東京マラソン2023のコース、東日本橋にある「清杉通り」の謎?
3月5日、今年も東京マラソン2023が開催されます。
東京マラソン2023のコースは、新宿の都庁を出発、千代田区を通って中央区に入り、日本橋、茅場町、人形町、そして浜町で「清州橋通り」から「清杉通り」「江戸通り」を通って浅草へ向かっています。
東京マラソン2023のコースになっているこの「清杉通り」、知らない方も多いのではないかと思いますが、「清州橋通り」と「江戸通り」をつなぐ、僅か400mほどの大通りです。
この「清杉」の名前の由来や、いつ頃できたのか?など、以前から気になっていました。
中央区のウェブサイトにある「中央区道路愛称名一覧」では、昭和63年に「清杉通り」の愛称が設定されたと書かれていますが、もっと昔からある通りのように思われ、昔の地図を調べてみました。
下は昭和9年の東京市の地図です。浜町から浅草橋を結ぶ通りに「清杉通」の名前があります。昭和9年にはすでに「清杉通り」だったことがわかりました。さらに浅草橋の北側に目を向けると、現在の「江戸通り」から分岐する「国際通り」にも「清杉通」の名前があります。浅草橋から北側の「江戸通り」「国際通り」も以前は「清杉通り」だったことがわかりました。
下の地図はさらに古い、昭和5年の東京市の地図です。こちらでも「清杉通」となっていました。
関東大震災前の地図にはこの通りはまだありません。従って、関東大震災後、昭和4年に「清洲橋」の架橋に合わせて開通した復興道路が「清杉通り」だったと思われます。
「清杉通り」は、「清州橋」から始まり、現在の「清洲橋通り」「江戸通り」を通り、浅草橋の北で分岐し、浅草寺の東側、現在の「国際通り」を抜けて、昭和通りと合流する現在の台東区三ノ輪まで続いていました。昭和通りとの合流点(終点)は、当時「金杉町(金杉下町)」と呼ばれていました。
「清杉通り」の「清」は、「清洲橋(あるいは清澄)」の「清」だろうと想像がつきましたが、「杉」については謎でした。今回、昭和初期の地図を調べて、「杉」が「金杉町」の「杉」から来ているとわかりました。
現在では、わずか400mほどになってしまった「清杉通り」ですが、震災復興から続く歴史のある通りだったことがわかりました。
清杉通り
中央区日本橋横山町10番~東日本橋二丁目1番