落語家 橘屋圓喬を知っていますか?
今回は時節に合ったお話をさせていただきます。
私は全く見ていないのですが「いだてん」というNHKの大河ドラマが放映されています。ナビゲータ的な役割を果たす『古今亭志ん生』(ビートタケシさんが演じています)が出ていますが、この師匠が「4代目 橘屋圓喬」という方です。名前を聞いてもご存知の方はほとんどいらっしゃらないと思います。この師匠は元吉原跡にあった玄冶店(住吉町)に居を構えていたので、「玄冶店の師匠」とか「住吉町の師匠」とか言われていました。大河ドラマでは劇団 大人計画の松尾スズキさんが演じているようですが、写真の圓喬師匠と比べると印象はちょと違う感じがします。(ドラマを全く見ていないので、間違っていたらごめんなさい)
初代 圓朝の一番弟子で、いずれは・・・・・・と言われていましたが
江戸時代末期(幕末)から明治時代に活躍した落語家 初代三遊亭圓朝一派の系図からも判るように圓喬師匠は一番弟子でした。慶応元年(1865年)~大正元年(1912年)に生き活躍した4代目 橘屋圓喬師匠は、初代 圓朝の弟子でいずれは圓朝を違いないと言われていました。話術の巧さは、師匠圓朝を凌いだと言われています。
「圓朝は研いだ正宗、(圓喬の兄弟子の)二代目圓馬は研がない正宗、圓喬は村正」と評されました。
圓生は「圓朝は自然の品位であり、地であったが、圓喬はそれを装っていた。」と分析しています。性格的にも心を開かず、狷介であり人々の支援が得られず円朝になることが出来ませんでした。
橘屋で思いつくのは、ウチのセツコで有名な「橘屋圓蔵」ですね。この師匠は江戸川区「平井」の師匠と言われていました。住吉町とか谷中とか平井とか下町は、『落語の師匠』にピッタリですね。沖縄とか北海道ではピンときませんから。