【遠足シリーズ第22弾】長野のお菓子と史跡に見る中央区
こんにちは。アクティブ特派員のHanes(ハネス)です!
1月1週目の初詣や初売り、日本橋七福神めぐり等に引き続き、12日(日)には鉄砲洲稲荷神社にて中央区の新年の風物詩「第65回寒中水浴大会」が、13日(月・祝)にはロイヤルパークホテルで中央区成人の日記念式典「新成人のつどい」が行われる等、新年早々行事が盛りだくさんです♪
そのような旬の行事についてではありませんが、前回に引き続き、長野で出会った中央区に関連のあるものをご紹介したいと思います。
真味糖と歌舞伎座
一つ目は、トップの画像にある開運堂さんのお菓子「真味糖(しんみとう)」です。
こちらはガイドブックに掲載されており、材料や見た目が英国でよく食べていたトフィーに少々似ていたことから、気になって自分用に購入しました^^
お菓子の説明を読んでみると、「(...)表面に現れるクルミの断面を歌舞伎の隈取化粧に見立て、当初は「歌舞伎くるみ」と称し、一時、東京銀座の歌舞伎座でも販売していました」とあります。
このお菓子が創作されたのは大正末期。(公式ウェブサイトでは大正中期とも。)
ということは、歌舞伎座が第三期の頃(大正13年12月~昭和20年5月)でしょうか。
現在は第五期(平成25年4月~)で、第三期からの意匠の流れを踏襲しています。
(2019年11月撮影)
そして、「表面に現れるクルミの断面を歌舞伎の隈取化粧に見立て」の部分ですが、いかがでしょうか?
そう言われてみると、白にくるみが映え、歌舞伎役者の表情を見やすくするための独特な化粧に通ずるものがあるようにも思えます。
材料は白砂糖、鬼胡桃、蜂蜜等でよく「甘い」と言われるようですが、本場のトフィーに慣れている私にとっては普通の甘さでした^^
そして、現在の「真味糖」という名称は、昭和初期に裏千家淡々斎宗匠が茶席菓子に相応しい菓名にと命名されたそうです。
「和風タフィー」ということで、日本茶や抹茶のみならず、コーヒーや紅茶にも合うとのこと。
気になる方は、ぜひ銀座に店舗を構える長野県のアンテナショップ「銀座NAGANO」さんでチェックしてみてください♪
(どんぐりの粉入りの土偶型クッキーをご紹介した時の記事はこちらから。)
小諸と島崎藤村
江戸時代には現・日本橋浜町に小諸藩の屋敷があり、現・中央区とも関連性のある小諸。
昨年8月、先輩特派員のにゃんボクさんが「島崎藤村氏の青年期を形作る小諸での日々」にて詳しくご紹介していた通り、小諸には島崎藤村ゆかりの地があります。
今回は、日本唯一の「穴城」(城下町より本丸が低地に位置しているお城のこと)と呼ばれる小諸城址懐古園にある島崎藤村の像や碑について簡単にご紹介します。
敷地内の一角に、島崎藤村の小諸時代の資料を展示する「藤村記念館」があります。
建物は、日本最高峰の建築家である谷口吉郎氏が設計したものです。
恩師 木村熊二に招かれ小諸義塾に赴任してからの約6年の間に、『千曲川のスケッチ』や『旧主人』等を生みだした藤村。
小諸時代の最後には『破戒』を起稿しました。
記念館のそばには、柳田國男が愛知県の伊良湖岬に滞在した際の体験を元に藤村が作詞したと言われる「椰子の実」の碑もあります。
日本の文豪の作品には苦手意識がありあまり手に取りませんでしたが、こうしてゆかりの地を訪れ、実際に目で見て肌で歴史を感じるとおのずと興味がわくので不思議です。
藤村は泰明小学校に通ったり、海水館にて自伝小説『花』を執筆したりと、中央区との関係性は深いと言えます。
2020年は、中央区にゆかりのある明治期の文豪の知識も深めたいと思いました。