企画展「鏑木清方 幻の《築地明石町》特別公開」 ~東京国立近代美術館~
中央区ゆかりの日本画家・鏑木清方(かぶらき・きよかた)の傑作『築地明石町』は長年所在不明になっていたが、このほど44年ぶりに見つかったという。このことから“幻の名作”といわれる。東京国立近代美術館では、同時に見つかった『新富町』『浜町河岸』と合わせた三部作となる3点を収蔵していて、同館所蔵の清方作品とともに特別展示を行っている。【写真】同館HPから
会期=2019.11.1~12.15 会場=同館3階ギャラリー 休館日=月曜日 観覧料=大人800円
同館HP:https://www.momat.go.jp/
回想の明治を描いた三部作―『築地明石町』『新富町』『浜町河岸』
『築地明石町』 昭和2年(1927)、173.5×74.0cm 絹本彩色 軸装
「清方の代表作にして近代美人画の金字塔」と称賛されている。女性は夜会巻の髪型で、金の指輪をはめている。外国人居留地だった明石町の洋館や帆船のマストが異国情緒を添える。
『新富町』 昭和5年(1930) 173.5×74.0cm 絹本彩色 軸装
蛇の目傘で雨下駄の女性は新富芸者。髪は潰し島田、縞の着物に小紋の羽織。背景はガス灯や絵看板が特徴だった新富座。この辺りは清方が住んだ木挽町と近い。失われた風情の一場面であった。
『浜町河岸』 昭和5年(1930) 173.5×74.0cm 絹本彩色 軸装
清方は浜町に明治末から6年間暮らした。娘は踊りの稽古からの帰りが設定という。扇を口元にやり、左手で袂をすくうのは習った踊りの所作のようだ。背景は新大橋と対岸の深川。
【資料】「鏑木清方原寸美術館」小学館、2019/10/28発行。右は企画展パンフ
鏑木清方と中央区
鏑木清方(「かぶらぎ」ではなく、「かぶらき」が正しい)は、明治11年(1878)神田の生まれ。父は『やまと新聞』創設者の条野採菊(じょうのさいぎく)、母方の鏑木姓を継ぐ。水野年方に入門し、清方の雅号となる。大正期は帝展審査員を務める。その後、芸術院会員となり、昭和29年(1954)文化勲章受章。昭和47年(1972)没。戦後移り住んだ鎌倉に鏑木清方記念美術館がある。
清方は木挽町に住み、明治末には浜町清正公寺辺りに転居するなど中央区とも縁が深い。今回の三部作は清方が過ごした懐かしい時代と場所を情緒豊かに描き出している。展示会場には『鰯(いわし)』(昭和12年)と題した作品が出品され、佃島で水揚げされたイワシを天秤棒で売り歩く小僧と客といった庶民の生活風景を描いている。
展示にはないが『朝夕安居(ちょうせきあんきょ)』という作品には、湊町から八丁堀辺りの古き時代の夏の情景が描かれ、昭和23年(1948)に日展に出された。今回企画展の出品リストはA2サイズで、明治40年(1907)の築地明石町、銀座、佃月島一帯の地図に橋などのポイントが載っているので、当時を振り返る資料になる。(@AM)