べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 異聞 ③
~ 北尾重政 ~
リモートで、愛する中央区をナビゲートします、rosemary sea です。
NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)~」第3話、ご覧になりましたか?
今回も日本橋や人形町、他中央区関連の映像や語りを探していました。
ありました、出てきました、前回同様「人物」です。小伝馬町生まれの浮世絵師「北尾重政(きたおしげまさ)」。
北尾重政につきまして、少しご紹介させていただきます。
なお、冒頭画像は日本橋小伝馬町9-1、千代田神社です。小伝馬町繋がりで掲載しました。
千代田神社、以前ご紹介をさせていただいております。
⇒ 2020年5月12日「人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社 ⑥ ~ 千代田神社 ~」
それでは・・・
浮世絵師・北尾重政は・・・
元文4年(1739年)~文政3年(1820年)
北尾重政は小伝馬町の生まれ。父親は書肆(しょし)、つまり本屋を営んでいました。
安政3年(1774年)、蔦重が初めて出版しました遊女評判記「一目千本(ひとめせんぼん)」の挿絵を、北尾重政は描きました。
老中田沼意次(ろうじゅうたぬまおきつぐ)の時代、いわゆる「田沼時代」は当初から天災や飢饉が多かったようです。しかしそれでも庶民の間では暮しの豊かさを示すこともありました。
そのひとつが「挿花(そうか:さしばな)」、一輪挿しに近いものです。
この挿花の流行を蔦重は見逃しませんでした。「一目千本」に一輪の花を描いた挿絵を、当時のカリスマ絵師、北尾重政に委ねたのです。
北尾重政は役者絵、美人画、風俗画、いろいろな分野の浮世絵を描きました。
彼の代表作の錦絵本「青楼美人合姿見(せいろうびじんあわせすがたみ)」は勝川春草(かつかわしゅんそう)との競作です。(※)
※ 「青楼美人合姿見」は 西尾市岩瀬文庫 にてご覧ください。
そして特に美人画の分野では繊細なタッチが売りでした。
その描写スタイルは後の鳥居清長や喜多川歌麿も影響を受けた、と云われています。
更に、自分は独学で絵を学んだにも関わらず、弟子の育成はエクセレント。
「北尾政美(きたおまさよし)」、「北尾政演(きたおまさのぶ:山東京伝【さんとうきょうでん】としても知られる)」、「窪俊満(くぼしゅんまん)」、弟子たちが勝手に育ったとも思えず、北尾重政は教え上手だったのかもしれません。
「べらぼう・・・」での北尾重政は・・・
橋本淳(はしもとあつし)さんが演じています。20年前「魔法戦隊マジレンジャー」マジレッド役、憶えています。
吉原に客を呼び戻すため、新しい吉原紹介本を画策する蔦重と重政。
120名ほどのの遊女を、そのまま顔を描いたら見分けがつかない、ならばそれぞれ違う花に見立てて表現してみようか、と、蔦重と重政は考え起こしました。出来上がったのが『一目千本』。
新しい客付けに、と蔦重は『一目千本』を吉原中に配りまくります。
一目千本刊行後、半月で、吉原に活気が戻りました。・・・
北尾重政
~蔦重出版物に“北尾重政”あり、商売初期から支える人気絵師~
本屋の息子として生まれ、本に囲まれた環境に育ち、絵師としての才能を開花させる。
門人も多く、喜多川歌麿(染谷将太さん)を弟子のように育てたともいわれる。
「美人画」、「役者絵」の絵師として人気を誇る一方で版本挿絵の仕事も晩年まで続け、蔦重出版物の多くに関わることになる。
蔦重(横浜流星さん)との最初の仕事は『一目千本』。
ー NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」ホームページより ー
なお、第3話終わりに「西尾市岩瀬文庫」も紹介されていました。
「一目千本」は・・・
実物は、大阪大学学術情報庫「華すまひ」 にてご覧ください。
「一目千本」とは、元は「千本の桜を一目で見渡せる」という意味。
蔦重の出版しました「一目千本 花すまひ」は、それぞれの遊女を一本一本の花にたとえてその美貌や個性を紹介する、といった本。「吉原細見【よしわらさいけん】(※1)」の蔦重版、といったところです。
※1 吉原細見につきましてはこのシリーズの ② にて述べています。
「一目千本」は上下2巻の70ページのハンディタイプ。この本を蔦重は遊女自身に買ってもらいました。
ですから手に入れるには本屋へ行っても無理、遊女からの手渡しでのプレゼントしか方法はありませんでした。
なかなか手に入らない、いわゆる「一流の遊び人」のステータスとも言いうべき吉原遊女の紹介本でした。
「一目千本」を人気本にのし上げた蔦重、営業上手ですね。しかも受注生産方式をとったため、収益はことのほか多かったようです。
蔦重が「一目千本」を出版した数か月後、同じ安政4年(1775年)に、このタイミングで最大のライバル鱗形屋孫兵衛(うろこがたやまごべえ)の店「鱗形屋」が大失態(今で言う著作権侵害)を犯します。
そのため鱗形屋は「吉原細見」の出版ができなくなりました。
蔦重はこれに乗じて吉原細見「籬(まがき※2)の花」を刊行しました。(※3)
※2 籬・・・竹や柴などを粗く編んだ垣。「ませ」「ませがき」とも。
転じて、遊郭の入り口の土間と上り口との間の格子戸のこと。
※3 「籬の花」は、画像はありませんが目録は 西尾市岩瀬文庫/古典籍書誌データベース をご覧ください。
「籬の花」は今までの吉原細見よりサイズアップ、1ページを上下2つに分けて遊女を紹介しています。
その分、薄い本が出来上がりコストダウン。価格を低くして販売することができました。ですからこちらも大ヒット。
「通」の一目千本、「皆が持つ」籬の花、二刀流です。最強です。
しかもこの「籬の花」に、「一目千本」などのコマーシャルまで入れるという抜け目の無さ、さすが蔦重。
・・・「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」、これからも人形町や日本橋、その他中央区に関する映像や語りにストレートに向き合っていきます。