「第17回 中央区観光検定」直前対策! “蔦重” にかかわる過去問をさらにまとめてご紹介します!【最終版】
ついにNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」がスタートしましたね!
初回放送(1/5)で『吉原細見』(吉原のガイドブック)の出版を思いつき、第2回(1/12)で平賀源内が序文を書いた『細見嗚呼御江戸』を、第3回(1/19)で北尾重政が挿絵を描いた『一目千本』を矢継ぎ早に出版して蔦重の出版人としての人生が始まりました。これから毎週日曜日が楽しみです!
さて、1月2本目となる今回のブログは、昨年11・12月のブログ「受検予定の皆さま必見!? 第17回 中央区観光検定 “蔦重” 予想問題を作ってみました!(Part1・Part2)」の番外編(最終版)として、蔦重にかかわる過去問(第1~15回 試験問題)をさらにまとめて26問ご紹介したいと思います。
今回の過去問は、前二回が問題文に「蔦屋重三郎」または「耕書堂」がある問題(7問)であったのに対し、もう少し範囲を広げて「蔦重の生まれ育った吉原」に関する問題と「蔦重とともに仕事をした人物」に関する問題としました。
なお、試験問題の太字・下線などは、New River がポイントと思う箇所に独自に付けたものとなります。また、各問題の解答は全問題の最後にまとめて記載し、過去問の傾向も分析してみました。
さあ、試験まで10日ほどになりました。本ブログが最後の追い込み、理解度チェックなどにお役立ていただければ幸いです。
※ 念のため、過去問についてご案内しておきますと、「中央区観光検定 de タイムアタック」でいつでもどこでも気軽にチャレンジいただけるほか、京橋図書館(2F地域資料室)などの中央区立図書館に所蔵がありますので、それらをコピーするなどしてトライいただくことができます。
蔦重が日本橋地区・通油町にオープンさせた耕書堂が描かれているこの絵は、検定試験のポスター(本ブログ トップ画像。以下同じ)にも使用されている『画本東都遊(えほんあずまあそび)』という絵本の一部です。後ほど詳しくご紹介します。
第1回 試験問題(平成21年2月22日実施)
問4.
江戸時代の戯作者で絵師の山東京伝は、著作の中で江戸っ子気質を定義づけていますが、その定義にあてはまらないものは次のうちどれでしょう。
ア.いきとはりを本領とする
イ.江戸城の鯱をみて水道の水を産湯とした
ウ.神田で三代続いている
エ.宵越しの銭は持たない
問13.
江戸時代の大ベストセラー『東海道中膝栗毛』の作者、十返舎一九の墓は、勝どき四丁目の真円山東陽院にあり、その墓の左側面には有名な辞世の句が刻まれています。では、「此の世をは とりやお暇に 線香の 煙とともに」に続く言葉は次のうちどれでしょう。
ア.消え行くかな
イ.立ちのぼる
ウ.天国へ
エ.灰さようなら
問79.
人形町から富沢町にかけて広がっていた吉原遊郭は、かねてから町奉行より本所、もしくは浅草日本堤への移転を命じられていましたが、明暦3年(1657)の大火(通称:振袖火事)により建物などが消失したこともあり、浅草への移転を受け入れます。移転の際に奉行所に申し出て、受け入れられた条件として正しいものはどれでしょう。
ア.火事が出た場合の補償金制度の導入
イ.岡場所の取り締まり
ウ.遊郭周辺の警備の強化
エ.夜通し営業の許可
第2回 試験問題(平成22年2月6日実施)
問29.
『東海道中膝栗毛』の作者、
十返舎一九の墓は、勝どき4丁目の真円山
東陽院にあります。この院の入口にある
一九の碑に刻まれている文字は誰によって書かれたでしょう。
ア.徳川夢声
イ.山東京伝
ウ.初代林家正蔵
エ.蔦屋重三郎
問54.
宝暦年間(1751~1764)に、現在の日本橋人形町近辺から浅草に移転後の「新吉原」をしのぐほどの勢いだったといわれる幕府未公認の遊里は、何と呼ばれたでしょう。
第3回 試験問題(平成23年2月6日実施)
問52.
戯作者の山東京伝は、洒落本などにおいて江戸っ子気質を定義づけました。そこで示された江戸っ子の条件の一つに、「江戸城の( )をみて水道の水を産湯とした」というものがあります。( )内に当てはまる言葉は何でしょう。
問62.
勝どき四丁目の真円山
東陽院の入口には、
『東海道中膝栗毛』の作
者、十返舎一九の石碑が建っています。この石碑に刻まれた文字を書いた人物は、弁士などの職業を持ち、ラジオなど多方面に活動した著名人ですが、それは次のうち誰でしょう。
ア.木下華声
イ.岸田國士
ウ.徳川夢声
エ.大辻司郎
問72.
元和3年(1617)に公許され、翌年開設された遊郭街「吉原」はあっという間に大人気となりますが、寛永年間(1624~43)になると一時的に衰退します。その理由は次のうちどれでしょう。
ア.価格が高騰した
イ.周辺に夜盗が出没した
ウ.吉原通いに使われた猪牙舟が禁止された
エ.夜間営業が禁止された
第4回 試験問題(平成24年2月12日実施)
問51.
安永年間(1772~1781)には江戸のまちに屋台が登場。天明6年(1786)に刊行された山東京伝の『江戸春一夜千両』には、著者が描いた屋台の挿絵が挿入されています。その屋台が扱っていた料理は次のうちどれでしょう。
ア.すし
イ.そば
ウ.天ぷら
エ.うなぎ
問88.
現在の日本橋人形町・日本橋富沢町地区にあった吉原は、明暦3年(1657)に発生した大火によって消失したため、浅草日本堤に移転しました。新しい遊郭は「新吉原」と呼ばれましたが、旧地にあった遊郭は何と呼ばれたでしょう。
第5回 試験問題(平成25年2月3日実施)
問21.
江戸時代初期、現在の日本橋人形町・日本橋富沢町付近に幕府公認の遊郭設置を求める嘆願を提出し、元和3年(1617)に許可を得た人物は次のうち誰でしょう。
ア.庄司甚右衛門
イ.財津種爽
ウ.佐藤泰然
エ.大久保今助
第6回 試験問題(平成26年2月15日実施)
問62.
江戸時代初期、現在の中央区内で営業を許可されていた「吉原遊郭」は、明暦3(1657)年、浅草に移転します。移転のきっかけとなった出来事は次のうちどれでしょう。
ア.振袖火事
イ.大塩平八郎の乱
ウ.徳川五代将軍綱吉が生類憐れみの令を発布
エ.八百屋お七の火事
問84.
元和3(1617)年、庄司甚右衛門らの公認遊郭設置の陳情を受け入れた江戸幕府は、ある地区を傾城町として営業を許可しました。この傾城町は、現在の町名でいうと( )と日本橋富沢町の一部にあたります。( )に当てはまる町名は次のうちどれでしょう。
ア.日本橋大伝馬町
イ.日本橋堀留町
ウ.日本橋久松町
エ.日本橋人形町
第7回 試験問題(平成27年2月28日実施)
問21.
駿府(現在の静岡県)の武家の生まれで、近松余七という名で浄瑠璃作者をしていたこともあります。江戸に出てからは作家に専念し、20年以上にわたって滑稽本を書き続けました。墓石は勝どき4丁目の東陽院納骨堂に納められています。この人物は次のうち誰でしょう。
ア.前野良沢
イ.曲亭馬琴
ウ.山東京伝
エ.十返舎一九
問78.
現在の日本橋人形町2・3丁目と日本橋富沢町の一部にあった吉原は、明暦3年(1657)、浅草に移転しました。移転後の新吉原は、移転の際に新たに盛り込んだ条件が許可されたこともあり、大いに繁盛しました。その条件とは次のうちどれでしょう。
ア.武士でも立ち入ることができる
イ.夜通しで営業できる
ウ.客に酒を提供できる
エ.敷地内に質屋を設置する
第8回 試験問題(平成28年2月11日実施)
問19.
勝どき4丁目の真円山東陽院の入り口には、「十返舎一九墓所」と書かれた記念碑があり、一九の墓は同院の納骨堂にあります。記念碑の文字を書いたのは弁士、俳優、作家などとして大正から昭和時代にかけて活躍した人物ですが、それは次のうち誰でしょう。
ア.大辻司郎
イ.徳川夢声
ウ.古川ロッパ
エ.柳家金語楼
第9回 試験問題(平成29年2月18日実施)
問34.
戯作者でもあった山東京伝は、洒落本などにおいて江戸っ子気質を定義づけました。そのひとつに「( )銭は持たない」というものがあります。( )に当てはまる言葉は次のうちどれでしょう。
ア.宵越しの
イ.あぶく
ウ.分不相応の
エ.人に借りてまで
問53.
江戸時代の大ベストセラー『東海道中膝栗毛』の作者・十返舎一九の墓は、勝どき4丁目の真円山東陽院にあり、墓の左側面には有名な辞世の句が刻まれています。では、「此の世をは とりやお暇に 線香の 煙とともに」に続く言葉は次のうちどれでしょう。
ア.消え行くかな
イ.去り行く我が身
ウ.灰さようなら
エ.立ち昇るかな
問56.
江戸幕府公認の遊郭・吉原は、現在の日本橋人形町2・3丁目と日本橋富沢町の一部を加えた地域にありました。多くの客を集めて繁盛した吉原ですが、17世紀中ごろに起こったある出来事の影響を受けて、浅草に移転します。その出来事とは次のうちどれでしょう。
ア.安政の大地震
イ.明暦の大火(振袖火事)
ウ.天保の大飢饉
エ.享保の改革
第10回 試験問題(平成30年1月27日実施)
問76.
江戸時代のベストセラー『東海道中膝栗毛』の作者、十返舎一九の墓は、勝どき四丁目の真円山東陽院にあります。寺院の入口にある石碑に刻まれた「十返舎一九墓所」という文字は、弁士として有名な人物が書いたものですが、その人物は次のうち誰でしょう。
ア.大蔵貢
イ.徳川夢声
ウ.生駒雷遊
エ.山野一郎
問100.
浅草に移転する以前の旧吉原は、現在の日本橋人形町二・三丁目と日本橋富沢町の一部を加えた地域にありました。ところが明暦2年(1656)、町奉行は本所もしくは浅草日本堤への移転を命じます。この命令の背景には、2つの理由があるとされています。ひとつは風紀上の問題ですが、もうひとつの理由は次のうちどれでしょう。
ア.老朽化した建物の倒壊を防ぐため
イ.火事が起こるのを防ぐため
ウ.大名屋敷にあてる土地を増やすため
エ.伝染病の発生を防ぐため
第11回 試験問題(平成31年2月3日実施)
問74.
天ぷらを売り物にする屋台が江戸のまちに登場したのは安永年間(1772~1781)といわれます。天明6年(1786)刊行の『江戸春一夜千両』には著者が描いた天ぷら屋台の挿絵が掲載されています。では、この本の作者は次のうち誰でしょう。
ア.大田南畝
イ.式亭三馬
ウ.十返舎一九
エ.山東京伝
第12回 試験問題(令和2年2月9日実施)
問29.
日本橋人形町・日本橋富沢町付近から浅草に移転した「新吉原」は、夜通し営業が許可されたこともあって繫盛しました。新吉原が幕府公認の遊郭であったのに対し、未公認の遊郭もありました。では、天保の改革で廃止されるまで各所に存在した幕府未公認の遊郭は、何と呼ばれていたでしょう。
問81.
勝どき四丁目にある真円山東陽院には、『東海道中膝栗毛』の作者、十返舎一九の墓があります。駿府(現在の静岡県)に生まれた一九は、流行作家になる以前、浄瑠璃作者として活動していましたが、当時の作家名は次のうちどれでしょう。
ア.近松一九
イ.近松半二
ウ.近松三郎
エ.近松余七
第14回 試験問題(令和4年1月15日実施)
問53.
戯作者の山東京伝は、洒落本などで江戸っ子気質を定義しました。では、以下の選択肢の中で山東京伝による江戸っ子の定義に当てはまらないものはどれでしょう。
ア.宵越しの銭は持たない
イ.親子三代にわたって江戸下町に生まれ暮らす
ウ.江戸城の鯱をみて水道の水を産湯とした
エ.いきとはりを本領とする
第15回 試験問題(令和5年2月18日実施)
問20.
江戸時代初期、現在の日本橋人形町二・三丁目と日本橋富沢町の一部を加えた地域には遊郭があったといわれています。これは遊女屋を営んでいた庄司甚右衛門が中心となり、江戸市中に点在する遊女屋を一か所に集める嘆願書を幕府に提出し、受理されたものですが、遊郭の置かれた町のことを何と呼んでいたでしょう。
【解答】
第1回 試験問題
問4. ウ.神田で三代続いている
問13. エ.灰さようなら
問79. エ.夜通し営業の許可
第2回 試験問題
問29. ア.徳川夢声
問54. ア.岡場所
第3回 試験問題
問52. エ.鯱
問62. ウ.徳川夢声
問72. エ.夜間営業が禁止された
第4回 試験問題
問51. ウ.天ぷら
問88. エ.元吉原
第5回 試験問題
問21. ア.庄司甚右衛門
第6回 試験問題
問62. ア.振袖火事
問84. エ.日本橋人形町
第7回 試験問題
問21. エ.十返舎一九
問78. イ.夜通しで営業できる
第8回 試験問題
問19. イ.徳川夢声
第9回 試験問題
問34. ア.宵越しの
問53. ウ.灰さようなら
問56. イ.明暦の大火(振袖火事)
第10回 試験問題
問76. イ.徳川夢声
問100. イ.火事が起こるのを防ぐため
第11回 試験問題
問74. エ.山東京伝
第12回 試験問題
問29. エ.岡場所
問81. エ.近松余七
第14回 試験問題
問53. イ.親子三代にわたって江戸下町に生まれ暮らす
第15回 試験問題
問20. ウ.傾城町
『狂歌東遊(きょうかあずまあそび)』(著者:浅草菴市人 撰、葛飾北斎 画、出版者:蔦屋重三郎、出版年:寛政11年(1799)、分類:狂歌絵本(地誌))に描かれている耕書堂(絵のタイトルは「繪草紙店(えぞうしだな)」)。北斎が(俵屋)宗理の名を師家に返却し、北斎を名乗り、独歩の意気込みのもとに手掛けた、最初の本格的絵本(墨摺りの江戸名所絵本)となります。(出典:国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2533319 49コマ目)
上掲『狂歌東遊』の狂歌を削り、極彩色摺りの江戸名所絵本として改題のうえ、再生させた『画本東都遊(えほんあずまあそび)』(著者:浅草菴市人 作、葛飾北斎 画、出版者:蔦屋重三郎他、出版年:享和2年(1802)、分類:絵本(地誌))の耕書堂。(出典:国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2533327 32コマ目)
大伝馬町本町通り(日本橋大伝馬町13-8先)にある「蔦屋重三郎「耕書堂」跡」の説明板には、上掲『画本東都遊』の耕書堂が紹介されています。
この絵は検定試験のポスターにも使用されているので、「この絵草紙店の店先にある行燈看板には何と書かれているでしょう」「この絵草紙店の入口には誰の作品が宣伝されているでしょう」などといった問題も十分予想されると思います。
【まとめ(傾向・分析)】
こうやって過去問(第1~15回までの26問)を見ていくと、「蔦重の生まれ育った吉原」に関する問題が12問、「蔦重とともに仕事をした人物」に関する問題が14問(うち、十返舎一九が8問、山東京伝が6問)と、同種・同様の問題が頻出していることがわかりました。
このように、蔦重がテーマ問題となっていなかった試験においても、蔦重にかかわる問題が数多く出題されていることから、今回の試験は(蔦重はもちろんのこと)、上記二人に加え、平賀源内や北尾重政、大田南畝、喜多川歌麿、葛飾北斎、東洲斎写楽、曲亭馬琴など、さらに多くの人物に関する問題が幅広く出題される可能性があると思います。ちなみに、検定試験のポスターには、歌麿と写楽の絵も使用されています!
そういえば、今回の公式テキスト『歩いてわかる中央区ものしり百科』に上記ポスターのミニ版(チラシ)が付いていましたよね。ということは、冒頭の耕書堂、そして歌麿、写楽の写真問題が出題されるかもしれません!?
勝どき4丁目の真円山東陽院(しんえんざんとうよういん)の入口にある石碑。「十返舎一九墓所」と刻まれており、弁士、俳優、作家などとして大正から昭和時代にかけて活躍した徳川夢声(とくがわむせい)が書いたものです。【第1回 問13・第2回 問29・第3回 問62・第7回 問21・第8回 問19・第9回 問53・第10回 問76・第12回 問81関連】
『江戸春一夜千両(えどのはるいちやせんりょう)』(著者:山東京伝 作、北尾政演(=山東京伝) 画、出版者:蔦屋重三郎、出版年:天明6年(1786)、分類:黄表紙)に描かれている天ぷら屋台。表紙には蔦重の版元印(山型に蔦の葉のマーク)を見ることができます。(出典:国立国会図書館デジタルコレクション ション https://dl.ndl.go.jp/pid/2532477 12コマ目、当該箇所を示す丸印を加筆)【第4回 問51・第11回 問74関連】
※「受検予定の皆さま必見!? 第17回 中央区観光検定 “蔦重” 予想問題を作ってみました!(Part1)」(2024.11.30 9:00 公開ブログ)の訂正とお詫び
上記ブログの予想問題 問4.【解説】6つ目の段落に誤りがありました。
つきましては、以下のとおり訂正するとともに謹んでお詫び申し上げます(当該ブログ・当該箇所も訂正内容を反映済です)。
【訂正内容】
元和3年(1617)は、公認遊郭設置が許可された年であって、遊郭(傾城町)の開設は翌年の元和4年(1618)でした。
【訂正後のブログ・当該箇所】(黄色マーカー部分を訂正)
当時の遊女屋は幕府の非公認であったため、庄司甚右衛門(しょうじじんえもん)らの陳情により、元和3年(1617)、公認遊郭設置が許可、翌年、現在の日本橋人形町付近に傾城町(けいせいまち)が開設され、その場所が「葭原(よしわら)」とされ、のちに「吉原」に改称されました。
※ ブログ中のイラストは「いらすとや」の素材を使用しました。