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利根川東遷の始まりの地に行ってきた

徳川家康が江戸城に入った1590年以降、壮大なインフラ整備が各地で進められていきます。その中で最も規模が大きく、かつ社会を変えたものが「利根川東遷」ではないでしょうか。

利根川は現在、千葉県銚子市で太平洋に注いでいますが、かつては今の東京湾に注いでいました。江戸を利根川の水害から守り、新田を開発し、関東と東北を結ぶ舟運路を整備する目的から、川の「付け替え」が行われました。その事業の最初が、今から425年前、1594年の「会の川」の締め切りです。この頃、利根川は、現在の埼玉県羽生市上川俣付近で2つに分かれ、南へは会の川が、東へは浅間川が流れていました。そのうちの南方面を締め切ったのです。技術も情報も十分ではなかった時代、どれだけの苦労があったことでしょうか。この年から60年後の1654年、ついに利根川は銚子市を河口とする川になりました。仮に利根川東遷が行われなかったとしたら、中央区、そして東京はどんな街になっていたでしょう??
当然、隅田川、荒川、中川、綾瀬川も含め、今のような形・規模にはならないので、全く違う都市が形成されたはずです。(誰か絵を描いてくれないかな?)

会の川締切を記念する「川俣締切阯」「〆切神社」の石碑は、「道の駅はにゅう」の利根川堤防沿いにあります。休日のドライブにいかがですか?

なお、利根川東遷を含む江戸の都市づくりについては(公社)土木学会がこちらにシンプルにまとめています。