シンシン

海の果てからやって来た家康公のお友達を追ってみた
- 今に残るリーフデ号の航跡

天下分け目の戦「関ヶ原の合戦」の直前、ある外国船が豊後の海岸に漂着したそうです。その航跡図が八重洲地下街にありました。

船の名前は『リーフデ号』、乗船していた二人ヤン・ヨーステンとウィリアム・アダムズは中央区にゆかりの人だそうです。 ヒントは五街道の起点日本橋にあると聞き、一路日本橋へ。

 海の果てからやって来た家康公のお友達を追ってみた
- 今に残るリーフデ号の航跡

日本橋の麒麟像からスタート!

 海の果てからやって来た家康公のお友達を追ってみた
- 今に残るリーフデ号の航跡

ウィリアムス・アダムズさんの日本名は『三浦按針』だそうです。日本橋たもとの「日本橋魚市場発祥之地」記念碑とその説明板には、『三浦按針』ゆかりの地名『按針町』が刻まれていました。 (文章が見えなくてスミマセン!)

 海の果てからやって来た家康公のお友達を追ってみた
- 今に残るリーフデ号の航跡

日本橋をスタートし、日本橋三越を背に進むと、電柱に『按針通り』の名前が!

按針町は『按針通り』として今も名前を残していました。 電柱を横目に按針通りを進むと、海苔屋さんの横に気になるスポットが出現!もしかして?

 海の果てからやって来た家康公のお友達を追ってみた
- 今に残るリーフデ号の航跡

ありました~! 『三浦按針屋敷跡』! ここからウィリアムス・アダムズさんは江戸城まで家康公のもとに通っていたのですね。 船路だったのか、陸路だったのかが気になるところ。

 海の果てからやって来た家康公のお友達を追ってみた
- 今に残るリーフデ号の航跡

ウィリアムス・アダムズさんはこの海運橋東詰に住んでいた 幕府御船手頭 向井将監さんと力を合わせ、伊豆伊東の地で 1604年(慶長9年)に80トンの帆船を、1607年(慶長12年)には120トンの大型船を作ったそうです。

 海の果てからやって来た家康公のお友達を追ってみた
- 今に残るリーフデ号の航跡

そして、八重洲通り(中央分離帯)から東京駅を望むと…

 海の果てからやって来た家康公のお友達を追ってみた
- 今に残るリーフデ号の航跡

ございました! ヤンヨーステン記念碑! 八重洲という地名は、彼の名前の拝領屋敷があったことにちなんだものだそうです。

 海の果てからやって来た家康公のお友達を追ってみた
- 今に残るリーフデ号の航跡

気が付けば、スタート地点に! ヤン・ヨーステンさん、ただいま~!

 海の果てからやって来た家康公のお友達を追ってみた
- 今に残るリーフデ号の航跡

八重洲地下街ではテイクアウトラリーが開催中! 今も活躍されているヤン・ヨーステンさんに見送られミニ旅行を終えました。 ヤン・ヨーステンさん、ウィリアムス・アダムズさんありがとうございました!