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向井将監忠勝と伊達政宗
外国の海へのロマンを追う男たち!

1613慶長18年9月15日スペイン(イスパニア)王フェリペ3世とローマ教皇パウロ5世に遺欧使節団派遣をスペインに向けて出港できた経緯は、向井将監忠勝がセバスチャン・ピスカイノの依頼で伊達政宗に多大なる協力を惜しまなかったことで実現したと思われます。

1613年は幕府の基礎を固める政策として、伴天連追放令・長崎平戸の貿易開始・海外渡航と帰国の禁止等、世界に向かって羽ばたこうとする諸大名や文化人の視線を次々と断とうとする時代のうねりが迫っていました。

この使節団派遣は海外貿易の夢を膨らませた最後の向井将監忠勝と伊達政宗との協力の大きな偉業ともいえるでしょう!

大きな夢を伊達政宗との親交を共に、伊達の領国内で外洋船サン・ファン・パウティスタ号を建造する際に向井将監忠勝の配下である公儀船大工を手配し、出帆にあたり忠勝配下の御家人10人余りを乗船させ、出港の際には航海安全の祈禱札を届けさせていました。

『伊達貞山公治記録巻23』に向井将監忠勝との内々の談合やカピタン・ソテロとの綿密なやり取りがあったようです。

1635寛永12年の鎖国令で、5百石積み以上の軍船建造禁止、造船技術はストップしました。このことから徳川幕府水軍の歴史は終わったのです。1641寛永18年忠勝60歳没の6年前のことでした。

向井将監忠勝という海の男の願望として世界へ飛び出し、まだ見知らぬ国を知りたいという夢を持ち続けていたのではと推察されます。その夢も江戸幕府の鎖国令で破れてしまいました。海賊と言われた忠勝と仙台藩主伊達政宗も同様の夢を持ち、スペインとの貿易を実現させる行動に打って出ましたが、派遣した支倉常長使節団が欧州での成功を納めて1615慶長20年6月21日に帰国したことも無駄になってしまいました。

伊達政宗騎馬像(小室達1899明治32年生-1953昭和28年没作) 仙台市仙台城本丸 1933昭和8年1代目・戦争中金属回収令の為1964昭和39年2代目設置

 

向井将監忠勝1582天保10年生・伊達政宗1567永禄10年生の15歳違いの2人がスペイン貿易を夢見る!

向井将監忠勝1582天保10年生・伊達政宗1567永禄10年生の15歳違いの2人がスペイン貿易を夢見る! 向井将監忠勝と伊達政宗
外国の海へのロマンを追う男たち!

忠勝31歳・政宗46歳の時、サン・ファン・パウティスタ号の建造が始まり、45日間で完成しました。

『伊達貞山公治家記録』によると

第1回航海 

1613慶長18年9月15日にスペインを目指して『慶長遣欧使節団』が出発しました。

180名乗船員の中に向井将監忠勝家来10名の幕府関係者が乗船していました。この時に向井家来もメキシコ貿易を行っていました。

第2回航海

1616元和2年6月20日メキシコのアカプルコを目指して向井将監忠勝派遣の船頭らを含めた200人が乗船しましたが、航海中に悪天候で船頭を含む水夫が約100名が亡くなったそうです。

1613慶長18年サン・ファン・パウティスタ号建造

1613慶長18年サン・ファン・パウティスタ号建造 向井将監忠勝と伊達政宗
外国の海へのロマンを追う男たち!

1993年に復元されたサン・ファン・パウティスタ号 石巻市『サン・ファン館』

 

仙台藩の記録では、船名は『黒船』と記録されています。船名の意味は『洗礼者・聖ヨハネ』でスペインの記録に資料としてありました。名前の云われは、江戸市中で伊達政宗とセバスチャン・ピスカイノ一行と出会った1611.6.24が洗礼者聖ヨハネの祭日に当たっていたので命名されたと推定されています。

スペイン通商(太平洋貿易)を企画し、スペイン国王フェリペ3世の使いセバスチャン・ピスカイノの協力によって、ガレオン船を建造しました。伊達政宗が徳川家康に承認を得てスペイン宣教師ルイス・ソテロを外交使節に任命し、アカプルコ(メキシコ)経由でスペイン・ローマへと航海しました。

『伊達貞山公治家記録』によれば、政宗船の建造に関しては将軍秀忠付きの船手頭向井将監忠勝から御内衆や公儀大工が派遣され、『政宗君引証記』忠勝から家人に日本商品2~300梱が託され、航海安全の無事を祈る書状及び、祈禱札が届けられていたと記録されています。

将軍秀忠からも政宗に数々の土産が送られ船頭が添えられた『古談筆乗』に記録されていることから向井将監忠勝も協力を惜しまなかったことが伺えます。

 向井将監忠勝と伊達政宗
外国の海へのロマンを追う男たち!

サン・ファン・パウティスタ号復元設計図

建造日数45日間で、大工800人・鍛冶700人、雑役3,000人が携わり完成しました。

ローマ教皇に支倉常長謁見図(左側にサン・ファン・パウティスタ号)

ローマ教皇に支倉常長謁見図(左側にサン・ファン・パウティスタ号) 向井将監忠勝と伊達政宗
外国の海へのロマンを追う男たち!

石巻市『サン・ファン館』にある復元船が2021年に解体!

石巻市『サン・ファン館』にある復元船が2021年に解体! 向井将監忠勝と伊達政宗
外国の海へのロマンを追う男たち!

『サン・ファン館』https://www.santjuan.or.jp/about.htmlの1993年に復元されたサン・ファン・パウティスタ号が2021年9月以降を最後に解体されることを知り、大変残念に思いました。

木造船ゆえ避けられない腐食や専門的な技術者の不足、高騰する維持費用が解体の理由だそうです。

保存を求める声もあったようです。

1613年に建造された『サン・ファン・パウティスタ号』が2021年9月以降に408年という長い時を経て、解体を機に、向井将監忠勝と伊達政宗の外国への海に夢をかけた男たちの熱い想いを改めて感じることができました。

 

参考文献

ウィデキベア 伊達政宗・サン・ファン・パウティスタ号

(サン・ファン館の写真記載の許可をいただきました)