『江戸名所図会』より見えてくる中央区(日本橋編)
「日本橋」『江戸名所図会』国立国会図書館デジタルコレクションより
はじめに
私は以前より、目で見る地誌として評価されている『江戸名所図会』に興味があり、ちくま学芸文庫より出版されている「新訂 江戸名所図会」を購入して気になる地名の頁を読んでいました。いや、眺めていたのかもしれません。今回はこの『江戸名所図会』に記載されている現在中央区の地名付近を探訪して気が付いたことなどを書いてみようという企画です。
『江戸名所図会』とは江戸時代後半、天保年間に神田雉子町の名主であった斎藤行雄・斎藤行孝・斎藤月岑が7冊20冊で刊行した江戸の地誌であり、鳥瞰図を用いた長谷川雪旦の挿絵が有名である。
現在の日本橋
絵図には「通一丁目」と「西河岸」の文字が確認できるので日本橋北詰下流側(現:日本橋室町1丁目)から鳥瞰した図である。写真ではどうしても鳥瞰したアングルで撮影できませんでした。一番の違いは何かと考えるとやはり日本橋川の上に首都高速があることかもしれません。しかし2035年までに首都高速地下化工事を完成してその後5年で高架部分の撤去をするようで、2040年には日本橋にも青空が戻ってくるそうです。楽しみですね。
そして次の違いは、橋の上の人の多さそして日本橋川に浮かぶ船の多さにはびっくりします。多少のデフォルメはあるにせよ、当時の荷物の運搬は船が主流であり、江戸の街も運河が多数あり、河岸が発達していったことが背景にあると思います。
日本橋魚市場の発祥の地
絵図の日本橋手前左側には魚市場がみてとれる。現在跡地には「日本橋魚市場発祥の地」の石碑が立っています。絵図からは魚市が賑わっていること。魚市前の河岸には魚を積んで舟が確認できる。
高札場
また、絵図の日本橋向こう側右側には高札場が確認できる。現在の日本橋由来記の碑の形が絵図の高札場の面影を感じさせるデザインになっている。その隣には日本橋観光案内所があります。
おわりに
写真は江戸橋の首都高速入口付近の写真です。日本橋地区の首都高速地下化に伴う首都高速の撤去工事は着々と進捗していました。