Hanes

ただの石じゃなかった!佃公園に残る石垣の正体


こんにちは。アクティブ特派員のHanes(ハネス)です。
最近暑さが和らいできたこともあり、少しずつ外出する機会が増えてきました。
しかし、まだまだ日差しが気になる日が多く、日陰が充実した公園によく立ち寄ります。
先日は佃公園を改めて散策してみたのですが、中央区内にこんな立派な石垣があることをご存知でしたか?

 ただの石じゃなかった!佃公園に残る石垣の正体


こちらの石垣は、先月の記事「近代的刑務所の源流『人足寄場』とは?」でご紹介した石川島燈台跡を横側や裏側から見た時のものです。
石川島燈台跡の正面を通ることは多くても、まだ裏側に回ってみたことがないという方もいらっしゃるかもしれませんね。

 ただの石じゃなかった!佃公園に残る石垣の正体


そして、人知れず中央区内に配されたこの石垣の正体はというと、昭和60年に東京都が日本橋川右岸改修工事をした際に雉子橋(きじばし/現・千代田区一ツ橋二丁目東南角~九段南一丁目)付近から見つかった石垣の一部!
雉子橋の名は、徳川家康が朝鮮の使節を饗応するために好物の雉子を囲った場所がそのあたりにあったことに由来します。

佃公園内の案内板には、慶長10年(1605年)から徳川幕府が第2期江戸城建設に着手したこと、江戸城やお濠の石垣用の石の採取・運搬を中国、四国、九州の31大名に命じたこと、石の大部分が伊豆半島東海岸から切り出されたこと、石の運搬や陸揚げには大変なお金と労力を要したこと、石に各大名・組頭・石工等の紋や目印が刻まれているものもあることが記されています。

 ただの石じゃなかった!佃公園に残る石垣の正体


佃公園にある石垣を色々な角度から見てみましたが、そのような紋や目印のようなものは見つからず...
今度改めて石の観察をしてみたいと思います!
(自然の多いエリアであるため、今は蚊が発生しています。散歩や散策に行かれる方は蚊にご注意を!)

 ただの石じゃなかった!佃公園に残る石垣の正体


しかし、石垣の周囲に配されている石には矢穴がよく分かるものがたくさんありました。
佃に観光に行かれた際には、この石垣や石を前に江戸時代に思いを馳せてみませんか?

 ただの石じゃなかった!佃公園に残る石垣の正体
 ただの石じゃなかった!佃公園に残る石垣の正体


伊豆半島東海岸から切り出された江戸城の石垣については、今年7月の記事「江戸城石垣運搬用舟入堀ブログ(2019.06.04)の誤り訂正」をはじめ、yazさんがこれまでに詳しくご紹介しています。

 ただの石じゃなかった!佃公園に残る石垣の正体


上記記事でもふれられている通り、東伊豆町からは多くの石が切り出され、江戸に運ばれました。

 ただの石じゃなかった!佃公園に残る石垣の正体


一度伊豆半島東海岸を車で走ったことがありますが、町中や観光案内所でこの採石の歴史に関する案内板やパンフレットをよく見かけたことを覚えています。

 ただの石じゃなかった!佃公園に残る石垣の正体


江戸城やお濠の石ほど知られてはいないかもしれませんが、中央区にゆかりのある伊豆半島の史跡については、以下の記事でご紹介しています。
ご興味がありましたら合わせてご覧ください。

【遠足シリーズ第38弾】アメリカ総領事ハリスと在外公館今昔
【遠足シリーズ第39弾】三浦按針関連史跡を訪ねて
【遠足シリーズ第40弾】吉田松陰密航の企てとその後

ご紹介スポット情報

中央区立佃公園
住所:東京都中央区佃1丁目11番4号
※石垣は、地図を拡大していただくと表示される「石川島灯台」にあります。