ちょっと気になる中央区の神社 ②
~ 福徳神社 ~
リモートで、愛する中央区をナビゲートします、rosemary sea です。
「ちょっと気になる中央区の神社」シリーズ、第2回の今回は、福徳神社(ふくとくじんじゃ)をご紹介します。
それでは・・・
御由緒
当社伝来の稲荷森塚碑文によれば、9世紀後半、当地は福徳村と呼ばれ、穀物・食物を司る稲荷神が鎮守の森に懐かれて鎮座していた。
福徳村の稲荷は往古より源義家、太田道灌ら武将の尊崇を受け、ことに最初の江戸城を築いた道灌との縁は深く、彼の神霊は当社に合祀されている。
徳川家康は天正18年(1590年)江戸入部直後に当社を参詣、2代将軍秀忠も慶長19年(1614年)に参詣し、「福徳とはめでたい神号だ」と称賛し、また当時の福徳稲荷の椚(くぬぎ)の皮付き鳥居(黒木鳥居)から春の若芽が生えているのを見て「芽吹稲荷(めぶきいなり)」の名を与えた。
秀忠は江戸城内の弁財天を合祀し、社地を330坪と公定するなど当社を篤く尊崇した事跡が伝わっている。
その後、江戸の町の発展と度重なる火災や社家の事情などにより境内地をほとんど失い、一時は消滅の危機に瀕した。
それでも氏子有志が福徳神社の祭祀を継承してきた結果、平成26年(2014年)秋、日本橋地域諸氏の尽力により往時の姿を彷彿とさせる境内・社殿が再興されるに至った。
三井不動産さんのテレビコマーシャルでも登場します、鳥居です。
こちらは福徳神社の参道とも言うべき「新浮世小路(しんうきよしょうじ)」です。
この1本手前の道が「浮世小路」のようです。
「百川(ももかわ)」という、江戸時代の有名料亭が、ここにあったそうです。
落語の噺にもなっています。
※ 「浮世小路」と「落語 百川」につきましては2020年8月25日の記事「人形町駅から行ける、静かな佇まいの神社」⑲をご覧ください。
※ 「料亭 百川」につきましては2017年3月9日の記事「神茂さんの歴史について語ります②」にて述べています。
裏側から見ると、前には日本橋三井タワーさんがそびえ立っています。
三井記念美術館さんやマンダリンオリエンタルホテル東京さん、千疋屋総本店日本橋本店さん、それから2月13日ご紹介のアゴラカフェさんも入っています。
この門の右にあります「新浮世小路」の石塔です。
加須市(かぞし) 奉献額
算額とは、江戸時代に、額や絵馬に和算の問題や答えを記して、神社仏閣に奉納したもの。
境内左側にあります額。埼玉県加須市にご縁があるようです。
加須市に現存する算額を紹介するための額として、ここに4問の設問・解答と、解答募集1問が掲出されています。
解答はこちら福徳神社さんに提出してください、とのこと。
難問の答えのわかった方、お申し出くださいということですね。
今回も江戸古典落語をご披露させていただきます。
第39回となりました。
今回は「浮世小路」の浮世つながりで「浮世床(うきよどこ)」をご紹介します。
<事前確認コーナー>
一尺八寸の刀は・・・
1尺はおおよそ30cm、1寸はおおよそ3cm。
ですから約54cm、というところでしょうか。
刀としては短いですね。
畳職人・・・
床(畳)を踏んで仕上げます。
「浮世床」
髪結い床(かみゆいどこ)は若い衆で賑わっています。
そんな中、静かに本を読んでいる者も。
姉川の合戦、本多平八郎と真柄十郎左衛門(まがらじゅうろうざえもん)の一騎打ち、声を出して読んでくれとせがまれますが、・・・
立て板に水と本人は言いますが、つっかえてばかり。
「えー、まからからから、しふろざへもん、敵にむかむかむか、むかついて」
「そんなにむかつくなら金だらいを持ってこようか?」
「敵に向かって一尺八寸の大太刀(おおだち)を、まっこう(真っ向)」
松公「今呼んだか?」
「一尺八寸の大太刀を真っ向だ」
「短かねえか?」
「それは横幅だ」
「それじゃ前が見えないよね?」
「あちこちに窓が開けてある」
・・・こんな調子です。
片隅では将棋を指しています。
ですが、どちらも「王将」が盤上にありません。
片方は王手飛車取りで飛車を逃がしましたから。
もう片方は初めから懐にしまい込んでいます。・・・おかしな将棋です。
寝ている者もいます。
起こしてみると、夢の中で年増と酒盛り中だった、とのこと。
これからという時に起こされて、とご立腹。
床屋の親方「静かにしてくれ、気をとられている間に銭を払わずに帰られた、印半纏(しるしばんてん)の、やせた・・・」
「それなら畳屋の職人だ」
「道理で、床を踏み(踏み倒し)に来たんだ」
福徳神社
日本橋室町2-4-14
東京メトロ半蔵門線・銀座線 三越前駅が至近です。
先ほど申し上げましたとおり、日本橋三井タワーさんの向かいを入ったところにあります。
福徳神社さんのホームページはこちら