江戸から続く出雲との縁
~花椿通り~
こんにちは。アクティブ特派員のHanes(ハネス)です。
ご存じの方も多いかと思いますが、中央区の道路には愛称名があります。
中央区役所のウェブサイトに掲載されている「中央区道路愛称名」によると、京橋地域には43路線、日本橋地域には46路線、月島地域には10路線と合計99路線に愛称名が設定されています。
そのうち、街路樹や花、緑に関する愛称名は全体の約15%を占めており、中央通りの銀座7丁目・8丁目付近で交差する通り「花椿通り」もその一つ。
銀座というと柳のイメージがあるかと思いますが、花椿は銀座とどのような関係にあるのでしょうか?
銀座花椿通り公式ウェブによると、その愛称名の由来は、昭和9年(1934年)に出雲から寄贈された出雲椿(藪椿)が街路樹として植えられたことにあるそうです。
では、どのような経緯で出雲から出雲椿が寄贈されたのでしょうか?
遡ること明治5年(1872年)、この通り沿いに創業した資生堂は出雲との縁を深めるべく藪椿を植えました。
大正4年(1915年)には商標となる花椿を考案し、大正8年(1919年)に商標登録。
その花椿は、島根県松江市にある八重垣神社の椿をモチーフにしたと言われています。
しかし、商標に花椿を採用する以前に既に出雲との関係があったことが分かります。
そこでもう少し歴史を遡ってみましょう。
時代は江戸。徳川家康が諸藩の大名に呼びかけ「日比谷入江」を埋め立て、城下町の拡張整備を行った際、現在の銀座7丁目・8丁目あたりに松江城の初代城主として名高い堀尾吉晴と松江藩の者たちが大名屋敷を建て、整備を担当しました。
松江藩は出雲一国を領有していたことから、その一帯が「出雲町」と名づけられ、通りは「出雲通り」と呼ばれました。(出雲町から現在の「銀座7丁目・8丁目」への改名は戦後。)
つまり、江戸時代から連綿と続く出雲との縁が資生堂によって引き継がれ、出雲椿を通した交流が生まれたと言うことができるのです。
7月上旬の今は椿の花咲く季節ではありませんが、街路樹として植えられている椿を探して通りを歩いてみました。
すると、外堀通り近くに立派な藪椿(出雲椿)を発見!
木に取り付けられている樹名板によると、30年前となる平成4年6月に出雲市より寄贈されたものだそうです。
見上げるほど大きな椿の木は初めて見ました。
その一方で、花水木の並木の間に小ぶりの可愛らしい藪椿も植えられており、大切に育てられている様子がうかがえました。
銀座の柳もそうですが、椿にも中央区と他市との交流があったとは興味深いですね。
そして、通り沿いで見られる「椿」は街路樹だけではなく、新潟出身の彫刻家・茂木弘行氏が手がけたポニーテールの少女像「はな」にも椿の花があしらわれています。
こちらは、中央区と銀座花椿通り商店街振興会がともに進めてきた通りの美化といった環境整備事業の完成を記念し、道路の愛称名「花椿通り」にちなんで平成5年(1993年)に設置されたものです。
銀座の街中では何不自由なくナビが使用でき、なおかつ目印となる建物やお店がたくさんあります。
そのため、一部の方を除き、道に迷った際に道路の愛称名を頼りにする方は少ないはず。
まだまだ広まる余地を秘めた愛称名のある道路には、それぞれの団体、催し物、歴史、文化、街路灯バナーがあります。
たかが通り、されど通り。中央区にいらした際は、愛称名で親しまれる道路(通り)の歴史やこれまでに育まれてきた文化・交流にふれてみませんか?
参考文献・ウェブサイト
【文献】
実業之日本社『銀座街歩き検定』,実業之日本社,2008年.
【ウェブサイト】
銀座花椿通り会ウェブ http://ginza-hanatsubaki.jp/(2022年7月2日閲覧)
中央区役所「中央区道路愛称名」 https://www.city.chuo.lg.jp/kankyo/dorokyoryo/doroaisyomei/index.html(2022年7月2日閲覧)