【遠足シリーズ第26弾】石川啄木の足跡を辿って
こんにちは。アクティブ特派員のHanes(ハネス)です。
先日新型コロナウイルス感染症対策を講じ、密を避け、食事はテイクアウトに、移動は車に限定したうえで岩手県に行ってきました。
その際に目的地の1つにしていたのが、トップの写真にある常光寺(岩手県盛岡市玉山区)。
この名前だけ聞いてピンときた方、中央区観光検定の勉強が順調なようですね♪
実はこのお寺、中央区にゆかりのある石川啄木の生誕の地なのです!
中央区観光検定公式テキスト「歩いてわかる中央区ものしり百科」にもある通り、啄木はこのお寺の住職の長男として1886年に生まれました。
盛岡中学を中退後に上京するも、病気を患い岩手へ戻ります。
後に再上京し、中学校の先輩金田一京助の援助を受けながら創作活動を行いました。
お寺の入口には金田一京助の揮亳による「石川啄木生誕之地」の碑があり、彼らの関係の深さを知ることができます。
今回は見学しませんでしたが、啄木が宝徳寺に転住するまで過ごした部屋の一部も復元保存されています。
そして最後に、中央区と啄木の関係についてもおさえておきましょう!
再上京後の啄木は、京橋区滝山町(現・中央区銀座6丁目)の朝日新聞社に入社し、亡くなるまでの約3年間、校正係を務めていました。
今回岩手県を訪れて初めて知ったのですが、啄木は盛岡出身の佐藤真一(北江)編集長によって採用されたのだとか。
上京先で同郷の人たちの助けが得られたことは、非常に心強かったのではないかと推察されます。
現在銀座6丁目の朝日新聞社跡地には、石川啄木歌碑が設置されており、そこには「京橋の 瀧山町の新聞社 灯ともる頃の いそがしさかな」という歌が刻まれています。
病および困窮した生活から若くして人生に幕を閉じた啄木。
岩手県で過ごした彼の幼少期、青春期を知ることで、作品への興味が深まりました。
読書の秋が終わっても、寒い冬は自ずと家で過ごす時間が増えます。
日本文学はあまり読まないのですが、この冬こそ彼の作品を手に取ってみたいと思います。
先輩特派員にゃんボクさんによる記事「青森県で出会った石川啄木氏の石碑」も合わせてご覧ください。