺社の修繕費を得る目的で行う宝くじ)の抽選の時、箱に入れた抽選番号の木札を選ぶ際にも錐で突いたので、錐はなんらかの宗教的な意味合いがあったのかもしれません。

その他「京橋の欄干北側のまんなかなる擬宝珠」に掛ける願も書かれています。「擬宝珠に荒縄」を取り付けて「頭痛」の平癒を願うと治るとのこと。平癒の折には「青竹の筒に茶を入れて注ぐ」「日本橋の擬宝珠」も同じく願掛けに使われました。江戸だけでなく「京都五条の欄干」も願掛けに使われ、「賀茂川に煎餅を流して歯の痛みが治るように祈った」と書かれています。各地の大きな川ではこのような願掛けが行われていたのかもしれません。

鎧の渡し跡(鎧橋)

鎧の渡し跡(鎧橋) 鎧の渡しの願掛け

明治5年に鎧橋がかけられたことで鎧の渡しはなくなりました。

現在は鎧橋のたもとに鎧の渡しの説明板と「よろいはし」と書かれたモニュメントが設置されています。

 鎧の渡しの願掛け

左側にある説明板にはこのように書かれています。江戸名所図会の絵もあります。

 鎧の渡しの願掛け

現在の鎧橋から見た日本橋川です。波は穏やかで『江戸神仏願懸重宝記』に書かれていたようなよどみない流れは想像できません。

最寄り駅は東京メトロ日比谷線、東西線の茅場町駅です。東京証券取引所からすぐです。

 

『江戸神仏願懸重宝記』はこちらで見ることができます。

くずし字を読める方はもちろん、そうでなくても挿絵を眺めるだけでも色々な願掛けの様子が垣間見られて楽しいので是非どうぞ。