『銀座スカイウォーク』、行ってきました!
(後編)
~ 銀座スカイウォーク ~
リモートで、愛する中央区をナビゲートします、rosemary sea です。
5月4日(木・祝)、5日(金・祝)に開催されましたイベント『銀座スカイウォーク(銀スカ)』。
2回に分けてご紹介します、今回はその後編です。
前回の前編はこちらになります。
⇒ https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/detail.php/id=3891
今回の後編では、再生モデルエリア(イベント会場)での、
① 地域連携ブース
② 芝生エリア
③ 飲食エリア
④ エリアの先
を、ご紹介します。
地域連携ブース ①
新橋
「新橋」橋と街の歴史
冒頭の画像で示しましたように、左のステージ脇より、白い三角屋根テントのブースが3つ繋がって並んでいます。
左奥の最初のブースは新橋です。パネルでの紹介です。
ー 「新橋」橋と街の歴史 ー
「新橋」の地名は、江戸城外堀の汐留川にかかる橋であった新橋に由来します。
東海道の起点が芝から日本橋まで延ばされたのは、1604年。
その頃に汐留川にかけられたのが「新橋」。
その親柱(橋等の両端に立つ太い柱)の1本は、現在も新橋1丁目の路上に立っています。
(『銀座はどこまで? 銀座を一周してみましょう! ④』 参照)
1872年、日本で最初の鉄道が新橋・横浜間に開通。
当時の新橋停車場は現在の汐留駅付近に位置し、起点駅として開設。
「新橋」は時代とともに変化を遂げながらも一貫してそのにぎわいを保ち続け、現在も多くの人々が行き交い、活気あふれるまちとなっています。
地域連携ブース ②
銀座
銀座 松﨑煎餅
こちらでは、おせんべいの試食販売を行っていました。
文化元年(1804年)芝魚藍坂にて創業した煎餅屋さんです。
慶応元年(1865年)銀座に店を移し、春秋を重ねること200余年。
卵をたっぷりと使用し、心を込めて焼き上げたこだわりの瓦せんべいは時代を越えて愛されている看板商品です。
本店は一昨年7月に銀座5丁目から4丁目に移転。
煎餅の再構築と地域交流をテーマにイートインスペースを設けたオフィス併設の新店舗を開業。
屋号を「銀座 松﨑煎餅」から「MATSUZAKI SHOTEN」へ変更。
煎餅を軸とした新たなエンターテインメントを創造していきます、とのこと。
地域連携ブース ③
京橋
京橋二丁目西町会
神輿(みこし)
こちらでは、お神輿を展示しています。
京橋二丁目西町会は戦後いち早く発足し、昭和29年、日枝神社大祭の年に町会5周年を記念し、町会各位の浄財により新輿大小1基及び御獅子頭を新製する事を決定しました。
行徳後藤直光新輿師に注文し6月13日宵宮の日を吉日として、各有志及び都内鳶(とび)150名が参加し、木遣りも賑やかに、古式にのっとり引取の儀式を行いました。
今も昔も「良い街を作りたい」という願いは変わらず41名の町会地権者の想いが計画案から15年という長い年月を経て、平成28年10月31日「京橋エドグラン」の竣工に結実しました。
街の再生を機に、町民の心の拠り所として京橋二丁目西町会神輿と獅子頭を京橋エドグランに展示し、大切に保存しています。
芝生エリア
デイベッドなどが置かれていますね。
とにかくテレビ局、ラジオ放送局など、メディアのクルーが大勢いらっしゃいました。
そこここで撮影や録音、インタビューなどが行われていました。
地域連携ブースと芝生エリアの間には、
展示エリア (パネル展示)
本イベントの趣旨説明
KK線の歴史、担ってきた役割
再生イメージ
休憩エリア
がありました。
飲食エリア
キッチンカーが並んでいます。
食事を済まされてからの来場者が多いのでしょうか、キッチンカー前は閑散としておりました。
他のエリアとは違った風景です。
再生モデルエリアの先
東京駅 八重洲口方面を望みます。
再生モデルエリア入場者が行けるのは、緑のコーンのところまでです。
手前はステージの脇まで。
再生モデルエリアの前後はウォーキングガイドツアー参加の方々が、ガイドの方と一緒に歩行できます。
新橋入口から新京橋出口まで、全長約2kmのKK線を歩かれたようです。
(ウォーキングガイドツアーの歩行ルートは、前編の2枚目画像をご覧ください。)