人形町?人魚町?
『箱入娘面屋人魚』山東京伝 国立国会図書館デジタルコレクション
通油町(現 大伝馬町)に耕書堂を構え地本問屋として活躍した蔦屋重三郎が出版した黄表紙。
京橋に住んでいた山東京伝の『箱入娘面屋人魚』もその黄表紙の一つです。
その序文を蔦重自ら「まじめなる口上」として以下のように書きました。
「奉行所からきついお叱りを受けた山東京伝が二度とふざけた本を書かないと言っています。
しかし、それでは自分の商売が成り立たないので何とか説得し、堅い志を曲げてまで書いてもらった新作です。
つきましては是非買ってください。」(意訳)
しかし、どっこい、奉行所におびえ、頼まれたから仕方なしに書いたとは思えない生き生きとした戯作になっています。
『箱入娘面屋人魚』あらすじ
物語は老中田沼意次の時代に歓楽街として栄えた中洲新地(新大橋の南方)が寛政の改革で取り壊され埋め立てられた後から始まります。消えたはずの中洲新地は隅田川の川底で魚たちの猥雑な歓楽街として生きていました。
竜宮城で乙姫と恋仲になっていた浦島太郎ですが、魚たちの中洲新地で美しい茶屋女と深い仲になってしまいます。茶屋女と言っても人間ではなく魚。鯉でした。その浮気で生まれたのが人魚。
竜宮城の竜王に知られたら大変なことになると、浦島太郎は人魚の赤ん坊が見世物にならないことを願いつつも捨ててしまいます。赤ん坊は無事に成長し、漁師の釣り船に飛び込んで結婚してくれるように頼みます。押し掛け女房ですね。それが、上の絵の場面です。現在一般的に描かれる人魚は上半身は人間ですが、山東京伝の人魚は首以外は魚です。結構グロテスクに見えます。
そして、夫となった漁師の借金を返済するために人魚は遊女になったものの魚特有の生臭さから失敗したり、逆に人魚であることを活かしてお金を儲けたり。
最後は魚の皮がむけて人間になって漁師の夫と幸せに暮らしたというちょっと大人のお話。
新年に合わせて出版された黄表紙らしく「長寿」「富」「夫婦円満」という縁起の良い話としてまとめられています。
中洲新地以外にも葺屋町河岸、両国、堺町、人形町と中央区の地名が出てきます。
人魚であることを生かした金儲け
人魚の夫はある学者から「本草学」の本に人魚のことが書かれている。そして「昔からの言い伝えによると人魚を舐めたものは千歳の寿命を保つという。金になる代物だ。」と聞かされます。
そこで、「寿命の薬、人魚なめ所」という看板をだしたところ長寿を願う人達が我も、我もと集まってきて大儲けしたという話が展開されます。
人魚をなめると云々の話は日本各地に残っている「八百比丘尼」伝説からきていると思われます。
八百比丘尼とは人魚の肉を食べた娘が長生きして最後は尼僧となり諸国を巡礼したという話です。
八百比丘尼は単なる伝説だとしても、学者が「本草学」の本に人魚について書いてあるといっているのが気になるところ。
江戸時代の本草学(医薬の学問)で人魚はどのように位置づけられていたのでしょうか?
江戸時代学問の中での人魚の位置づけ
『六物新志』国書データーベース
上の本は大槻玄沢の『六物新志』です。
医師である大槻玄沢は『解体新書』の前野良沢にオランダ語を学び、後に長崎に遊学し一層オランダ語に堪能になりました。その後に師である杉田玄白から『解体新書』の改訂を命じられたほどの一流の蘭学医です。
その彼が『六物新志』のなかでオランダから伝えられた妙薬の元となる6つの物のひとつとして「人魚」をあげ、「人魚の肉は皮膚病に効き、骨には止血効果がある」としています。
『六物新志』の人魚の挿絵はフランスの本とポーランドの本の写しです。世界で広く人魚が実在すると信じられていたことがわかります。山東京伝の人魚と違うところは上半身は完全に人間で手もあるところです。右ページの絵はよく見ると足もあります。
他にも江戸中期の百科事典『和漢三才図会』で「オランダで人魚の骨が解毒の薬として利用されている」と書かれています。こちらの人魚の挿絵も上半身は人間で手があります。
貝原益軒が編纂した『大和本草』という本草書でも魚類の分類に人魚が入れられています。長崎や土佐での捕獲例もあげ、肉や骨が下血を止める妙薬なるとされています。
医薬の学問でまことしやかに人魚について書かれていたら見たことはなくてもその存在を信じる人は多かったのではないでしょうか。
人形町は人魚町?
山東京伝は人魚の存在をどこまで信じていたのでしょうか?
舐めると若返る効能を利用して裕福になった人魚夫婦は堺町に家を構えました。そこを「人魚町」といいましたが、今は誤って「人形町」と呼ばれているとまるで本当のことのように言います。
人魚町が誤って、あるいは訛って人形町。いかにもありそうです。
しかし、堺町・葺屋町には歌舞伎や人形浄瑠璃の芝居小屋があり、周辺には人形浄瑠璃で使う人形を作る職人も多く住んでいました。そこから人形町と呼ばれるようになったというのが定説です。
人形浄瑠璃の頭(かしら)は目や口が閉じたり開いたり、首も繊細な動きをします。また、若い女性の顔が一瞬で鬼に変わったりもします。そのような仕掛けを動かすためにクジラのひげが最適であり、現在も使われています。
江戸時代からの通称なのでその由来は江戸に住む黄表紙の読者たちはもちろん知っていたでしょう。
本当の由来を知っているからこそ、人魚町とふざけて笑うのが黄表紙の楽しみ方だったのかもしれません。
参考文献
『人魚(ものと人間の文化史)』田辺悟 法政大学出版局
『めでたしめずらし瑞獣珍獣』内山淳一 パイインターナショナル
人形町の由来の2つの碑
① 「鯨と海と人形町」 日本橋小学校そば
人形を動かすために使う鯨の髭にちなんだ迫力ある鯨の像と人形町の由来が書かれた碑があります。
② 「人形町の由来碑」 人形町通り文教堂前植え込み
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