rosemary sea

『銀座』はどこまで?
 銀座を一周してみましょう! ④
  ~ 銀座柳の碑・金春屋敷跡 ~

リモートで、愛する中央区をナビゲートします、rosemary  sea  です。

 

「『銀座』はどこまで? 銀座を一周してみましょう!」シリーズ、今回は第4回です。

銀座柳の碑」と「金春(こんぱる)屋敷跡」をご紹介します。

それでは・・・

 

銀座柳の碑
(冒頭の画像です。)

(右手前が「銀座柳の碑」です。碑の後ろに「銀座の柳 二世」が植栽されています。左奥は「新橋親柱」です。)

 

 ー 銀座柳の碑 ー

~銀座煉瓦街を美しく彩った柳の記念碑~

銀座煉瓦街の完成時、街路樹として松・楓(かえで)・桜などを植えたがすぐに枯れてしまった。

代わりに柳を植えたところ、それが根づいた。

その後、道路拡張や大火により何度か柳が銀座から姿を消したが、地元の人々の尽力によりよみがえり、柳の緑が一面を覆うようになった。

記念碑には『銀座の柳』の歌詞と譜面が刻まれている。

 

 ー 歩いてわかる中央区ものしり百科 より ー

 

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銀座柳の碑

西条八十 : 作詞

中山晋平 : 作曲

(ここからは『銀座の柳』の歌詞です。)

 

植えてうれしい 銀座の柳

江戸の名残りの うすみどり

吹けよ春風 紅傘日傘

今日もくるくる 人通り

 

(その先の歌詞です。)

巴里(パリ)のマロニエ 銀座の柳

西と東の 恋の宿

誰を待つやら あの子の肩を

撫でてやさしい 糸柳

 

恋はくれない 柳は緑

染める都の 春模様

銀座うれしや 柳が招く

招く昭和の 人通り

 

・・・碑の下に鳩が写り込みました。

 

ロズマリが2サイクル目に受験しました第11回の中央区観光検定では、以下のような試験問題が出されました。

 

「銀座煉瓦街の完成時、街路樹として植えた松・楓(かえで)・桜などはすぐに枯れましたが、柳は根づいて街路を美しく彩りました。

これを記念して銀座八丁目には「銀座柳の碑」が立っています。

この記念碑に刻まれている内容は次のうちどれでしょう。」

 

・・・4択の正解は 『銀座の柳』の歌詞と譜面 です。

 

また、その2年前の第9回においても、次のような設問がありました。

 

「銀座8丁目には、銀座煉瓦街を彩った街路樹を記念する碑があります。

この記念碑には、銀座をテーマにした歌謡曲の歌詞と譜面が刻まれています。

その曲のタイトルは次のうちのどれでしょう。」

 

・・・4択の正解は 銀座の柳 でした。

 

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銀座の柳 二世。

「銀座の柳 二世」は、泰明小学校の校門左にもあります。

「考察 数寄屋橋界隈 ③  ~ 泰明小学校 ~ 」の記事に少し写っています。

⇒ https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=2659

そして「銀座の柳 四世」が、もう少し先にあります。

そちらは次回第5回にてご案内します。

 

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新橋親柱

新橋親柱は、かつて新橋と銀座の間を流れていた汐留川に架けられていた橋で、昭和38年(1963年)、川の埋め立て工事とともになくなりました。

現存する新橋親柱は、大正14年(1925年)に長さ20m、幅27mの鉄筋コンクリートで作られた橋の一部です。

地域名の由来を今に残す貴重な遺構です。

平成30年(2018年)1月15日 港区文化財総合目録登録 港区教育委員会

 

・・・と、右側の黒い柱の右面に書かれています。

ここは中央区銀座と港区新橋の境目です。

わずかですが、港区側に「銀座柳の碑」が、中央区側に「新橋親柱」が建てられています。

 

金春屋敷跡

金春屋敷跡 『銀座』はどこまで?
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  ~ 銀座柳の碑・金春屋敷跡 ~

(画像は「金春通り」です。画面左、『洋装』の看板下に「金春通り 煉瓦遺構の碑」があります。

 そして写している逆方向、背にしている方に「金春屋敷跡」の説明板があります。)

金春屋敷跡

江戸時代、幕府直属の能役者として知行・配当米・扶持(ふち)を与えられていた家柄に、金春(こんぱる)・観世(かんぜ)・宝生(ほうしょう)・金剛(こんごう)の四家がありました。

能楽は室町時代に足利幕府の保護奨励を受けて発達し、安土桃山時代には熱心な愛好者であった豊臣秀吉の保護を受けて大いに興隆しました。

特に、金春家は秀吉の強力な保護を受け、能楽の筆頭として召し抱えられました。

江戸幕府も、秀吉の方針を踏襲して能楽を保護し、金春・観世・宝生・金剛の四座を幕府の儀礼に深く関わる式楽(しきがく)と定めました。

元禄5年(1693年)頃の江戸市中の状況を記した『国花万葉記(こっかまんようき)』によると、金春太夫は山王町(さんのうちょう:現在の銀座8丁目)・観世大夫は弓町(ゆみちょう:現在の銀座2丁目)宝生大夫は大鋸町※(おがちょう:現在の京橋1丁目)・金剛大夫は滝山町(たきやまちょう:現在の銀座6丁目)に屋敷を拝領していたとあります。

金春家は、寛永4年(1627年)に屋敷を拝領したといわれ、寛永江戸図『武州豊嶋郡江戸庄図(ぶしゅうとしまごおりえどしょうず)』には「金春七郎」の名が確認でき、現在の銀座8丁目6・7・8辺りに図示されています。

後に屋敷は麹町(現在の千代田区)に移りましたが、跡地には芸者が集まり、花街として発展しました。

金春の名は「金春湯」「金春通り」などと、今もこの地に残っています。

 

 ー 中央区教育委員会 説明板 より ー

※ 大鋸町は、浮世絵師の歌川広重が、後の嘉永2年(1849年)から死去するまでの約10年間を過ごした住居があったところです。

 

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 ー 金春屋敷跡 ー

~幕府直属の能役者の屋敷跡~

江戸時代、金春・観世・宝生・金剛の四家は幕府直属の能役者として現在の中央区域内に屋敷を拝領していた。

このうち金春家は室町時代から栄えた伝統ある家柄で、その屋敷は現在の銀座8丁目の6~8番に相当する規模だった。

屋敷の移転後、跡地には金春芸者といわれる芸者が集まった。

金春屋敷で下働きをしていた女性が金春芸者のルーツといわれ、長唄・常磐津(ときわづ)・小唄・端唄(はうた)・舞などの芸に通じ、人をもてなす才にも長けていたため人気を博し、周辺は花街として発展した(※)。

毎年8月7日に金春通りの路上で能が演じられる。

 

 ー 歩いてわかる中央区ものしり百科 より ー

※ 以前、「金春新道(こんぱるじんみち)の小春という売れっ子芸者」というフレーズを書きました。

2021年10月22日の記事「ちょっと気になる中央区の神社 ⑧ ~ 幸稲荷神社 ~」の中の江戸古典落語 第45回 『しじみ売り』での登場人物です。

当時の記事はこちら

⇒ https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php?id=2201

 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

昨年11月13日(日)の中央区まるごとミュージアムでの巡回バスでのガイドにて、ロズマリは以下のように「能楽金春祭り」についてお話ししました。

 

・・・能楽の金春流、ここの奥の通りに名前が残っています。

江戸時代、金春・観世・宝生・金剛の四家の屋敷が全て、今の中央区内にありました。

最も歴史のある金春流の屋敷が、ここにあったことが、金春通りの名前の由来です。

毎年8月7日には、能楽金春祭り、というのがここの金春通りで開かれます、と申し上げたいところですが、コロナ禍で一昨年、昨年と開かれておらず、今年は当初開催の方向で準備が進められておりましたが、結局中止の決定に至ってしまいました。

能楽金春祭りが開かれますと、「路上能」と言いまして、金春流宗家が道の上で能を舞います。

そして普段はビルの屋上に祀られていて、一般には非公開の金春稲荷が、このお祭りの日だけは金春通りに降りていらっしゃって、参拝することができます。

来年こそ4年ぶりに能楽金春祭りが開かれることを願っています。・・・

 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

平成27年2月実施の第7回中央区観光検定では、以下のような試験問題が出されました。

 

「(写真問題)・・・【金春通りでの路上能の写真を見て回答する問題】

この写真は、毎月8月7日、銀座の路上で披露される能楽の様子を撮影したものです。

かつて多くの芸者が集まる花街としてにぎわったこのストリートの名称は次のうちどれでしょう。」

 

・・・4択の正解は 金春通り です。

 

続く第8回にも以下のような設問がありました。

 

「毎年8月、銀座7丁目の金春(こんぱる)通りでは祭りが行われており、最終日には路上で古典芸能が披露されて人気を集めています。

この伝統芸能は次のうちどれでしょう。」

 

・・・4択の正解は 能楽 です。

 

更に、第10回でも、第7回と同じ写真を用いて答える設問がありました。

 

「(写真問題)この写真は毎年8月、銀座八丁目界隈で行われる能楽(  )祭りの様子を撮影したものです。

期間中は路上奉納能、能楽講座、親子体験教室などが催されて多くの見物客で賑わいます。

(  )に当てはまる語句は次のうちどれでしょう。」

 

・・・4択の正解は 金春 です。

 

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金春通り 煉瓦遺構の碑

銀座は日本に2箇所しか建設されなかったきわめて貴重な煉瓦街の1つです。

もう1つは丸の内の煉瓦街でした。

しかし今日では残されたこうした遺構から明治時代の煉瓦街を窺い知るほかはありません。

設計者はトーマス・ジェイムス・ウォートルスというイギリス人です。

フランス積みで、明治5年(1872年)から10年かけて当時の国家予算の4%弱を費やし、延べ1万メートル余もあったといわれています。

この煉瓦は銀座8丁目8番地(旧金春屋敷地内)で発掘されたもので、ゆかりの金春通りに記念碑として保存される事になりました。

下の絵は、明治初期のガス灯や張り板、提灯など当時の金春通り煉瓦街を偲ばせる古い写真を元に銅板に彫金したもので、見る角度により昼夜の陰影が出るよう微妙な細工が施されております。

銅版画制作 第11代 銅昭

 

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「金春通り 煉瓦遺構の碑」の基部

 

『銀座煉瓦街』につきましては、銀座を一周する過程で通ります、銀座1丁目の『煉瓦銀座之碑』にて、改めましてご説明申し上げる予定です。

 

銀座柳の碑・金春屋敷跡

銀座柳の碑・金春屋敷跡 『銀座』はどこまで?
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銀座柳の碑 銀座8-9先

地図上 オレンジ色の角丸四角形

金春屋敷跡 銀座8-7-11

地図上 紫色の六角形

 

 

 

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下部のブルーグレー色のラインを進みました。

マークの銀座柳の碑=オレンジ色の角丸四角形、金春屋敷跡=紫色の六角形はひとつ上の地図と同じです。