小田原町の痕跡を探す
築地場外市場には「築地魚河岸」という2棟からなる建物があります。中央区により開設され、仲卸さんのお店がたくさん集まった、観光客はむろん、一般市民にとっても魅力的なスポット。
私はお昼のお弁当を買うとか、手巻き寿司用にマグロの中落ちを買うなど、お世話になっております。
さて、その2棟は海幸橋棟と小田原橋棟。いずれもこの地にちなんだ名を付けられたとのことです。
今日のお題は、小田原町。
この前を通るときに、小田原橋なんてなぜ?と思っていました。それに、年配の方が晴海通りを本願寺側へ渡ったエリア・本願寺の裏(南側)あたりを小田原町とか、南小田原町とおっしゃるのもピンと来ず。歴史小説でもこのあたりはその町名で登場しますが・・・
そういえば「歩いてわかる中央区ものしり百科」の旧町名の由来のページに、小田原町の説明がありましたね。
1966年に築地6・7丁目となってしまったこの地の町名は、築地魚河岸に残るのみでしょうか?
ここに小田原町!
なんと!交番の名前に小田原町を発見! 築地魚河岸小田原橋棟の晴海通り向かい側、築地警察署小田原町交番。
交番の名前なんて、意識して見たことあります?
道に迷った時にお巡りさんがいるかいないか(方向音痴の私はスマホの地図のナビでかえって混乱、さすがにこの辺で迷うことはないのですが)だけ、眼の高さでしか見てなかったなぁ。
ブログ用の写真を撮ってもいいか、念のため中にいたお巡りさんたちにお尋ねしました。快くOKくださいました、ありがとうございます。
お巡りさんたちの出番少なく、街の歴史を留めた安心の砦であってほしいと願っています。
町名発見とお巡りさんたちの温かい対応に心も足取りも軽く、小田原町を明石町方向に歩いていると、早春の青空に本願寺のお堂がくっきり。建物と建物の間の駐車場上部の空間に浮かび上っていました。見ようと思わなければ見えず、とのお諭をいただいた気持ちになりました。
なお、小田原町については先輩特派員yazさんの記事https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/archive/2018/09/post-5416.htmlが詳しいです。またもや、見ようと思わなければ見えず・・・でした。