カフェーパウリスタ『人形町通り』店があった
明治42年(1909)京橋南鍋町(銀座六丁目)に「カフェーパウリスタ」が開かれました。その後丸の内、神田、浅草に開店し、大正2年(1913)に人形町通りに店開きしました。堀留町交差点から小伝馬町に向かって、西側4軒目に「カフェーパウリスタ人形町通り」がありました。建物の高さは約10m、収容人数は40~50名です。5銭(現在価値で¥750)白銅貨を入れると鳴り出す「自動オルガン」が設置されているなどシャレた店です。紅顔の美少年(男ボーイ)が食べ物や飲み物を運んできました。女給さんではありません。
注: 当時のもり・かけの値段は3銭、銭湯の値段は大人3銭(現在¥460)から換算しました。
大正初期のメニューは以下の通りです:
レモンパイ 10銭=¥1,500-
アップルパイ 10銭=¥1,500-
プリン 15銭=¥2,300-
・・・・・・・
カツレツ(パン付き)20銭=¥3,000-
カレーライス 15銭=¥2,300-
高いですね。関東大震災で建物は全焼しましたが、すぐ再建され昭和17年まで営業していました。
カフェー(新興喫茶)が人形町に数多く出来ました
当時の喫茶店には、次の2種類の喫茶店がありました。
① 純喫茶: コーヒーを出し電蓄から音楽を聞かせる
② 新興喫茶(カフェー): 女給がお茶やおせんべいを出してサービスする「喫茶店」→酒もビールも出るし、食事は近所の店から調達してくれる
この定義からすると「カフェーパウリスタ」は”純喫茶”ということになります。
人形町通りを挟んだ両側の路地に新興喫茶が出現し、全盛期の昭和10年ごろには80軒以上にもなったようです。開店は朝10時、昼間は女給さんのサービス付きせんべい、コーヒー、紅茶いずれも15銭(¥2,300)、ビールおつまみ付で60銭(¥9,000)、酒おつまみ付45銭(¥7,000)。
女給さんは各店に4~5人いて、思い思いの着物またはドレスでサービスしてくれたようです。添付の切絵図は昭和3~4年当時のカフェー群を示しています。
連なるカフェーの建物
人形町通りの東側に1本入った路地にある東天紅から始まる道に多くのカフェーが集まっていました。
(参考文献)
にほんばし人形町新編 人形町商店街協同組合 編集(2002年)