③べったら市まで50日を切りました!
〜なぜべったら市がこの地なのか?〜
子育てが忙しく、中々更新できておりませんでした
前回のブログではべったら市の起源が「恵比寿講」であるということまでをご説明させていただいたかと思いますが、その続きになります
今回は ②で説明した恵比寿講がそもそもなぜここなのか?にいて解説いたします
①べったら市まであと100日!
https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=5117
②べったら市の起源
https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=5132
なぜ、ここで恵比寿講なのか
その話をするには「馬込勘解由」の説明からしないとなりません。
↑の画像は日本橋本町のお隣、日本橋大伝馬町にある中央区教育委員会の掲示です
名称:馬込勘解由屋敷跡
所在地:東京都中央区日本橋大伝馬町3−1
ここ、日本橋本町のすぐ隣の日本橋大伝馬町に昔屋敷を構えていたのが馬込勘解由」です
馬込氏は江戸幕府が始まった時、徳川家康に気に入られ、「伝馬役」という役職を拝命します。
その馬込氏が屋敷を構えたのが現在の日本橋大伝馬町だった訳です。
馬込氏の屋敷には徳川家康から貰ったとされる恵比寿神像が祀られており
そのため、日本橋大伝馬町において、恵比寿講が行われた、というわけです。
と、いうことで起源は日本橋本町というよりも日本橋大伝馬町にあるということができそうです。
では、日本橋本町はどこから?というと馬込氏の屋敷の中にあった恵比寿像は江戸時代後期に現在の宝田恵比寿神社(日本橋本町3丁目)に移されたから、だそうです ←棒読み
実は宝田恵比寿神社(日本橋本町3丁目)を良く見てみると、「日本橋大伝馬町」という文字が至る所にあります。
注目していないと見過ごしてしまいそうですが、こういった歴史を知った上で見ると面白いですね
←べったら市の掲示
日本橋本町3丁目のみならず日本橋大伝馬町の表記も
←良く見ると「恵比寿神社 大傳馬町」の文字が
(光の加減で見づらくて申し訳ありません。。。)
10月19日に担がれる宝田恵比寿神社の神輿にも「大伝馬一」の文字が
我らが「本町三丁目東町会」も負けてません
次回は「べったら」はどこから??
について説明していきたいと思います