rosemary sea

人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社 NO.32
 ~ 高尾稲荷神社 ~

『ギフト、そして自分も楽しむ』をトラディショナルに取材します、rosemary  sea  です。

 

「人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社」シリーズ、第32回の今回は、高尾稲荷神社(たかおいなりじんじゃ)をご紹介します。

それでは・・・

 

御由緒

御由緒 人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社 NO.32
  ~ 高尾稲荷神社 ~

万治2年(1659年)12月、江戸の花街新吉原京町1丁目、三浦屋四郎左衛門抱えの遊女で、2代目高尾太夫傾城という娼妓の最高位にあり、容姿端麗にて、艶名一世に鳴りひびき、和歌俳諧に長じ、書は抜群、諸芸に通じ、比類のない全盛を誇ったといわれる。

生国は野州(やしゅう:下野国【しもつけのくに】:現在の栃木県)塩原塩釜村百姓長介の娘で、当時19才であった。

その高尾が仙台藩主伊達綱宗候に寵愛され、大金を積んで身請けされたが、彼女にはすでに意中の人あり、操を立てて候に従わなかったため、ついに怒りを買って隅田川の三又(現在の中州)あたりの楼船上にて吊り斬りにされ、川中に捨てられた。

その遺体が数日後、当地大川端の北新堀河岸に漂着し、当時そこに庵(いおり)を構え居合わせた僧が引き揚げて、ここに手厚く葬ったといわれる。

高尾の不憫(ふびん)な末路に広く人々の同情が集まり、そこに社を建て、彼女の神霊高尾大明神を祀り、高尾稲荷社としたのが当社の起縁である。

現在、この社には、稲荷社としては全国でも非常にめずらしく、実体の神霊(実物の頭蓋骨)を祭神として社の中に安置してあります。

江戸時代より引きつづき、昭和初期まで参拝のためおとずれる人多く、縁日には露店なども出て栄えていた。

 

 人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社 NO.32
  ~ 高尾稲荷神社 ~

懸願と御神徳

頭にまつわる悩み事(頭痛・ノイローゼ・薄髪 等)、商売繫昌、縁結び、学業成就。

懸願にあたり、この社より櫛一枚借りうけをうけ、朝夕、高尾大明神と祈り、懸願成就ののち他に櫛一枚そえて奉納する習わしが、昔から伝わっています。

 

高尾が仙台候に贈ったといわれる句

  「君は今 駒形あたり時鳥(ほととぎす)」

辞世の句

  「寒風よ もろくも朽つる 紅葉かな」

 

 人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社 NO.32
  ~ 高尾稲荷神社 ~

高尾稲荷社は老朽化のため、現在、建て替え工事中です。

ここは工事期間中の仮社です。

2022年春に新しい稲荷社が完成します。

(この社の左脇の旧社立地にて、工事続行中です。)

 

 人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社 NO.32
  ~ 高尾稲荷神社 ~

今回も江戸古典落語をご披露します。

第24回になりました。

今回はチョイスするまでもなく、この社の成り立ちとなる噺、「仙台高尾(せんだいたかお)」です。

 

<事前確認コーナー>

11月5日掲載の「人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社」No.28」の中の古典落語、第20回 「紺屋高尾(こうやたかお)」をご紹介しました際、「仙台高尾」のことも少しお話ししました。

こちらはいわゆるハッピーエンドではないので、と申し上げましたが、今回はまさにお話が関係しておりますので、ご紹介の運びとなりました。

 

 人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社 NO.32
  ~ 高尾稲荷神社 ~

「仙台高尾」

 

『高尾』は、吉原随一の大見世・三浦屋に代々受け継がれます大名跡(だいみょうせき)。

中でも飛び切り器量が良く、芸事に優れた遊女、それが俗に言います『伊達高尾』。

 

俳句を添えた手紙をもらいました仙台公が、「手蹟(しゅせき:筆跡)も文も見事。金で購(あがな)われるとは不憫、余の屋敷に引き取る。」と言い、高尾を身請け。

身請けしたはいいですが、高尾は仙台公の意のままになりません。

 

憂さ晴らしに芝汐留のお屋敷から屋形船を仕立てて、能楽連中を引き船に豪勢な舟遊びに興じました。

ふさぎ込んでいます高尾に盃を差し出しましても、一向に受けてもらえません。

高尾は言います、実は、浪人の島田重三郎という夫婦の約束をした想い人がいるので、あきらめて欲しい、と。

きっぱりと言われた仙台公は、刀を抜き高尾に近づきます。

そこへ引き船の能楽連中の鼓(つづみ)の音が・・・。

 

(ここからは謡曲風になります。)

仙台公「高尾、その方、なぜなびかぬ?」

高尾「いや~」(これが謡曲の掛け声になってしまいます。)

仙台公は、掛け声につい「ぽんぽん」と、高尾を斬ってしまいます。・・・

 

日本銀行創業の地

日本銀行創業の地 人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社 NO.32
  ~ 高尾稲荷神社 ~

近くには「日本銀行創業の地」の碑があります。

・・・

明治14年、大蔵卿に就任した松方正義は、緊縮財政処置の発動によりこの混乱を収束させたのち、通貨価値の安定を図る中央銀行の設立を建議。翌明治15年6月には日本銀行条例が公布され、同年10月、日本橋区北新堀町(現在の日本橋箱崎町)に日本銀行が創業した。

・・・

 ー 「歩いてわかる 中央区ものしり百科」 より抜粋 ー

 

高尾稲荷神社

高尾稲荷神社 人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社 NO.32
  ~ 高尾稲荷神社 ~

(現在の仮社)日本橋箱崎町11

(2022年新社建設予定地)日本橋箱崎町10ー7

東京メトロ日比谷線・都営浅草線 人形町駅 A2出口を出て、前の「人形町通り」を右(車の一方通行の反対方向)へ。

水天宮を越えて続く「水天宮通り」も含め約550m、東京シティエアターミナルを越えて最初の信号右折、箱崎湊橋通りを約330m進む。

湊橋を渡らず手前左折、約250m先を左折すると、約70m先の左に見えます。