えだまめ

向島の「三囲(みめぐり)神社」

子連れ特派員のえだまめです♪

ちょっと今日は中央区を飛び出して、区外へお出かけです。

 

みめぐりじんじゃ。

漢字で書くと「三囲神社」

皆様ご存じでしょうか。

以前にも先輩特派員さんが取り上げていらっしゃったかと思うのですが

http://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/archive/2016/06/post-3452.html

日本橋三越本店や銀座三越の屋上に祀られている神社。

三井家の守り神、なのですよね。

中央区の神社巡りをする中でも名前が挙がってくるお社です。

 

ですが、それはもともとは別の場所にある神社から分祀されたものなのです。

(えだまめ、不勉強でした。反省。)

そんなわけで、お休みの日のある日。

中央区を抜け出して、墨田区向島の三囲神社までお出かけしてきたのでした。

そもそもの「三囲神社」の歴史

そもそもの「三囲神社」の歴史 向島の「三囲(みめぐり)神社」

お出かけ前に、基礎データを見直しておきましょう。

 

「・・・近江国三井寺の僧源慶がこの地に遍歴して来た時、小さな祠のいわれを聞き、

社壇の改築をしようと掘ったところ、壺が出土した。

その中に、右手に宝珠を、左手にイネを持ち、白狐に跨った老爺の神像があった。

このとき、白狐がどこからともなく現れ、その神像の回りを3回回って死んだ。・・・」

この話が「三囲(みめぐり)」の名の由来だそうです。

 

「元禄6年(1693年)、旱魃の時、俳人其角が偶然、当地に来て、

地元の者の哀願によって、この神に雨乞いする者に代わって、

「遊(ゆ)ふた地や田を見めくりの神ならは」と一句を神前に奉ったところ、翌日、降雨を見た。

このことからこの神社の名は広まった・・・」

その句碑は今でも境内に残っています。

三井家と三囲神社

では、なぜ三井家は三囲神社を信仰するようになったのか。

ひとつは三井越後屋のあった日本橋エリアから見ると向島の三囲神社は鬼門の方角にあたったこと。

なので三井家に悪い運気が入るのを防いでくれるものと信じられたようです。

また三井の「井」の字を四角でぐるりとかこんだのが「囲」の字。

そのため、三井を守ってくれるもの、という風に考えられたのだそうですよ。

 

そんなわけで、日本橋三越本店や銀座三越の屋上には

今でも三井家の守り神として祀られているのです。

三囲神社の中にある「三井」のおもかげ

三囲神社の中にある「三井」のおもかげ 向島の「三囲(みめぐり)神社」

さて、実際の三囲神社の中には三井家のおもかげがたくさんだったのでご紹介です。

まずは入口の所にある大きな「三囲神社」の碑の側面。

写真だとちょっとわかりにくいのですが

「三井高棟(たかみね)」という名前がありました。

https://www.mitsuipr.com/history/columns/022/

三井家の最も栄えていた時代と言われる明治半ばから昭和初期に三井家の当主であった方のお名前です。

文化人としても有名な方だったそうですよ。

 向島の「三囲(みめぐり)神社」

そして最初の鳥居をくぐったところには神社の修理の際に寄付をした方のお名前があったのですが。

個人の寄付者の方のお名前もたくさんありましたが

(さすがにそれは割愛させていただきますが)

こちらの碑の先頭には「三井八郎右衛門」のお名前。

三井八郎右衛門・・・三井家のご当主が代々受け継いでおられるお名前です。

そしてそれに続くのが「三井」の名前を冠する会社の数々。

今でも三井グループの会社の皆様にとっての大切な場所だということが伝わります。

 向島の「三囲(みめぐり)神社」

さらに本殿の方へ近づくと。

「・・・三越のライオンさん!?」

そうです。本物です。

2009年、池袋三越が閉店となりましたが

その際にそちらにいたライオンさんが三囲神社にやってきたのです。

やはりこれも三井越後屋=三越と三囲神社との深いかかわりからなのでしょう。

 

他にも、三井家の先祖代々の霊を祀る祖霊社「顕名霊社」もこの神社の境内にありますし

境内のお狐さんも江戸時代に三井越後屋が奉納したものだそう。

三井家・そして現在の三井グループにとっての大事な場所なのだ、ということが理解できました。

「デパートメントストア宣言」の日比翁助の足跡も

「デパートメントストア宣言」の日比翁助の足跡も 向島の「三囲(みめぐり)神社」

「いしがきの 小石大石 持合ひて

  御代は ゆるがぬ 松ヶ枝の色  日比美勲 」

入口近くには石垣に埋め込まれたような形の歌碑がありました。

日比美勲。美勲は号で、本名は日比翁助。

呉服店であった三井越後屋が

1904年に「デパートメントストア宣言」を行い、日本で最初の百貨店としての歩みを始めた

・・・というのは中央区観光検定の公式テキストにも記載されておりますが。

その宣言を行った時の専務取締役が日比翁助という人物でした。

のちに会長にもなり、三越の経営改革に多大なる功績を残した方です。

ちなみにライオンが大好きだったこの方が三越の店先に「ライオンの像」を置くようにしたのです。

 

他にもあちこちに三井家の歴史を感じられる場所があった三囲神社。

スカイツリーからすぐの場所ですので

そちらへお出かけの際にはちょっぴり寄り道してみるといいかもしれませんね。

 

★三囲神社★

東京都墨田区向島2-5-17

www.tokyo-jinjacho.or.jp/sumida/3137/