第17回 中央区観光検定
~ 2月1日 New River の一日(至福の時間を求めて)~
こんにちは。「New River」です。
立春が過ぎ、暦の上では春になりましたが、寒い日が続いております。皆さまいかがお過ごしでしょうか。
さて、去る2月1日(土)、私も「第17回中央区観光検定」を受検してきました。検定試験は一昨年初めて受検し、2年ぶり2回目となります。
そこで、今回は「第17回 中央区観光検定 ~ 2月1日 New River の一日(至福の時間を求めて)~」と題しまして、当日を振り返るブログを作成しましたので、ご覧いただければ幸いです。
「カフェーパウリスタ」で一息 ...
朝7時半に家を出発、電車を乗り継ぎ、銀座に着いたのは9時過ぎでした。検定は10時半のスタートでしたが、喫茶店で一息ついてから(ウォーミングアップしてから)会場入りしたかったので、この時間にしました。
選んだ喫茶店は、明治44年(1911)12月開店の「カフェーパウリスタ」です。『歩いてわかる 中央区ものしり百科』(中央区観光検定テキスト)(以下「テキスト」といいます)にこそ載ってはいませんが、「カフェー・プランタン」「カフェー・ライオン」(後述します)と同じ時代にオープンした老舗カフェです。
開店当時、同カフェは京橋区南鍋町(現在の銀座6丁目)裏、交詢社(福澤諭吉が明治13年(1880)に設立した日本初の社交クラブ)の真向かい角にありましたが、大正12年(1923)の関東大震災で惜しくも消失、戦中・戦後を経て昭和45年(1970)に銀座8丁目中央通りに銀座本店として再開され、今に至っています。
ちなみに「カフェーパウリスタ」のカフェー(café)はブラジル(ポルトガル語)でコーヒー、パウリスタ(Paulista)は「サンパウロっ子」や「サンパウロの」という意味です。
そして、“銀ブラ” という言葉は、今では「銀座をブラブラ歩く」という意味で使われることが多いですが、当時は「銀座の『カフェーパウリスタ』にブラジルコーヒーを飲みに行く」という意味でも使われていたといわれます。
ジョン・レノン&ヨーコ・オノ夫妻が飲んだという「カフェーパウリスタ」伝統の「パウリスタオールド」を注文し、一息つきながら(ウォーミングアップしながら)、試験前の時間を過ごしました。
<「カフェーパウリスタ銀座本店」店舗情報>
住所:東京都中央区銀座8-9 長崎センタービル 1階・2階
電話:03-3572-6160
【アクセス】
・東京メトロ銀座線・丸ノ内線・日比谷線「銀座」駅より 徒歩5分
・東京メトロ銀座線「新橋」駅より 徒歩5分
・都営浅草線「新橋」駅より 徒歩5分
【営業時間】
[月~金]9:00~20:00
[土]9:00~19:30
[日・祝]11:30~19:00
※ 年中無休(年末年始を除く)
【銀座のカフェーについて】(テキスト P.132 より)
■ カフェー・プランタン
明治44年(1911)3月に銀座初のカフェー(※)としてオープン。画家や文学者や俳優が集まって芸術サロンのような雰囲気を醸し出していました。
(※)東京初のカフェーは、明治43年(1910)に日本橋区小網町で開業した「メイゾン鴻乃巣」といわれています。
■ カフェー・ライオン
明治44年(1911)8月に現在の銀座5丁目角にオープン。3階建ての建物で、評判の高い女給が西洋料理や洋酒などを供したため、多くの客を呼び寄せました。
熊谷稲荷神社でお詣り
「カフェーパウリスタ」を出て、中央通りを北へ向かい、最初の交差点を右折、玉椿通りを東進すると、左手に熊谷稲荷神社(銀座7-12-9)があります。こちらの稲荷社は開運に御利益があることを思い出し、ここはすかさず、「良い点が取れますように!」とお願いをしました (^^;
神頼みをして気持ちを高揚させた後は、昭和通りで左折し150メートルほど北進すると、試験会場に到着です。
※ このとき、今日の検定試験(問49)に熊谷稲荷神社が出るなんて知る由もありませんでした。
【熊谷稲荷神社について】(テキスト P.63 より)
源平合戦で活躍した熊谷直実(くまがいなおざね)に由来し、数百年の長きにわたり、この地に鎮座しています。「も組」の頭、竹本金太郎により戦火を逃れ、防火・開運・商売繫盛の神様として親しまれています。
さあ、試験会場へ!
試験会場は「コートヤード・マリオット銀座東武ホテル」(銀座6-14-10)です。会場に入ると、中央区観光協会の馴染みの担当者の方が何人もいらっしゃり、思わず笑顔が出てほっこりした気持ちになりました。それにしても、このような高級ホテルで受検できることは本当に有難いことです。中央区観光協会の皆さま、ありがとうございます!
検定試験が終わって...
検定時間は10時30分~12時までの90分、出題数は100問(1問1点)。見開き2ページごとに問題(6~8問)を解き、マークシートを塗りつぶす作業を繰り返すこと約1時間。その後、マークミスを含めて全体の見直しをして残り10分。検定時間を目一杯使って100問と対峙しました。10問ほど迷った問題はありましたが、熊谷稲荷神社の御利益もあってか、勉強した成果は出せたと思います (^^)v
“ご褒美ランチ” に出発!
ということで、全体的に感触は良かったので、気分良く “ご褒美ランチ” に出発!
ランチの場所は、試験勉強をしながら色々と考えていたのですが、せっかくなら、テキスト(P.166~169)にも載っている江戸四大名物料理(寿司・蕎麦・鰻の蒲焼・天ぷら)をゆっくり味わってみたいと思い、蕎麦前を楽しめる蕎麦屋に行くことを前日に決めていました。
その蕎麦屋は人形町方面にあります。東銀座駅から通勤で利用している東京メトロ日比谷線(人形町駅まで4駅・8分)で行こうと思ったのですが、念のため乗り換えアプリで調べてみると、都営浅草線を使えば、人形町駅までほぼ直線、3駅・5分で着くことがわかりました。
中央区の地下鉄網はなかなか複雑で、特に東日本橋と人形町付近は複数の路線がカーブをしながらクロスしていて、検定試験にも出やすくなっています。今回の試験でも、「街歩き問題」が4問出題されていますが、うち3問が都営新宿線の馬喰横山駅(問10)と都営浅草線の東日本橋駅(問39)・人形町駅(問48)を街歩きの出発点としていました。
そして、都営浅草線の東銀座駅で電車を待っていると、駅名標が目に入り、そこに「宝町」という文字があるではありませんか。そうです。今日の検定試験の問65が旧町名としての「宝町」の由来を問う問題でした。
【宝町について】(テキスト P.185 より)
昭和6年(1931)から昭和52年(1977)までの町名。現在の京橋1~3丁目。京橋生まれの政治家・中澤彦吉(衆議院議員・東京市会議員)の発案によって、めでたい名前を選んで付けられたことに由来しています。町は、中橋和泉町・大鋸町・南鞘町・松川町・因幡町・常盤町・柳町・炭町・本材木町などの町を併合して起立し、1~3丁目までありました。
その蕎麦屋は人形町駅(都営浅草線)から徒歩8分、日本橋浜町にあります!
都営浅草線の人形町駅に到着。A3出口から久松警察署方面に向かって大通りを歩き、2つ目の交差点を右折、大門通りを進んで2つ目に交差する道が末廣通り(問37で出題)です。その交差点を左折して末廣通りを浜町川緑道方面に進むと、左手に末廣神社(日本橋人形町2-25-20)が鎮座し、その先が「漢方医学復興の地」(日本橋浜町2-9先 緑道内、問37で出題)となります。
末廣神社と「漢方医学復興の地」にちょっと立ち寄り
今日の検定試験の問37は、「漢方医学復興の地」碑がある浜町川緑道と人形町通りまでの約300メートルを結ぶ、道路愛称を問う問題でした。答えは今通ってきた末廣通りになります。
【末廣神社(毘沙門天)について】(テキスト P.110 より)
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)を祭神とし、かつては末廣稲荷と呼ばれていました。社名は延宝3年(1675)の社殿修復時に中啓の扇一柄が発見されたことにちなむといいます。明暦の大火で吉原が移転した後、吉原旧地(およそ現在の日本橋人形町・日本橋富沢町にあたる場所)に起立した新和泉町・高砂町・住吉町・難波町の町が氏子となり、篤く信仰されてきました。勝運を授け、災難をよける神様として知られています。
【漢方医学復興の地について】(テキスト P.100 より)
明治43年(1910)、この地で開業した医師・和田啓十郎(わだけいじゅうろう)は、衣服や食事にかかる費用を倹約して『医界之鉄椎(いかいのてっつい)』を自費出版しました。当時の日本はドイツ医学を模範としていましたが、この書は絶滅しかかっていた漢方医学の復興に大きな影響を与えました。和田啓十郎の偉業を顕彰する石碑が浜町2丁目の遊歩道にあります。
「浜町藪そば」へ入店!
今日の “ご褒美ランチ” はこちら「浜町藪そば」になります。
明治37年(1904)に「かんだやぶそば」から暖簾分けにより創業した老舗蕎麦屋です。
「かんだやぶそば」といえば、明治13年(1880)創業の藪蕎麦の総本家で、その親戚にあたる(血縁関係がある)「並木薮蕎麦」(大正2年(1913)創業)と「池の端薮蕎麦」(昭和29年(1954)創業、平成28年(2016)閉業)を合わせて「薮御三家」と呼ばれています。
そして、「浜町藪そば」は「上野藪そば」(明治25年(1892)創業)とともに「かんだやぶそば」の創業者(堀田七兵衛氏)の弟子が暖簾分けにより開業した直系店となります。
かの池波正太郎先生は、散歩の折々に見つけた店の味を書き留めた食味エッセイ『散歩のとき何か食べたくなって』(1977年 平凡社、1981年 新潮社)で書かれているように、「浜町藪そば」を明治座上演時の楽しみにされていたようです。明治座が近いので、運がよければ、有名人に会えるかもしれませんね。
※「藪蕎麦」「更科蕎麦」「砂場蕎麦」は「江戸三大蕎麦」「蕎麦御三家」などといわれています。
※「藪蕎麦」は、幕末の頃、根津団子坂(現在の文京区千駄木)にできた「蔦屋」を源流としています。そして、「やぶそば」の呼称は、この団子坂のお店が薮下と呼ばれるところにあったことから付いたともいわれ、「蔦屋」の看板はその後、「かんだやぶそば」に受け継がれていきました。
「板わさ」と日本酒で蕎麦前スタート!
まずは喉の渇きをビールで潤し、「板わさ」と日本酒で蕎麦前スタートです。
肉厚でプリプリの蒲鉾(鈴廣)をわさび醤油につけ、熱燗(菊正宗)でグイッと! たまらない瞬間(至福の時間)です!! 正月からの試験勉強、
次は「天ぬき」
蕎麦前、次のつまみは「天ぬき」です。
「天ぬき」とは「天ぷら蕎麦の蕎麦ぬき」の略で、江戸っ子言葉の一種です。
江戸末期、蕎麦屋で天ぷら蕎麦を食べながらお酒を飲んでいると、かけ汁で蕎麦が伸びてしまうことから、このような発想が生まれ、“粋人のあそび” として定着したそうです。
さあ、運ばれてきました。色が濃い目のつゆに海老天が二尾浮かんでいます。当然蕎麦は入っていません。まずはつゆを一口。塩辛さと甘味のバランスが絶妙の、深いうま味といえばよいでしょうか、柚子と三つ葉の風味とともに重層的な味わいを感じました(ここで熱燗追加注文)。
そして、海老天をいただきます。店によってはかき揚げ天のところもあるかと思いますが、こちらは海老天タイプ。衣がふわっとフリッターのように揚げられているので、海老から衣が分離せず、つゆが染み込んだ海老天を最後まで美味しくいただけました。なお、海老天の下には蒲鉾が1枚潜んでいました。
ちなみに、メニューには「天ぬき」に加え、「鴨ぬき」もありました(次回チャレンジ予定)。
そして「せいろ」で締め!
そして、締めはやはり「せいろ」!
運ばれてきた「せいろ」の蕎麦は白っぽく細めで上品な感じです。国内産のそば粉を使用し、そば粉八、つなぎ二の割合で打っているようです。もちろんしっかりとしたコシもあり、のどごしもよく、いくらでもいけそうです。
そばつゆの方は、さきほどの「天ぬき」のつゆに比べて濃くはなっていますが、藪蕎麦の特徴といわれる塩辛さよりも、口の中に広がる豊かなうま味の印象が強かったです。
蕎麦と同時に供された蕎麦湯は「ゆとう」と書かれた年代物の湯桶に入っていて、とろみのないさらっとした味わいでした。
上)店内に飾られていた「白侘助(しろわびすけ)」。「白侘助」は椿の一種で、茶席の花としてとても人気が高い花といわれています。店内には他にも素敵な生花が飾られていました。
下)同じく店内の「藪睦会(やぶむつみかい)」(「蔦屋」の看板が受け継がれた「かんだやぶそば」を中心として結成されたのれんの集団)の額。「浜町藪そば」は一番右の「かんだやぶそば」の隣に書かれていました。
<「浜町藪そば」店舗情報>
住所:東京都中央区日本橋浜町2-5-3 浜町藪ビル
電話:03-3666-6522
【アクセス】
・都営新宿線「浜町」駅下車 A2出口から 徒歩3分
・東京メトロ日比谷線「人形町」駅下車 A1出口から 徒歩5分
・都営浅草線「人形町」駅下車 A3出口から 徒歩8分
【営業時間】
[月~水・金~土]11:30~18:30
【定休日】
・木曜日、日曜日、第4土曜日
※ 営業時間・定休日は変更となる場合がありますので、ご来店前に直接店舗にご確認ください。
【蕎麦について】(テキスト P.167 より抜粋)
・近江国(現在の滋賀県)多賀神社(たがじんじゃ)の社僧・慈性(じしょう)が著した『慈性日記』の慶長19年(1614)の条には、江戸の常明寺(じょうみょうじ)でそば切り(細く切って茹でたそばの元祖)を振る舞われたことが記されています。
・江戸では、財津種爽(たからつしゅそう)が著した随筆『むかしむかし物語』に、寛文4年(1664)に、けんどんうどん・そば切りというものができたとあります。また、「夜鷹そば」(よたかそば)の異名をとった夜間営業の屋台も繁盛しました。
・そば切りの普及に連れて専業店が増え、そば打ちの技術にも工夫や改良が加えられて、上級階級にまでそば切りの名は広まりました。そばとともに居酒屋や一膳飯などを兼業する店もあり、最盛期には江戸市中に4,000軒近くのそば屋が立ち並んだといいます。
おわりに
今日は「中央区観光検定」という大きなイベントがあり、その前後にテキストに載っているスポットに行くことができ、さらにそのスポットが試験に出題されるというラッキーもあって、とても実りあるよい一日となりました!
そして、試験の後は、老舗蕎麦屋(何とルーツは「蔦屋」だった!)で美味しいお酒とお料理をいただき、まさに心身ともに解き放たれた気分になりました!
今回のブログは「第17回 中央区観光検定 ~ 2月1日 New River の一日(至福の時間を求めて)~」と題し、試験当日を振り返ってみましたが、なんだか後半はグルメ記事みたいになってしまいましたね… 苦笑
※「第17回 中央区観光検定」で、“蔦重問題” 10問(問1~10)のうち8問(問1~8)が、以下のブログの中から出題されました!
・受検予定の皆さま必見!? 第17回 中央区観光検定 “蔦重” 予想問題を作ってみました!(Part1)
・受検予定の皆さま必見!? 第17回 中央区観光検定 “蔦重” 予想問題を作ってみました!(Part2)
・「第17回 中央区観光検定」直前対策! “蔦重” にかかわる過去問をさらにまとめてご紹介します!【最終版】
【主な参考文献など】
・『歩いてわかる 中央区ものしり百科』(中央区観光検定テキスト) JTBコミュニケーションデザイン、2024年10月発行
・『カフェーパウリスタ物語』(カフェーパウリスタ銀座本店のパンフレット)
・岩﨑信也著『蕎麦屋の系図』 光文社、2003年8月発行
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