あさが来た に思う

4月20日に新聞を見ていたら ”きょうは何の日” の小さな欄に女子大の日と書いてありました。

1901年のこの日、日本初の女子大学である ”日本女子大学校” が開校。女子高等教育の第一人者、成瀬仁蔵によって創立されました。

成瀬仁蔵は慶應義塾の福沢諭吉、同志社の新島襄と並び称される明治の教育者です。日本女子大学の校内に成瀬記念館が建てられています。

今、BS12で月曜日の夜に2015年の朝の連続テレビ小説 ”あさが来た” を放送しています。成瀬は、俳優の瀬戸康史が演じた成澤泉のモデルになった人です。「女子教育」を出版し、 ”女子を人として教育すること・女子を婦人として教育すること・女子を国民として教育すること” を女子教育方針とします。長州藩毛利家の祐筆の家で生れ、代々教育者の家系です。理想を実現する資金は無く困難している頃、多くの支援者と出会いました。

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写真は銀座の金田中と日本二大料理屋と言われる築地の料亭新喜楽です。芥川賞や直木賞の選考会場で知られています。

またここは成瀬仁蔵の有力支援者の一人大隈重信の屋敷があった場所でもあります。大隈は1869年に戸川安宅の旧宅を拝領してここに屋敷を構えます。当時の築地本願寺の敷地は今よりもっと大きく新大橋通りや場外市場をはみ出ています。明治四年発行の東京大絵図に載っている大隈邸は今の新喜楽の通用口あたりと思います。伊藤博文もすぐそばに住居を構え、井上馨は大隈邸内に小屋を建てて住みます。大蔵省時代の部下だった渋沢栄一や郵便事業を起こした前島密なども頻繁に訪れ築地梁山泊と呼ばれます。 ”あさが来た” でも、高橋英樹と松坂慶子が演じた大隈夫妻成瀬の重要な支援者になります。大隈が築地にいたのは1871年12月迄で、1889年には襲撃を受け右足を負傷、支援に動いた時は1890年代半ば以降で、大隈夫妻の住居は早稲田別邸に移っていました。

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新喜楽の店舗写真掲載の許可を頂きに事務所を訪れた時、取締役の方にご応対頂きました。

5月21日から23日に新橋演舞場で行われる ”東をどり” の準備にお忙しいようでした。外国の方にもアピールしたいとポスターにも工夫を考えていらっしゃいました。新橋花柳界の華の舞台と料亭の競演です。

https://azuma-odori.net/

 

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みずほ銀行兜町支店の横の壁面にある旧渋沢栄一邸の写真です。1888年に辰野金吾の設計で建てられた、二階建ての洋館です。住まいは1901年飛鳥山に移りますが、関東大震災で焼失するまで事務所として拠点にしていました。

渋沢はこの家に住んだ当時の1896年に大隈を介して成瀬と面会し、女子大学校設立の協力を要請されます。海外で女性の活躍を目撃した渋沢は女子教育の必要性を感じていました。伊藤博文首相らと女子教育奨励会を発足して東京女学館を作った彼は、成瀬の熱意に動かされ女子大学校の創立に携わります。東京女学館の時も苦労した彼は、特に資金面を心配し、女子大学校と東京女学館の合併案を提示したこともあります。また大阪城のそばに大学の建設予定地を購入していた成瀬に東京での開校を強く主張したそうです。多額の資金を提供し、開校後も純和風の寮を寄付します。自ら晩香寮と名付け、英語教育と洋風の生活を試させます。1979年までありました。体育にも力を入れていた成瀬に協力し、飛鳥山の自宅庭を開放し第一回の運動会を行います。500人の人が集まりバスケットや借り物競争など30種目を行います。庭の広さにビックリポンです。

”あさが来た” では渋沢は銀行の神様として三宅裕司が演じて実名で登場します。加島銀行設立に向けて助言を求めた主人公の浅子と大阪の商法会議支所で面会し、信用が第一と教えるエピソードがドラマで描かれますが、これは実話のようです。

 

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さて ”あさが来た” の主人公です。波留が演じた白岡あさのモデルは広岡浅子です。

ドラマの原案ともなっている古川智映子の ”小説 土佐堀川 女性実業家・広岡浅子の生涯” を改めて読みました。

彼女は、女性の生き方に興味があり ”日本女性人名辞典” を読みます。そこに取り上げられた、当時全く知識の無かった 広岡浅子 という名を知ります。京都の三井出水家に生まれたこと、両替商加島屋に嫁ぎ、立て直したこと、鉱山経営と社会事業と女子教育に力を入れたことなど二段組み紙面のわずか14行の記載でした。この小説を元にした朝ドラマによって知られることになりますが当時は女性が前面に出ること自体がはばかれる時代で、残された書類や記事にも登場してくることは稀です。実家の三井家や彼女が興した大同生命で調べてなるべく史実に近い小説にしたそうです。

浅子は大阪中心に仕事を行っています。あさが来たでは、東京で出来る商工会議所を勉強するため上京する場面があります。大阪から船で横浜へ行き、横浜から新橋へ汽車に乗り、徒歩で築地の五代友厚の事務所に向かいます。途中新橋を散歩中の福沢諭吉に遭遇する場面もありました。これらはドラマの中でのフィクションと思われます。

成瀬に対しては浅子個人の財産から5千円(今の3000万ほど)を寄付し、実家の三井家に相談したところ豊島区の目白台の敷地5220坪を寄贈して貰えます。寄付目標を30万円にしていた両人は不況で10万円ほどしか集まらない時期でしたので、土地代が必要なくなります。これで大阪での開校を主張していた関西の支援者はだまり東京開校が決まります。すると開校が一歩具体化したことにより寄付が増え最終的には32万円も集まります。

上記写真は旧新橋停車場駅舎玄関遺構にある説明板にあったものです。1872年に新橋・横浜間で鉄道が開通しました。新橋・神戸間が開通するには1889年までかかりました。浅子が早稲田の大隈邸に通うころは船旅ではなく汽車で来たと思われます。

旧停車場の住所は港区東新橋一丁目、中央区との境に近い場所です。何故現在の新橋駅と位置が違うかというと、後に上野方面に線路を伸ばす計画が出来、この位置だと銀座を分断する為ずらしたようです。後に汐留貨物駅となり築地市場へと沢山の荷物を運ぶ駅となりました。

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五代友厚は ”あさが来た” では浅子と親密な関係でドラマの主役級の扱いです。当時まだ無名だったディーン・フジオカが演じ一躍有名になりましたね。

ドラマでは新橋駅に降り立った浅子が何時間か東京の街を歩きまわり、築地の東弘成館事務所へ着きます。一里の間に85本のガス灯に灯がともると話します。そこで大久保利通とも面会しました。そして数日後に大久保が暴漢によって暗殺されます。設定が1878年5月ですね。これらはすべてドラマの脚色です。

弘成館は貨幣鋳造を命じられていた五代が、必要な金や銀の為、鉱山経営を始めて大阪に作った会社です。福島の半田銀山を購入したため東京に置いた事務所が東弘成館です。1874年に建てられ、住所は築地新栄町七丁目一番地です。(ドラマの中で従業員は200人ほどと発言します。)また五代は藍を主要な産業にするべく製藍事業も始めます。東京の事務所として築地入舟町八丁目一番地に置かれたのが朝陽館です。大阪と分けて東朝陽館と呼ばれます。東弘成館と隣接地だったと書かれています。

上記の絵は1895年の東京実測図番地を元に書きました。実測図で番地名は不明です。絵の上側が北で現在の明石小学校側で芥川龍之介生誕の地の説明版があります。生誕の地は入舟町八丁目一番地と書かれています。説明版は数年前まで南側の浅野内匠頭屋敷跡と一緒に置かれていましたが北側の現在地へ動かされました。

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旧聖路加病院の裏側、明石小学校側の写真です。木の前にあるのは芥川龍之介生誕の地の説明版です。この場所が東弘成館のあった場所と思われます。五代は藍の事業に力を入れ大規模に展開させますが、東の方は品質に難があり輸送も上手くいかず閉鎖します。芥川の実父新原敏三は1883年には耕牧舎と言う乳牛牧場を始めています。新原の土地は入舟町八丁目の北東の端にあり家と牛舎があったとされています。新原は地主の五代から借りていたと研究する人もいます。

浅子五代は残された資料では出合っている確証はありません。古川智映子は、顔を見知っているだけの二人を1884年に京都で行われた小石川三井家の祖三井高春の150回忌で言葉を交わさせます。炭鉱事故や銀行経営に踏み出せない状況の浅子に「へこたれてはあかん。自分から始めたことやないか。仕事は命がけや。自分が死んでも仕事は残る、そうゆう仕事をせなあかん。」と言い、体調不良で弱気な発言もしますが「負けたらあかん。他人やない、自分にや。」と語り立ち去る場面があります。設定は変わりましたが、ドラマでもこのセリフが出て来ます。翌年五代は築地の東弘成館で亡くなりました。浅子渋沢が大阪で会う2年前のことです。

浅子五代渋沢の交流は記録に残ってはいないようです。大阪の経済発展に力を入れた浅子五代は何度も顔を合わす機会があったと思います。渋沢とは共通の趣味の囲碁で浅子が勝った棋譜があるらしいと書く人もいます。

小異を捨てて大同につく この由来で大同の社名の保険会社を作った広岡浅子

 論語と算盤の思想で道徳経済合一説に基づき、公益の増大を図った渋沢栄一

  才助と殿様に命名された多岐にわたる才能で国事に殉じ私欲を制した五代友厚

渋沢五代は同時代の事業家達と違い財閥を作りませんでした。特に五代は巨額な利益を出しているはずなのに亡くなったとき出てきたのは沢山の借用書でした。周りの人々に投資をしたようです。

いつか五代を主役にしたドラマが作られると思います。もちろん配役はディーン・フジオカですね。