いのちゃん

【中央区のプロダクト】“魔法のインキ”「マジックインキ」ものがたり

 

みなさん、こんにちは。B級特派員の いのちゃん です。

どこにも出かけなかった週末、一人で漫画を読んで過ごしました。感染症の拡大防止に努めていると言えば聞こえはよいのですが、自分にとってはいつもとあまり変わらない生活であることに気づきました。おたくとはそういう生きものです。

今日は漫画をヒントに中央区のプロダクトについてお話ししたいと思います。

 

?(はてな)マークでおなじみのあのアイテム

世の中にはおなじみ過ぎて普通名詞のように使われがちな商品名というものがあります。なかには、それが固有名詞であることに気づいていないという人もいるほど私たちの生活に浸透しています。

そんなふうに、油性マーカーのことを何でも「マジック」と呼んでしまうという人はいませんか。
正式名称はマジックインキ。昭和28年(1953)4月発売の超ロングセラーで、油性マーカーの代名詞となっています。

 

 【中央区のプロダクト】“魔法のインキ”「マジックインキ」ものがたり

学校にあったのは8色セット。模造紙に書くときはいつもこれでした。

 

マジックインキを作っているのは、絵の具のブランド「ギターペイント」でも知られる寺西化学工業株式会社という大阪市のメーカーです。

寺西化学工業のホームページに載っているマジックインキ「誕生物語」を読んでみました。

創業は大正5年(1916)4月。そのとき、創業者の寺西長一(てらにし・ちょういち)氏は18歳でした。舶来品に負けないインキやクレヨンなどの国産化を実現し、日本産業の近代化はもちろん、美術教育の促進という大切な役割も果たしていくなかで、時代に先駆けた新しい製品に取り組みたいと意欲を燃やしていた寺西氏は昭和27年(1952)、産業視察団によりアメリカから持ち帰られた見たこともないフェルトペン先の筆記具に衝撃を受け、日本での製造を思い立ちます。

 

 【中央区のプロダクト】“魔法のインキ”「マジックインキ」ものがたり

寺西長一氏

 

戦後まもない物資の乏しい昭和20年代に早くも製造工場の建設に取りかかり、染料の開発から始めた苦労は大変なものでしたが、寺西氏は持ち前の旺盛な探求心から研究を重ね、ひとつひとつ課題をクリアし、マジックインキの完成にたどり着きました。

マジックインキが発売されるまで、どんなものにもよく書け、すぐに乾き、濡れてもこすっても落ちないという筆記具はありませんでした。つけペンが主流だった時代に、インキの補充なしに連続筆記ができるという点も非常に画期的で、マジックインキはそれまでの筆記具の常識を打ち破る“魔法の筆記具”だったのです。

ブレイクのきっかけは漫画

魔法のような商品ですから、発売後すぐに大ヒットしたものと思いきや、意外にも当初はまったくと言っていいほど売れなかったのだそうです。

実演販売をしても売れ行きは散々で、販売方法に苦心を重ねるなか、マジックインキの存在を世に知らしめる立役者となる二人の人物が現れます。

昭和30年(1955)、NHKラジオで人気を博し、当時売れっ子漫画家だった長崎抜天(ながさき・ばってん)氏によるパフォーマンスは大きな反響を巻き起こしました。日比谷公会堂の講演会で舞台の幅いっぱいにつないだ模造紙に、インキの補充もせずに世界各国の首脳の似顔絵を一筆で描き上げ、「魔法のタネはこれだ!」と言って手にしたマジックインキを見せ、驚く聴衆から喝采を浴びたのです。

山下清(やました・きよし)氏はテレビドラマのモデルにもなった裸の大将として親しまれた大正生まれの放浪画家です。点描の技法を用いた精巧な貼り絵はご存じの方も多いと思います。販促活動のため、昭和39年(1964)発売の水性マーキングペン「ラッションペン」によるカラー点描画の制作を山下画伯に依頼。後楽園ゆうえんちが描かれた作品をはがきなどに印刷し、ノベルティとして配布したことで大きな宣伝効果をもたらしました。

現在連載中の作品にもマジックインキが使われています

連載開始から50年を越える長寿作品、劇画『ゴルゴ13』の作者であるさいとう・たかを先生が使用する筆記具の中にもマジックインキがあります。あの眼光鋭い主人公・デューク東郷の表情はマジックインキ No.500により眉から描き始められます。

 【中央区のプロダクト】“魔法のインキ”「マジックインキ」ものがたり

マジックインキ No.500(上) と マジックインキ No.700(下)

 【中央区のプロダクト】“魔法のインキ”「マジックインキ」ものがたり

ほぼ下絵のない状態で、迷いなくキャラクターを描くことができる劇画界のレジェンドにとっては、インキが乾くのを待つ必要がない速乾性という点が極めて重要で、マジックインキをはじめとする数種類の太さのマーカーを使い分け、キャップを開け閉めしながら作画を進めていきます。私がこどもの頃に刷り込まれた「漫画家といえばGペン(つけペンの一種)」という固定観念を覆されました。

さいとう・たかを先生が自らペン入れをする擬音(効果音)にもマジックインキが用いられます。筆致をよく見ると独特の丸みがあり、マジックインキのペン先であることがうかがえます。実際に作品を見てみましょう。ラストシーンに向かって畳みかけるように擬音が続きます。

 

一コマ一コマ重複のない擬音のバリエーションが出色です。

 【中央区のプロダクト】“魔法のインキ”「マジックインキ」ものがたり

©さいとう・たかを

 

日本三大祭りのひとつ、ゴルゴ擬音祭り!

 【中央区のプロダクト】“魔法のインキ”「マジックインキ」ものがたり

©さいとう・たかを

 

マジックインキによる筆致にご注目ください。

 【中央区のプロダクト】“魔法のインキ”「マジックインキ」ものがたり

©さいとう・たかを

『ゴルゴ13』SPコミックス159巻(リイド社)より。
コマ割りは原作のままですがページは抜粋しています。
※こまわり君の話ではありません。

 

なぜ大阪弁!? なぜ大爆発!? 続きはSPコミックスでどうぞ。

 

昭和35年(1960)4月に設立したさいとう・プロダクション(現在は株式会社)は今月、創業60年を迎えました。さいとう・たかを先生が「紙の上で映画を創りたい」との思いから、分業制で劇画というジャンルを確立したことは、それまでの漫画界の常識を打ち破るものでした。デビューしたのは18歳。日本で初めて油性マーカーを開発した寺西化学工業の創業者・寺西長一氏のパイオニア精神と通ずる何かを感じます。

ここまで中央区なし

話はさかのぼりまして、寺西長一氏がマジックインキを開発するきっかけとなったアメリカ製の油性マーカーを日本に持ち帰ったのは内田憲民(うちだ・けんみん)氏という人物です。

昭和26年(1951)、アメリカの進んだ産業界を視察し、戦後復興に役立てようという目的で出発したアメリカ産業視察団の一員である内田氏はこのとき、内田洋行という会社の社長でした。

帰国後に開かれた見本市会場でアメリカ製の筆記具との衝撃的な出会いをした寺西氏は、さっそく内田氏にこの商品の研究開発をしたいと申し出て、内田氏のアメリカでの話を手がかりにすぐさま開発に着手したのだそうです。

 

 【中央区のプロダクト】“魔法のインキ”「マジックインキ」ものがたり

 

共同で開発・販売したことからマジックインキ」「マジック」「(はてな)」マークの商標登録は内田洋行になっています。

内田洋行はオフィスや学校の環境構築、企業や自治体のICTシステムをサポートしている商社で、こちらも長い歴史を持つ会社です。内田洋行のホームページにある「内田洋行の歴史」によりますと、「洋行(ようこう)」とは中国語で“外国人の店”という意味ですが、それと同時に、未知の領域に挑むフロンティアの気概をイメージさせる言葉でもありました。

 

内田憲民氏の父、内田洋行の創業者・内田小太郎(うちだ・こたろう)氏もまたパイオニア精神にあふれる人物だったそうです。測量技師の経験を活かして、内田洋行の前身である測量・製図器械を取り扱う満鉄の御用商を中国の大連で創業したのは明治43年(1910)のことでした。今年は創業110周年にあたります。

 

 【中央区のプロダクト】“魔法のインキ”「マジックインキ」ものがたり


そして、この株式会社内田洋行は現在、東京都中央区に本社を構えています。かつては霊岸島と呼ばれていたエリア、新川二丁目にあります。霊岸島は日本の近代測量を語る上でとても重要な場所。もしかしたら、事業のルーツに導かれたのかもしれません。

というわけで、誰もが知っているおなじみの油性マーカーマジックインキはわれらが中央区にも縁の深いプロダクトだったのです。

B to B マジックインキは今もなお進化中

B to B マジックインキは今もなお進化中 【中央区のプロダクト】“魔法のインキ”「マジックインキ」ものがたり

マジックインキは発売当初から、補充式のインキと交換式のペン先という構造で長く使い続けることができる地球環境保護に配慮した商品です。当時はまだエコロジーという言葉もなく、それは時代を先取りした商品設計でした。

耐水性・耐久性にすぐれたマジックインキは、今では一般家庭や学校、オフィスを飛び出して、水産物・青果物の市場土木建設作業現場病院・研究所など、さまざまな場面で活躍しています。さっぽろ雪まつりの雪像制作で氷の上に線を引いたり、モータースポーツのF1レースでタイヤに色を塗ったのもマジックインキでした。メーカー側が考えてもいなかった用途で使われていて驚くことも多いそうです。平成に入って以降は、企業の要望に応じて「雨の中でも筆記できる」「キャップをしなくても乾かない」などの特殊なインキを開発し、専用製品を納品しています。

品質への絶対の自信と、より長くお客様の役に立ちたいという理念のもと、商品化を実現したときから変わらない研究開発と進化を続けるマジックインキ中央区のプロダクトとして、今後もますます愛用したいと思います。

ご協力ありがとうございました

最後にこの記事の執筆にご協力いただいた企業をご紹介します。お忙しいなかご対応くださいました各社のご担当者様にはこの場を借りて心よりお礼を申し上げます。

本文中の登場順、敬称略で失礼します。

寺西化学工業株式会社|TERANISHI CHEMICAL INDUSTRY CO., LTD.(大阪府大阪市)
株式会社リイド社|LEED PUBLISHING CO., LTD.(東京都杉並区)
株式会社さいとう・プロダクション|SAITO PRODUCTION(東京都中野区)
 さいとうプロは3月10日にTwitterを始めました。ファンによるリプライが大喜利状態に。
株式会社内田洋行|UCHIDA YOKO CO., LTD.(東京都中央区