Hanes

【遠足シリーズ第28弾】耕牧舎はじまりの地は今


こんにちは。久しぶりの更新となりましたHanes(ハネス)です。
梅雨が明け、毎日のように暑い日が続いておりますが、皆様お変わりありませんか?
私は夏が苦手なので、自ずと家で過ごす時間が長くなっています。
そのため今回は、まだ涼しかった頃に外出先で撮影した写真とともに中央区の歴史をおさらいしたいと思います。

今回注目するのは、昨年12月に執筆した「芥川龍之介の生誕地「耕牧舎」の謎に迫る」で考察した耕牧舎
中央区内では、明治時代に京橋区入船町8丁目(現・明石町)にあった新原敏三経営の牛乳販売会社として、そして芥川龍之介の生誕地としても知られています。

 【遠足シリーズ第28弾】耕牧舎はじまりの地は今


耕牧舎自体は、1879年に渋沢栄一が仲間と共に箱根の仙石原で興した牧場が始まりだということもその記事内でご紹介しました。
仙石原の耕牧舎... 気になりませんか?
大河ドラマで渋沢栄一への関心が高まる今、耕牧舎発祥の地とも言えるその場所はどのようになっているのでしょうか。
緊急事態宣言が出されていない頃に現地へ足を運んでみましたので、以降、バーチャルで散歩している気分で読んでいただけたら嬉しいです。

場所は、箱根のメインの観光地から離れた自然豊かな場所。
近くにある「仙石原~湖尻 自然探勝歩道」の看板を見てみましょう。

 【遠足シリーズ第28弾】耕牧舎はじまりの地は今


周辺の様子の第一印象は「緑!」。
牧場経営にはもってこいの場所だと思いながら、現在地のマークを探します。

 【遠足シリーズ第28弾】耕牧舎はじまりの地は今


すると、すぐ近くに「耕牧舎跡」の表示があるではありませんか!
中央区の歴史に名を刻む会社の発祥の地を目前に、心躍らせながら自然探勝歩道を進みます。

車1台分と道幅は狭め。
道中にはゴルフ場もあり、思う存分目にやさしい緑を堪能することができます。

 【遠足シリーズ第28弾】耕牧舎はじまりの地は今


地図ではすぐそばのように見えたので走って向かったのですが、意外と距離がありました(笑)
やっと到着した耕牧舎跡に牧場としての面影はありませんが、それが存在していたことは案内板で確認できます。
奥にもう一つ案内板が見えるので近づいてみましょう。

 【遠足シリーズ第28弾】耕牧舎はじまりの地は今


下の写真から分かるように、当時の牧場の規模は約700ヘクタール(7平方キロメートル)
瞬時にどのくらいの規模感か想像がつかないので、東京ドーム何個分かに置き換えてみると、なんと約150個分に相当!
それでもピンとこないので、中央区と比較してみます。
「中央区ポケット案内(令和2年版)」によると、中央区の陸地面積は8.276平方キロメートル、合計10.115平方キロメートル
つまり仙石原の耕牧舎は、中央区の陸地面積より少し小さいくらいの広大なものであったことが分かります。

 【遠足シリーズ第28弾】耕牧舎はじまりの地は今


さらに、最盛期には牛200頭、馬80頭を放牧していたというのだからその規模にも納得。
「当時珍しかった牛乳やバター、牛肉などを販売して、避暑に箱根を訪れた外国人らに喜ばれました」という説明を読み、入船橋交差点付近にある「靴業発祥の地」や前述の明石町の耕牧舎を連想された方もいらっしゃるのではないでしょうか。
仙石原でも、外国人による需要があったのですね。
知れば知るほど面白い耕牧舎。引き続きその歴史や経営状況を調べてみたいと思います。