New River

酒問屋のまち「新川」について
~ 加島屋社長に聞く ~

第15回中央区観光検定(2023年2月18日実施)に合格し、特派員登録しました新人特派員の「New River」です。記念すべき第1回目のブログは、私が勤めている「新川」についてです。

プロローグ

プロローグ 酒問屋のまち「新川」について
~ 加島屋社長に聞く ~

 

新川は1660年(万治3年)に河村瑞賢(1618~1699年、江戸前期の豪商。海運・治水の功労者。伊勢国度会郡東宮村生まれ)が開削したといわれ、その目的は、諸国から船で江戸へと運ばれる物資の陸揚げの利便性を図るためとされています。そして、この開削により、上方から下り酒と呼ばれる灘や伊丹のお酒が樽廻船により次々と運ばれ、この一帯はお酒の荷揚げ場となり、多くの酒問屋が集まるようになりました。

しかし、関東大震災、太平洋戦争により、新川一帯も大きな被害を受け、戦後、1948年(昭和23年)には、新川は瓦礫の撤去等の戦災処理により埋め立てられました。

このような歴史がある新川界隈には、酒問屋の守護神である新川大神宮や下り酒の流れを汲む酒問屋が今も残っています。

そこで、私が通勤途中に立ち寄る新川大神宮でお会いするようになった加島屋さん(明治2年創業の酒問屋)の廣岡孝治社長から、新川について色々とお話をお伺いしました。

加島屋社長に聞く

加島屋社長に聞く 酒問屋のまち「新川」について
~ 加島屋社長に聞く ~

 

<昔の新川について>

父の時代は、永代通りに都電が走っていて、新川の停留所を降りると、お酒の匂いがしたそうです。昔は木製の樽にお酒を入れていたものですから、あちらこちらでお酒の匂いがしていたのでしょう。それだけ酒問屋があり、酒樽もたくさんあったということだと思います。

私の子供の頃は、新川大神宮の横の空き地にあった酒樽や水瓶に上って遊んだものです。また、霊岸橋に立てば、隅田川の花火大会も見ることができました。

昔はお酒は船で運ばれて来ましたが、新川が埋め立てられ、輸送手段が船からトラックに置き換わってしまいましたので、昔の新川の様子を思い浮かべるのはなかなか難しいかもしれません。また、新川は戦災処理で瓦礫が埋められていますので、地盤が弱いといわれており、建物の基礎を打つのも難しかったと聞いています。昔はこのあたりは、蒟蒻島(こんにゃくじま)ともいわれていました。

 

 酒問屋のまち「新川」について
~ 加島屋社長に聞く ~

TOKYOミナトリエには、上方からの一番船が

新川に到着した様子を再現したジオラマがあります。

TOKYOミナトリエ ホームページ

www.tokyo-minatorie.com

↑ 紹介動画は必見!

(協力:一般社団法人 東京都港湾振興協会)

 

 酒問屋のまち「新川」について
~ 加島屋社長に聞く ~

明治40年頃の新川

(提供:中央区立京橋図書館)

 

 酒問屋のまち「新川」について
~ 加島屋社長に聞く ~

一ノ橋より新川橋(二ノ橋)方面を望む(昭和23年)

(提供:中央区立京橋図書館)

 

 酒問屋のまち「新川」について
~ 加島屋社長に聞く ~

一ノ橋より亀島川方面を望む(昭和23年)

正面の建物は今も残る昭和2年竣工の「第2井上ビル」で、

新川はこの後まもなく埋め立てられます。

(提供:中央区立京橋図書館)

 

<新川大神宮について>

1625年(寛永2年)、慶光院周清上人(けいこういんしゅせいしょうにん)が徳川2代将軍秀忠より江戸代官町に屋敷を賜り、その屋敷内に伊勢神宮の遙拝所を設けたのが始まりで、その後、1657年(明暦3年)の明暦の大火により、現在の地に移転。以来、この地の産土神、酒問屋の守護神として崇拝されてきましたが、1945年(昭和20年)に戦災により社殿を消失、再建されたのが1952年(昭和27年)10月17日で、毎年その日に例大祭を行っています。

例大祭が終わると、お隣の健保会館で直会(なおらい)があり、恒例の新川締めも行っています。健保会館では、大手商社を含めた酒問屋の集まりも開かれ、境内にはその組合に加盟している会社が扱う18銘柄の酒樽が奉献されています。新川大神宮の宮司は、富岡八幡宮が兼務しています。

新川大神宮 ホームページ

http://shinkawadaijingu.or.jp/

 

 酒問屋のまち「新川」について
~ 加島屋社長に聞く ~

 

<ご商売について>

江戸時代、大阪で加島屋として両替商を営んでいた廣岡家(NHK連続テレビ小説「あさが来た」(2015年)のモデル)から分家して、東京遷都とともに新川に来ました。明治2年、廣岡助五郎商店として創業し、私で6代目となります。

昔は灘のお酒だけで商売ができましたが、今は地酒が出てきたり、ビールや焼酎など、色々なお酒が飲まれるようになったので、商売もなかなか大変です。当社も日本酒の他、ビール、焼酎、ウイスキー等も扱っています。

株式会社加島屋 ホームページ

http://www.kajimaya-sake.co.jp/company/index.html

 

 酒問屋のまち「新川」について
~ 加島屋社長に聞く ~

 

<惣花について>

惣花(そうはな)は、当社の登録商標で、山田錦をはじめとする良質の酒造好適米を55%まで磨き、丹波杜氏伝承の技を活かした製法で造られた純米吟醸酒です。甘・酸・辛・苦・渋の五味が見事に調和し、芳醇な旨味のきいたお酒で、宮内庁御用酒です。

当社は今はお酒を造っていないので、兵庫県西宮市の日本盛さんに委託して造っています。

惣花の由来は「めでたいと今日も朝から大祝い千客万来の福招き商売繁盛」ということになります。

 

 酒問屋のまち「新川」について
~ 加島屋社長に聞く ~

一般に販売されている惣花のラインナップ

エピローグ

以上、加島屋さんの廣岡孝治社長から、酒問屋のまち「新川」について色々とお話をお伺いしました。

私もお酒が大好きなので、改めて「新川」で働いていて、こうして廣岡孝治社長とお会いできたことに不思議なご縁を感じるとともに、とても有難いことだと思って感謝しています。

第1回目のブログ、いかがだったでしょうか?

これからも、ご縁のある「新川」を起点に中央区の魅力を発信していきたいと思いますので、引き続きよろしくお願いいたします。

 

【参考文献】

・東京新川の今昔 岡村岑三郎 1963年

・TOKYO新川ストーリー -ウォーターフロントの100年- 佐藤正之 日本評論社 1991年

・中央区の昔を語る(六) 室町・本町 、新川 中央区教育委員会 1992年

・新川物語 -酒問屋の盛衰- 望月由隆 文藝春秋企画出版部 2010年

 

【後記】

惣花はとても上品なお酒でした。ファーストアタックはやや弱めでしたが、口に含むと、米・米麹由来のふくよかな香りと厚みが感じられ、甘口(日本酒度が−4)のタイプではありますが、余韻として、酸味と辛さも残存し、まさに起承転結のあるお酒だと思いました。皆さまもぜひ味わってみてください。