Hanes

【遠足シリーズ第49弾】知れば知るほど面白い!
赤穂義士の討ち入り装束事情


こんにちは。アクティブ特派員のHanes(ハネス)です。
320年前の12月14日、赤穂義士が吉良上野介邸への討ち入りを決行しました。
その出来事は現代にまで語り継がれており、12月半ばには歌舞伎や人形浄瑠璃の「忠臣蔵」を思い出される方も多いのではないでしょうか。

しかし、私のように「赤穂義士は47人もいて、関係性を追うのが難しそう」などとこの出来事の深掘りに苦手意識を持っている方も少なからずいらっしゃるのではないでしょうか?
そこで、今回は討ち入り時の装束(服装)事情といったややカジュアルな視点から赤穂義士に迫ってみたいと思います。
歴史は苦手でも、ファッションには興味があるという方にもお楽しみいただけたら幸いです♪

そもそも装束事情に興味を持ったのは、しばらく前に兵庫県赤穂市を訪れた時のことでした。
せっかくなので中央区に関連のある赤穂義士の関連史跡を巡ってみようと、まずは赤穂義士ゆかりの地・花岳寺へ。

 【遠足シリーズ第49弾】知れば知るほど面白い!赤穂義士の討ち入り装束事情


その後、お城好きとしては外せない赤穂城を訪問し、大石内蔵助ら赤穂藩士、吉田松陰に影響を与えた軍学者・山鹿素行の手がけた縄張りなどを見て回りました。

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そして、義士史料館のある忠臣蔵のふるさと・赤穂大石神社を参拝。
参道の両側には、表門隊(向かって右側)、裏門隊(向かって左側)の四十七義士石像がずらり!
これまでにも四十七義士像を見たことはありますが、この石像はとりわけ見事!
特に印象に残ったのは、これらの石像には討ち入り当時の服装や持ち物が反映されているということ。

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面白くて1人1人じっくり見たいところですが、時間が限られていたこともあり、中央区に関連史跡の残る堀部安兵衛間新六、そして赤穂義士のリーダー的存在である大石内蔵助の石像に注目してみました。
参考文献によると、屋敷内斬り込み担当の堀部安兵衛は長い刀である野太刀を、長屋防ぎ担当の間新六は半弓を持っていたそう。
確かに堀部安兵衛の石像には長い刀が見て取れます。

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間新六の石像に半弓があるかどうか裏側を確認するのを忘れてしまったのですが、四十七義士の石像を見て気づいたことは、皆似たような服装をしているということ。
気になって京橋図書館の地域資料室で関連文献を手に取ってみた結果、面白いことが分かりました。
赤穂義士・忠臣蔵に精通した方は既にご存じかと思いますが、彼らは揃いの火事装束で討ち入りを決行したのです!

その装束というのが、闇にまぎれる黒い頭巾、鉢金、小袖、防具の鎖入りの帯、下帯、同士討ちを避けるための目印としての袖口の白い布、股引、脚絆、草鞋。
武器ですが、それぞれの得意分野に応じて自由に選んで持参したそうです。

現代で言うチームユニフォームのようなものを身につけて討ち入りに臨んだことはとても興味深いです。
しかし、なぜ格好よくきめた鎧兜ではなく火事装束だったのでしょうか?

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大石内蔵助が討ち入り合図の太鼓を鳴らす姿が、赤穂市の消火栓マンホールの蓋のデザインに採用されています。


文化デジタルライブラリーによると、火消は公権力の警察機能の象徴で、禁中・公家・武家の門内へ案内なしに出入りできたそうです。
そのため、吉良家への深夜の強制捜査・家宅捜索として、怪しまれないよう、見て見ぬふりをされるよう火消になりすましたのだとか。そこまで考えていたとは!

兜町・茅場町まちかど展示館に火消に関する展示物が充実しているように、「喧嘩と火事は江戸の華」と言われた江戸時代において火消はなくてはならない存在でした。
浮世絵師として大成したあの歌川広重も、実は火消屋敷生まれです。
火消の役割や服装、面白い豆知識にご興味のある方は、「消防の歴史に見る中央区(前編)」「消防の歴史に見る中央区(後半)」もご覧ください。

いかがでしたか?赤穂義士の装束事情を知り、彼らに少しずつ興味がわいてきたのではないでしょうか?
そんな方向けに、中央区内で巡れる赤穂義士関連スポットをご紹介します。
12月14日には、320年前の出来事に思いを馳せ、中央区で歴史探訪をしてみませんか?

中央区で巡れる赤穂義士関連スポット

浅野内匠頭邸跡
住所:中央区明石町1(一部)・10・11地区
赤穂藩主浅野家の江戸上屋敷だった場所。
本懐を遂げた義士たちは、浅野家の菩提寺である泉岳寺に向かう途中でこの付近を通ったとも伝えられています。

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堀部安兵衛武庸之碑
住所:中央区八丁堀1-4
堀部安兵衛は、越後国新発田藩溝口家の家臣・中山氏の子。
浪人となった父が亡くなった後、江戸に出てきて剣術で名を馳せました。
京橋永谷町(現・銀座1丁目)に住居を構えていたと言われています。

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間新六供養塔
住所:中央区築地3-15-1(築地本願寺境内)
父と兄が仇討の義盟に加わっていることを知り、討ち入り参加を決意した彼。
本懐を遂げ泉岳寺へ引き上げる途中、携えた槍に金子を結び付け、自身の供養料として築地本願寺の塀の中へ投げ入れたという伝説が残っています。

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参考文献・ウェブサイト

【参考文献】
赤穂市総務部市史編さん室・編注『忠臣蔵』第一巻,兵庫県赤穂市,1989年.
菅野俊輔『江戸っ子が惚れた忠臣蔵ー赤穂義士の実像と虚像に迫る』小学館,2013年.
山本博文『敗者の日本史15 赤穂事件と四十六士』吉川弘文館,2013年.
山本博文『知識ゼロからの忠臣蔵入門』幻冬舎,2014年.
山本博文『東大教授の「忠臣蔵」講義』角川新書,2017年.

【参考ウェブサイト】
文化デジタルライブラリー「江戸の火事:忠臣蔵と火事の関係」https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc21/yomoyama/y5/yo3.html(2022年12月11日閲覧)