マニアックまちあるき~暗渠散歩(竜閑川編)~
こんにちは。アクティブ特派員のHanes(ハネス)です^^
通勤時でもまちあるき時でも良いのですが、皆さんには街中でついつい探したり、見てしまったりするものはありますか?
私はというと、以前ご紹介した送水口(前編、後編)と基準点(特に三角点と水準点)!
その他、水路の蓋や道祖神も見てしまいがちですが、このように身近にあるのに意外と見過ごされているものの中には思いがけない発見がたくさん潜んでいます。
また、「○○跡」と今では当時の姿をとどめていないものの現役時代を想像しながら歩くことも、まちあるきならではの醍醐味なのではないでしょうか。
今回はそれらの中でも暗渠(あんきょ)を意識し、グルメ要素を取り入れながらマニアックなまちあるきをしてみました♪
暗渠とは
近年の渋谷駅周辺の再開発に伴い、渋谷川の暗渠(1964年の東京オリンピックに向けて下水道を整備した際に暗渠化)が姿を現しました。
この際に「暗渠」という言葉を耳にしたことがある方もいらっしゃるかもしれません。
そもそも暗渠とは、「ふたのある水路または地下水路」のことで、反意語は「開渠」!
川を例に挙げると、以前の渋谷川(宮益橋から上流)は暗渠、中央区内の隅田川は開渠となります。
東京都都市整備局が発行した「東京の土地利用 平成28年東京都区部」における平成28年度土地利用比率(区部)によると、中央区内の「水面」の面積の比率は16.5%と23区中最も高く、12.6%の江東区、10.8%の江戸川区が続きます。
そのような水都ともいえる中央区では、川が区境になっていることも少なくありません。
吉村・髙山(2015)によると、中央区の区境になっている川は合計7本(23区中17位)で、そのうち暗渠の川は4本(23区中14位)。
中央区内には異なる時代に埋められた川が多くありますが、その中でも区境は目に見えない川の存在を感じやすい場所かもしれません。
そこで今回は、中央区と千代田区の境に注目してみました!
竜閑川の役目に反映されたものとは
今回は中央区と千代田区の区界にある路地「竜閑新道(りゅうかんしんどう)」の一部(地図の赤線部分)を通り、竜閑川(りゅうかんがわ)跡をたどる暗渠散歩をしてみました。
(※本記事内の「暗渠」は、吉村・髙山(2015)による、「地下に水の流れが残っているいないにかかわらず、もともと川や水路(あるいはドブ)があったところ」を指す広義の暗渠に基づいています。)
上の地図で「龍閑橋親柱」と書かれている出発地点には、龍閑橋の親柱と橋桁が保存されています。
こちらは1926年(大正15年)に造られた日本初の鉄筋コンクリートのトラス橋だというのだから驚きです!
さて、貴重な橋を見た後は、竜閑新道を歩き竜閑川の跡をたどります。
(新道についてもう少し詳しく知りたい方は、先輩特派員巻渕彰/写楽さいさんの記事をご覧ください。)
本田(2017)曰く、この路地は「地図で見ると味気ない一直線」ですが、「路地に立つとわずかな凸凹やカーブも見られる」とのこと。
散歩中に目線を変えたり、何度か行ったり来たりすることで、実際にその地形にも気づくことができました。
(今川橋跡付近から竜閑新道を撮影)
今でも交差点や新しい橋の名前等に当時の名残が見られる竜閑川ですが、その歴史は1691年(元禄4年)に開削された「神田堀」に遡ります。
江戸城の外堀(平川)に発する幅約10mのこの掘割は、途中で向きを変え別な堀「浜町川」となり、神田川および隅田川に通じていました。
はじめは「神田堀」、「銀(しろがね)堀」、「八丁堀」等と呼ばれていましたが、後に江戸城殿上接待役井上竜閑が江戸城の外堀(平川)とこの掘割の接点に住んでいたことから「竜閑川」と呼ばれるようになりました。
竜閑川は職人の原材料搬入や商人の製品搬出路として町人たちの出資によって開削されたこともあり、江戸市中の商品流通の中枢として運河の役割を担い、商人町である日本橋も職人町である神田も非常に栄えました。
そのような堀も年を追うごとに利用されなくなり、1765年には浜町川との接続部分前後が、1857年には大部分が埋め立てられました。
しかし、江戸後期から流行したコレラの被害対策としての衛生改善により「神田下水」が造られる1880年代、竜閑川は掘り返され、下水の排水先として復活を遂げたのです!
それでも100年と経たない1950年、戦災の瓦礫処理先となり再び姿を消しました。
(架橋当時地元町人の代表だった名主、今川善右衛門の姓に由来する今川橋跡)
隅田川のようにいつの時代も人々の生活を見守り、東京湾に流れ込むまちの象徴的な川がある一方、暗渠化や埋め立てにより目に見えなくなってしまった川・堀・運河もあります。
しかし、今回竜閑川を取り上げることで、その川が運河(江戸の繁栄)、下水の排水先(コレラ流行、近代下水道整備)、戦災の瓦礫処理先(戦後復興)というように時代に応じて異なる役目を担っていたことが分かりました。
川は人の生活に欠かせない大切なものなのですね!
最近は暗渠への注目が高まっており、私のような暗渠初心者にもやさしく、自然と興味をもてるような書籍やウェブサイトが増えてきています♪
今後も暗渠散歩をしながら、中央区の発展史をフィールドからも感じていきたいです!
〈番外編〉老舗天ぷら屋「天ぷら しんどう」
暗渠散歩のメリットの1つに、普段歩く機会のない路地に出会えることがあります。
今回ご紹介した竜閑新道もその1つで、開発の進む都心では珍しく、どこか昭和の雰囲気が残ります。
今回訪問したのは、1971年(昭和46年)創業の老舗「天ぷら しんどう」さん。
胃もたれのしない美味しい天ぷら定食がいただけるということで、昼食時には近隣で働く常連さん(サラリーマン)がこぞって訪れるお店です。
(創業当時は300円でランチを提供。サラリーマンの月収は5万円でした。)
そんなお店には、退職してからも時々足を運ぶ方がいると聞きました。
では、何がそれほどまでもサラリーマンの胃袋をつかんでいるのでしょう。
その答えは、なんと油にありました!
しんどうさんでは、綿の種子である綿実を搾ってつくる綿実油(めんじつゆ)を使用しています。
この油の特徴は、
・大豆やナタネからつくった油よりも高級
・油のにおいが気にならない(天ぷら屋さんなのに不思議!)
・胃もたれのしない軽くてさっぱりした仕上がりになる
ということです。
普段食べる天ぷらとどう違うのか...それは実際に食べてみないと分かりません^^
(ランチは天ぷら定食(税込 850円)のワンメニュー)
席には予めお漬物と大根おろし入りの天つゆが準備されており、着席すると手際よくごはん(大盛可)としじみの味噌汁(おかわり可)が出てきます。
天ぷらの調理場は目の前で、揚げたてがその都度目の前の天ぷら用のお皿に盛られます。
今回いただいた天ぷらは7つで、通常より一回りも二回りも大きなかき揚げはインパクト大!
しかしただ大きいだけではなく、贅沢に海老がたくさん入っているので食べ応えがあります。
かき揚げはお店の方が四つに切ってくださるので、女性でも食べやすいのが嬉しいです♪
また、夏風邪をひかないようにと生姜の天ぷらもいただきました。
生姜は天ぷらにしても楽しめると初めて知り、今度自分でも作ってみようと思いました♪
見た目はとてもボリュームのあるてんぷら定食ですが、その食感はまるで綿のように軽いのです^^
そして、これといって油っぽさを感じないため、本当に天ぷらを食べたのかと自分自身に問いたくなる程。
お近くにお勤めのサラリーマンの皆さん、営業等でお近くまで行かれた方、こちらで胃にやさしい上品な天ぷらはいかがでしょうか。
雨の日には50円引きという粋なサービスがあるのも嬉しいポイントです♪
土曜日も営業しているので、暗渠散歩時にも立ち寄れますね!
■天ぷら しんどう
住所:東京都中央区日本橋室町4-2-6 中津山ビル 1F
営業時間:11:00~21:30(LO)
定休日:日曜日
参考文献・ウェブサイト
東京都都市整備局「東京の土地利用 平成28年東京都区部」http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/seisaku/tochi_c/pdf/tochi_5/tochi_all.pdf(2019年6月26日閲覧)
本田創『東京暗渠学』(洋泉社、2017年)
ミズベリング「水のない水辺から…「暗渠」の愉しみ方 第6回 「浜町川と龍閑川。ビルの隙間に、水門のむこうに、それはある。」https://mizbering.jp/archives/13417(2019年6月26日閲覧)
吉村生・髙山英男『暗渠マニアック!』(柏書房、2015年)