人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社 ⑭
~ 末廣神社 ~
『ギフト、そして自分も楽しむ』をクリーンに取材します、rosemary sea です。
『人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社』シリーズ、第14回の今回は、末廣神社(すえひろじんじゃ)をご紹介します。
末廣神社 宮司の服部様に、お話もお伺いしました。
『』内は宮司様のお言葉です。
それでは・・・
御由緒
元葭原 総鎮守 末廣神社
御鎮座 慶長元年(1596年)以前
「末廣」
呼称 延宝3年(1675年)
御祭神 宇賀之美多摩命(うかのみたまのみこと:お稲荷さま)他4柱、毘沙門天
例大祭 5月22日
御神宝 中啓(ちゅうけい:扇のこと、ここでは「末廣扇【すえひろおおぎ】」とも)
古文書(京都・伏見稲荷大社からの文書 他 中央区文化財となっています)
御神徳 営業繁栄、勝運向上
末廣神社は、慶長元年(1596年)以前に「稲荷祠(いなりづか)」として現在の境内地辺りに鎮座。
よって少なくとも420年以前の御鎮座です。
元和【げんな】3年(1617年)遊女屋主人・庄司甚右衛門らが幕府から許可を得て、当時未開の沼地でした周辺地域を開拓し、江戸町1、2丁目・京町1、2丁目を定め、遊女町を開きました。
これが「葭原(よしわら:吉原とも)」のはじまりとなり、町が活気づくにつれ、人々は当社を地主神・氏神として信仰しました。
明暦2年(1656年)、幕府は江戸市街拡張のため、葭原の移転を言い渡し、さらに翌年の「明暦の大火」により葭原は焼失。
同年、現在の浅草へと移転して「新吉原」が開かれました。
葭原移転後は、難波町(なにわちょう:現・人形町2丁目浪花会)、住吉町(現・人形町2丁目二之部町会)、高砂町(現・富沢町南部地区)、新和泉町(しんいずみちょう:現・人形町3丁目東部南側)の4か所の産土神(うぶすながみ:自分が生まれた土地の守護神)として信仰されていました。
当社の周辺には幕府に仕える役人の住宅が多かったことから、これらの崇敬も深かったようです。
幕末期には、玉垣(たまがき:神社の周囲にめぐらされる垣)や幕、調度品などが多く奉納されています。
旧社殿は昭和20年の「東京大空襲」で焼失、昭和22年に再建(総檜造り)されたものです。
社号の起源は、延宝3年(1675年)社殿修復の際、本殿から中啓(末廣扇)が発見されたので、氏子の人々が悦び祝って「末廣」の2字を神社名に冠したものです。
従いまして「末廣」と呼称されましたのは、今から340年ほど前からであります。
実はこの説明札を撮影する際、幟(のぼり)がかかってしまい、それを払っているとタブレットのシャッターが押せない・・・困っていました。
すると、通りかかった若い女性が「(幟を)お持ちしましょうか?」と。大変助かりました。
お礼を申し上げると、笑顔で去っていかれました。
“人形町は人情の街”、すばらしい街です。
『(社号“末廣”の起源となった)扇は、御神宝(ごしんぽう)として残っています。
中央区の文化財になっています。
末広がりが出てきた、ということで、「末廣神社」というふうに冠するようになったということですけれども、それまでは古文書をひもといてみても本当に稲荷祠(いなりづか)だけのお稲荷さんがあった、ということだったようです。
きちんとお名前が付いていなかったようですね。
末廣という名前が付いてから、京都の伏見さんからこちらは「末廣神社」で、お稲荷さんをお祀りしているきちんとしたお社ですと、許状(きょじょう)が残っております。』
境内中央やや奥、左手の御神木の根元には・・・
右奥は「は組」の石碑。
『人形町界隈はほぼ「は組」が守っていたところ。
椙森神社(すぎのもりじんじゃ)さんも、松島神社さんも、ここ末廣神社も。
ここも守っていますよ、という石碑です。
ただ、この石碑の設置は震災後でしょう。
記録にも「何年設置」というのがないんです。』
中央、木の前には「石徳(いしどく)」と書かれた石碑。
『こちらも昭和の初め頃建ったのでしょう。
記録も確実なところはわかっていないのですが。』
左、小さなお飾り、実は神棚に飾られていたものだそうです。
『こちらは見番さんのお稲荷さんです。
私どもの氏子区域に吉原の見番(けんばん:いわゆる芸者さんの元締め)さんがいらっしゃって、お稲荷さんをお祀りしていらっしゃいました。
毎年初午(はつうま)のお祀りもきちんとされていたのですが、移転、移転でだんだん縮小して神棚になって、どうしてもお祀りができなくなって。
わざわざ勧請したお稲荷さんなので、私どもに、お祀りしてください、と、お持ちになられたのです。
ただ、このお稲荷さんは、お寺系列のお稲荷さんだったようで、(神道系の)私どもは合祀が難しいので、お預かりして丁重にお飾りさせていただいております。
お社も建てられませんが。
そうしましたら見番さん、私ども末廣と、このお飾りに手を合わせるようになりました。
それから(芸者の)お姉さんも、皆さんも、このお飾りにもお参りされるようになりました。
ここに神様がいらっしゃる訳ではないのですが、「お守りください」と。』
おみくじも、絵馬も、結ぶところが決められています。
当社は「日本橋七福神」めぐりの一社となっております。
御祭神の中にもありましたとおり、「毘沙門天」の神社です。
毘沙門天の御神徳は勝運向上。
しかし昔からこちらは疫病鎮めの信仰も集めておりましたので、病気平癒はもちろん厄除け、財運向上、福徳繁栄など多聞天の別名のとおり、様々な御神徳を求めて祈願される参拝客も多い神社です。
「日本橋七福神」としましては3社めのご紹介となります。
5月26日 ⑧ 茶ノ木神社(布袋尊)、6月3日 ⑨ 笠間稲荷神社 東京別社(寿老人)もご覧いただけると幸いです。
※ 茶ノ木神社はお正月以外は無人となっております。
そのため、布袋尊の朱印紙はこちら末廣神社さんでお預かりされています。
末廣神社
日本橋人形町2-25-20
東京メトロ日比谷線 都営浅草線 人形町駅 A4出口の久松警察署・明治座さん側(人形町交差点側ではありません)を出て右に少し。
金座通りの最初の信号角を右折、横断舗道のついた交差点(地下鉄人形町ビルと駐車場の間)を左折、約30m左側。